
【大観小観】▼朝日新聞の25日付け社説は「『桜』刑事処分 政治責任は極めて重い」だった。産経新聞「主張」も「安倍氏秘書を起訴 政治家として責任は重い」。政権へのスタンスがしばしば両極端とされる両紙が足並みをそろえた▼「桜を見る会」の前夜祭費用の不足分を安倍晋三前首相側が支払っていたことに対し、東京地検が前首相秘書を略式起訴、前首相自身は不起訴にした問題である。「知らなかった」で済むのかと小気味よいが、検察が不起訴を決め、安倍前首相が記者会見で弁明した当日は、緊急事態宣言中の賭けマージャン問題で不起訴(起訴猶予)になった黒川弘務元東京高検検事長を検察審査会が「起訴相当」と議決した日でもある▼掛け金が常識内で、社会的批判も浴び、辞職していることを検察は理由にしたが、検察審査会は「的外れ」とにべもない。参加した産経2人、朝日1人の3人の元記者らの不起訴も不当として再捜査を求める。権力の監視はメディアの責務であり、元首相の追及は当然として、検察審査会の議決も、黒川元高検検事長の「起訴相当」を報じるだけではなく、自社の元記者らの「不起訴不当」も、当事者として読者が納得するような釈明があってもよかったのではないか▼朝日、産経とも実名報道を社是とする頼もしい同志である。しかし、両紙とも所属記者名は匿名で足並みをそろえた。監視が社会的存在意義として批判する側が自身の不祥事にはまた別の扱いがあるかに見られては、信頼も揺らぐのではないか▼「社会的責任は重い」のか「軽い」のか、社説で読みたかった。(伊勢新聞「大観小観」・ 2020年12月26日)

【越山若水】洋の東西を問わず、嘘(うそ)にまつわることわざは数多くある。一部には「嘘も方便」など容認型の格言もある。しかし大半は「嘘つきは泥棒の始まり」など否認型の教訓が占めている▼明治の文豪、夏目漱石も「虞美人草」で虚言を戒めた。「嘘は河豚(ふぐ)汁である。その場限りで祟(たた)りがなければこれほど旨(うま)いものはない。しかし中毒(あたっ)たが最後苦しい血も吐かねばならぬ」。その嘘を繕おうとして「綻(ほころ)びた下から醜い正体が、それ見たことかと、現れた時こそ、身の錆(さび)は生涯洗われない」と書いた▼それほどに「嘘をつく」という行為は、自分の信用失墜につながり、あとあと痛い目に遭う羽目になる。では安倍晋三前首相の場合はどうだろう。「桜を見る会」前日の夕食会で安倍氏側が費用を補塡(ほてん)していた問題で、在任中の国会答弁が「虚偽」と判明したからだ▼安倍氏は事実と異なる答弁について衆参両院で謝罪したが、差額補塡などの会計処理は「私が知らない中で行われた」と関与を否定した。法律に抵触するような重大疑義だというのに、後援会の言い分をそのまま受け入れ、念押しさえしないとは軽挙妄動も甚だしい▼今回の弁明にどれだけの人が納得しただろう。これで幕引きというのでは虫が良すぎる。夏目漱石にこと寄せすれば、まさしく「漱石枕流(ちんりゅう)」、自分の誤りを認めようとせず、言い逃れしているように見える。(福井新聞・2020\12\26)

