校則は拘束だし、梗塞を発症させる爆薬です

「校則なし」で区立中はどう変わったか

 「校則なし」を実現した公立中学校がある。東京都世田谷区の区立桜丘中だ。服装や髪形は自由で、遅刻しても、教諭に大声で怒鳴られることはない。定期テストやチャイムもない。全国各地の学校ではいまだ、下着の色指定やツーブロック禁止など理不尽な校則がまかり通る中、桜丘中はどのように校則をなくしていったのか。前校長の西郷孝彦さん(66)に聞いた。(註 さいごう・たかひこ 1954年生まれ。今年3月まで東京都世田谷区立桜丘中校長。著書に「校則なくした中学校 たったひとつの校長ルール」)

(3回にわたって考える3回目です。(共同通信=小川美沙)(2020/12/25©株式会社全国新聞ネット)

―校則をなくしたきっかけは。

 赴任した2010年当時、桜丘中は荒れていた。服装や髪形に関する決まりがあり、教諭が声を荒らげて生徒を指導することもあったが、子どもたちを上から押さえつけたってうまくはいかないと感じていた。/ 学校にはさまざまな子どもがいる。「普通の子」なんて存在しない。こだわりが強い、朝起きられない、制服が着られない、学習障害や発達障害がある…。こうした個性や特性を考えずに、「靴下は白」「中学生らしい髪形」など合理的な理由がない校則を当てはめると、それがストレスになり、不登校になる。

 生徒全員に「学校は楽しい」と感じてもらえるにはどうすべきかを考えると、合理的な理由のある校則は一つもなかった。それに、校則で「みんな同じ」を押しつけると、枠からこぼれ落ちた子がいじめの対象になる。/ ある男子生徒は、学習障害があるためにタブレットの持ち込みを必要としていたが、別の中学では「一人だけ特例は認められない」と断られたそうだ。桜丘中で受け入れ、これを機に「全員持ち込みOK」にした。その生徒だけでなく、誰にとっても過ごしやすい環境を目指したからだ。

 ―学校は集団生活を送る場で、ルールは必要だとされているが。

 校則ありき、ではない。生徒が自ら考え、判断する力を伸ばすにはどうするか、だ。どんな髪形や服装をするかは自分で決める。帽子をかぶって来る子もいれば、メイクをする子もいた。チャイムがないから、自ら時間を管理する。授業中に居眠りしても、注意することはない。短時間の居眠りで頭はスッキリする。教諭は授業に集中してもらえるよう工夫するようになり、居眠りも減った。(以下略)(https://this.kiji.is/712148066179301376)

 わあ、懐かしい、そんな気分が戻ってきました。今時、こんなことが騒がれているんだ、という軽い侮蔑と嘲笑が混じった、すっきりしない感慨です、そんな感情を学校と教師に対して持ってしまう。学校という場所は、手に負えないところじゃないか。小学校入学以来、何年間も学校につながれていましたが、「校則」に悩まされたことはありませんでした。もちろん、学校に「校則」がなかったわけではない。「校則(拘束)」を気にしないで学校に行っていたということです。はなから「校則」を無視していたというのでもない。あるいは「緩やかな校則」だったからでもなさそうです。どんな規則があったか、いまではすっかり忘れてしまいました。「校則は我がうちにあり」という顔をして、ぼくは「非難」をやり過ごしていたはずです。

 いつでも、その時その場に応じて、「校則はだれのため?」と考えるのは大切ですし、「校則をなくそう」とみんなで議論するのもいいことでしょう。どんなに小さな集団でも、集団を維持するために規則を作ります。作らなくとも、(自然発生的に)内部から生まれてきます。学校で問題になる規則や校則の大半は、生徒たちが作るのではなく、(教師たちが作った)既成のルールがあって、それを例外なしに適応しようという強圧的な教師たちの態度が問題にされているのでしょう。つまり、子どもたちは「学校集団」の「客(カスタマー)」に過ぎないという偏見です。「カスハラ」が起こるのは当然だね。