【小社会】118回のうそ 大正から昭和に元号が変わる際に首相だった若槻礼次郎は、旧大蔵省出身で「秀才官僚」と呼ばれた。ただ、名前をもじって「うそつき礼次郎」と攻撃された政局もあったようだ。/ 政権周辺に不祥事が相次ぎ、野党は議会に内閣弾劾の上奏案を提出した。昭和の初年であり予算だけは通したかった若槻は、野党党首と会談。上奏案を引っ込めてもらう代わりに「政府においても深甚なる考慮をなすべし」と、辞職を暗示するような文書を交わした。/ ところが、すぐには辞めようとしなかったため野党が反発した―という流れだ。回顧録によると、会談の中身を閣僚に明かした若槻に、内相だった高知県出身の浜口雄幸が「あまり技巧を弄(ろう)するといかんぞ」と忠告している。/ 平成から令和への改元に立ちあった安倍前首相。桜を見る会問題で刑事処分は「秘書がやったこと」で逃れたが、事実と異なる国会答弁は118回にも及んだ。いわば「118回のうそ」。ドラマか小説のタイトルにでもなりそうだが、国会の権威をおとしめ、国民を侮った形だから質が悪い。/「責任を取る」意識も相変わらず希薄なようだ。自ら政治責任は重いと認めながら、「初心に立ち返る」と具体の行動は見えてこない。歴代最長政権は、実は歴代最も責任を取らなかった政権ではなかったかと思えてくる。/「政治をして国民道徳の最高水準たらしむる」。浜口が掲げた理想があらためて重い。(高知新聞・2020.12.26)

【春秋】「誠心誠意、うそをつく」。戦前、戦後の政界で活躍した三木武吉が言ったとされる。保守合同を成し遂げ自民党結成の立役者となった三木は、その政治手腕から「希代の策士」と呼ばれた▼敵も味方も欺いたが、私欲ではなく理想の実現のための「うそ」だという矜持(きょうじ)の表れが冒頭の言葉だろう。国民に対しては率直に心中を語ることが多かったという▼三木が残した自民党の総裁を務め、憲政史上、最も長く首相に在職した政治家の「うそ」に誠心や誠意はあるか。私欲ではないか。安倍晋三前首相の後援会が「桜を見る会」前日に開いた夕食会の費用補填(ほてん)問題で安倍氏が釈明した

▼簡単に言えば、知らないうちに秘書がやった▽秘書は自分にうそをついた▽結果として事実と違う国会答弁になった▽自分は不起訴でおとがめなし▽道義的責任は感じるのでおわびします-という内容▼本当に知らなかったとは信じ難いが、きちんと確かめず「補填はない」と言い張っていたとしたら、政治家失格だろう。国会で「うそ」を繰り返した事実は、口先の謝罪で済まされるはずもない。だが、離党も議員辞職もせず、「初心に立ち返り、全力を尽くすことで職責を果たす」そうだ▼略式起訴された秘書が引責辞職したと聞けば、安倍前首相夫人が絡む公文書を廃棄、改ざんした官僚が処分された森友学園問題と重なる。責任逃れに関しては希代の策士かもしれない。(西日本新聞・2020/12/26)
【水や空】 心ならずも 何度も反復された言い回しがあった。〈…知らないうちに行われたこととは言え…〉〈知りうる限りの認識に基づいて答弁し〉〈結果的に事実に反することに…〉-要は「心ならずも」こんな事態に…と力説しただけ。案の定、だ▲「桜を見る会」の前日に開かれた夕食会の費用補塡(ほてん)問題を巡って、安倍晋三前首相が衆参両院に答弁の訂正を申し出、議院運営委員会での説明に臨んだ▲安倍氏は「道義的責任は重い」「責任を痛感している」と述べた。だが、それは、この状況に関する認識の説明であり、心境の説明である。「重い」と痛感した責任に呼応する具体的な行動がないのは首相時代からの“十八番”▲自身の不起訴処分を引き合いに、一連の支出は「厳しい捜査の結果、問題ないと判断された」と語った。そうではないだろう。安倍氏の刑事責任を問うことは難しいと判断したのだ。「シロ」のお墨付きをくれたわけではない▲地元の有権者に対するおもてなしについて「支持をカネで買う行為だ」と詰め寄られて、自分は首相まで務めたのだ、選挙の心配などしていない、いつだって圧勝だ-と反論した場面があった。それは論点のすり替えだ▲「一定の説明責任は果たした」らしい。とんでもない。こんな程度で言いくるめられるわけにはいかない。(智)(長崎新聞・2020/12/28)
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図体の大小は問わない、というより、それは関係ないのだといいたい。中味が腐っているか精神溌剌としているか。図体の内容・中味は「企業規模」「資本金」「発行部数」「給料水準」「売上高」「社屋の大きさ」「土地の坪単価」などなどをいうのですが、どんな指標を持ってきてもいい、それに内容(新聞紙面の質)が伴わなければ話にならないだけです。もし、そこに大きなごまかしや矛盾があるなら、すでに新聞の資格はないと断じていい。ぼくはどういうわけか、「活字好き」でしたが、その大半は新聞のそれだったと思います(二、三紙を購読していたと記憶している)。よくぞこんな記事や紙面をかぎられた時間で仕上げるものだと驚きましたが、やはり「ブンヤ」と呼ばれた記者たちの「颯爽とした風情」(幼いぼくには、そのように映ったんです)、その格好(風体)の良さに憧れを持っていたし、高校三年生だったころに兄貴に「お前、なんになるんや」と問われた時、咄嗟に「刑事か、新聞記者」と答えていました。(親父は「医者にならんか」といっていた)なんでだかよくわからなかったが、小さいぼくの中に何かが勝手に育っていたんだと思う。「正義感」「社会正義」などという言葉は、もちろんぼくにはよく理解できなかったけど、たぶん、テレビや映画の影響を強く受けていたのではないか。(今、小さい子がもっともなりたいのは、「ユーチューバー」だそうです、なんでや)
何時も触れるのですが、ぼくは毎日のように各地の新聞の「コラム」(多くは、一面に出ている「看板」コラムです)を読む習慣があります。もちろん「朝飯前」です。数少ない楽しみの一つだったのですが、近年はそれが楽しくないというか、読んでいて、憂鬱になることがしばしばです。「不定愁訴」(こんな言葉が大流行したころがあります。調子悪いってこと)だろうと気づいているのです。なんでか?「コラム」を読むから、です。ならば「読むな」というだけですが、習性(悪癖)というのはそうはいかないんです。また読もうとします。止めよう、いや読もう、読む、そして「不定愁訴」。「読む・読まない・読みます・読めば・読もう・読め」と、毎朝の✖✖活用。そう、「自主トレ」ですね。

本日はどうか。なんと、五コラムです。どうしたことか。「嘘」「うそつき」に纏(まつ)わる記事だったから。大同小異でしたが、それぞれに面白いと感じました。このほかにもあるのですが、それはいい。すべてが、「地方紙」です。「痴呆紙」でなかったことに安心している。対して「中央紙」(というのも憚られるのですが。何をもって「中央」紙というのか。きっと「図体」のでかさだけでしょうね。あるいは五大紙などともいうが、文字通り図体で測る表現です)ーこれらはほとんど「読むに堪えない」代物です。往時の「ブンヤ」が泣くでしょうね、この為体を知ると。以前にも触れましたが、大半の「でかい図体」は「独立」「不撓不屈」だとか「不偏不党」などと洒落たことを言い触らしておきながら、「五輪のスポンサー」に成り下がっています。(触れて(批判して)はいけない、東電・電通・内閣など、不可触項目は、徐々に増えている。それと引き換えに体力・気力を失い倒れる運命)
世界中の人民がいたるところで生死の境に喘いでいる最中に、「コロナに勝ったあかし」の五輪だといまだにほざいている。正気かよ、と聞くのも情けないね。平河町記者クラブとかいう「囲われ者」がまだあった(いた)のを知って、もう駄目だ、五輪と共に「ご臨終」だと確信した。例え「コラム」といえども、「言いたいこと」じゃなく、「言わねばならぬこと」を、どんな書き方でもいいさ、面白おかしく書けないかね。(ぼくは新聞の「コラム」は、一種の「囮(おとり)」「客引き(客寄せ)」だとみている。悪い意味でいうのではなく、とにかく来て見て買って(読んで)くれなきゃ話にならない、という最低のサービスです)

●お‐とり〔を‐〕【×囮/媒=鳥】 の解説《「おきとり(招き鳥)」の音変化か》1 鳥や獣を捕らえようとするとき、誘い寄せるために使う同類の鳥・獣。《季 秋》「椋 (むく) の木に―掛けたり家の北/子規」2 相手を誘い寄せるために利用するもの。「格安品を―に客を集める」(デジタル大辞泉)
まるで「サクラ」みたいです。(サクラとは、公演主催者や販売店に雇われて客や行列の中に紛れ込み、特定の場面や公演全体を盛り上げたり、商品の売れ行きが良い雰囲気を作り出したりする者を指す隠語。当て字で偽客とも書く。wikipedia)毎年恒例になった「サクラを見る会」そのものでしょ。「隠語」「偽客」、ぼくは「新宿御苑」の人だかりの写真を見ると「偽客」「隠語」を連想してしまう。「主催者」は「内閣府」だか「隠語」だか、よくわかりませんなあ。「サクラもおとりも」金で釣る(だます)のですから、釣り師は「詐欺師」です。「釣られる」方も「疑似餌」に食いつく。先刻承知なんですよ、「釣る・釣られる」は。
話はどんどん逸れていきます。本筋に戻ろうにも、本筋なんかない始末で、申し訳ない。「コラム」は「囮・おとり」だと言おうとしていました。言ってみれば、スーパーや薬屋さんの店先の「トイレットペーパー」です。あるいは「ティッシュぺーパ―」、生活必需品ですね。(まあ、「コラム」は必需じゃありませんが)ぼくの言いたいのは「…のようなもの」だと。「あってもなくても」ではなく、「あったほう」がそれなりの暮らしができるんだという、ある種の安心感の支えみたいなもの。ちょっと「過大評価」かな。「コラム」はバッジじゃありませんし、スーツや履物でもない。使ったら(読んだら)捨てればいいだけです。ないと困るが、たくさんあるとばかり、自慢げに見せびらかす必要もない。

(これに対して、「社説」はお手洗いかな。昔から「盲腸」だといわれてきましたが。「無用の長物」ならぬ「無用の短物」視されている。この点に関してはいずれ)
本日の「コラム(短文を以て旨とする)」を暇があったら、読んでくださいとお願いするのではなく、ぼくの「自主トレ」の道具として、繰り返し読んでみたい記録、それだけのつもりで載せました。「嘘」「嘘つき」も、この周防・下関地方の異才の吐(つ)く「嘘」となると、それは「天性」「生来」のというべき、奇術です。「口を開けばウソ」という名人芸。ぼくは「空恐ろしく」なるのです。身震いしているといってもいい。誠意、心から、責任などという言葉、それは知っている。知っているだけに、よけいに質が悪いのですが。(この人体(にんてい)を見ていると「宅間某」という人間の「生き方」を、いやになりながらも、はっきりと想起します、無意識の中に)
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虚偽答弁「定義ない」 加藤官房長官 加藤勝信官房長官は25日の記者会見で、野党が自民党の安倍晋三前首相の国会答弁の誤りを虚偽答弁と批判していることに関し「何をもって虚偽答弁というか、必ずしも固定した定義が国会にあるとは承知していない。使われる文脈で判断するものだ」と述べた。/ 虚偽の意味については「広辞苑では真実でないこと、真実のように見せかけること、うそ、偽り、絵空事といった言葉が並んでいる」と説明した。(時事COM.・2020年12月25日14時58分)
(腐敗、腐乱状態は酣・闌(たけなわ)です、この島の政治家は。こんな連中が「大学卒」なんだよ、大学ってのは、ろくなところじゃないねえ)(腐る・ 朽ちる。 腐乱する饐(す)える)
●饐える=す・える【×饐える】 の解説 [動ア下一][文]す・ゆ[ヤ下二]飲食物が腐って酸っぱくなる。「御飯が―・える」「―・えたにおい」(デジタル大辞泉)
●たけなわ〔たけなは〕【×酣/×闌】 の解説 [名・形動]行事・季節などが最も盛んになった時。盛りが極まって、それ以後は衰えに向かう時。また、そのようなさま。真っ盛り。真っ最中。「酒宴は今が―だ」「春―な(の)山野に遊ぶ」「齢 (よわい) ―」(デジタル大辞泉)
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