 「校則」に関して、ぼくは長い間、学校を卒業してからも、関心を持たされてきました。いろいろと意見を求められたり、問題の現場に立ったこともあります。いつでも、しかし、ぼくの姿勢は明解単純なものでした。「自分で作る」というところから出発して、時間がかかるけれども、「私たちの規則(校則)」というところまで歩いて行くということにつきました。だから「校則」問題は、一人一人の生徒にとっては初めての問題でもありますし、学校においては「年中行事」だともいえるでしょう。西郷さんも述べられていましたが、子どもたちが「独り立ち」(自立・自律)できるための規則であり、そのための学校教育だという根っこを忘れるようじゃ、学校なんていらないさ。

 いつでもどこでも「議論」する場があり、その議論の対象が「校則」であるときもある、「授業」の問題を(生徒と教師が)議論することもある。それから、…。その程度の話ではないですか。「下着は白」「髪は黒」と決まっているから、寸分たがわず、例外なく「拘束」するという、そのどうしようもない「手の付けられない愚かさ」を教師や学校管理者が自分の中から除外しなければ、学校なんていらないよ。ぼくは「守るべき校則」は自分で決めていました、小学校のときから。「あいつはどうしようもない奴」という評価(非難)が教師たちにあったから、放っておかれたのは幸いでした。

  これまでに、どれだけの「西郷校長」がいたるところに存在したことでしょう。素晴らしい(仕事)をされたと敬意を表します。でも、かならずいつでも、「(反西郷の)大久保校長」が後任でやってきて、「正常化」をしようとするんでしょう。これは民主主義の闘いであり、一進一退のせめぎあいです。でも一歩前進一歩後退でも、前進する歩幅が少し広ければ、かならず前に進んでいくのです、たとえ五ミリでも。そのように「遅々とした歩み」が歴史なのかもしれない、人にももの(学校・制度・人権などなど)にも歴史がある。そんな思いをさらに強くしているのです。(何年になりますか、「校門圧死事件」という惨い事件が起こりました。神戸だったと記憶しています。これが教師の仕事か、と今でも憤りが収まりません)

 「法三章」という古い思想があります。「《「史記」高祖本紀から》高祖を滅ぼした後、秦の始皇帝の定めた厳しい法律を廃し、殺人・傷害・窃盗だけを罰するとした3か条の法律。転じて、法律を簡略でゆるやかなものとし、法治万能主義を排すること。」(デジタル大辞泉)大方はこのように理解されてきました。学校の規則である「拘束」も、それで十分だと思います。「暴力・窃盗・虚言」なんか、どうですか。まるで、国会議員や大臣に適応したい「法三章」ですね。

(でも、そんなんじゃダメ、「がんじがらめの法数百条」でなければ、何をするかわかったもんじゃないよと言う声も聞こえてきます。反対はしません。この島の議会は「強盗が法律を作る」ようなもんですね。「笊(ざる)法」です。ざるで水(悪行為)は掬えない。せめて「ゴミ」くらい掬いたいですよ)

 (校門、それを見るだけで、ぼくは嫌な気分に襲われ、引き返したくなります。「校門」は「校則」のシンボルです。それを乗り越えることが入学初日に抱いたぼくの祈願だった。成長したいという人には、それは「邪魔門」であり「邪宗門」ですし、自分で何かができる人には「無門」「要らぬ門」「余計門」だ。偉そうな教師たちは「馬鹿門」ですね。「校門」とは、学校の顔であり、その「冷鉄」な表情はなんと「刑務所」「拘置所」「病院」などに酷似していることか、ぼくはたくさんの「冷鉄の顔」写真を所有しています。明確な理由があるんですよ、酷似している点には。それはいずれの機会に)(右上は山田無門さん) 

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと 下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです