
【越山若水】江戸川柳は庶民の暮らしぶりを見事に反映している。今の時期なら、年の瀬の慌ただしさを面白おかしく詠んだ名句も多い。その中から一句。「大三十日(おおみそか)ここを仕切ってこう攻めて」▼年末はツケで買った勘定の決済日。借金取りが集金にやって来るが、支払うお金がない。何とか来年まで引き延ばしてもらおうと、あの手この手で攻防戦を繰り広げる。「ここを仕切って…」の名調子は「忠臣蔵」九段目に出てくる文章を拝借した文句取りだという▼さらに一句。「餅は搗(つ)くこれから嘘(うそ)をつくばかり」。正月の餅は準備できた。後は借金取りさえ撃退すれば、年越しができると都合のいい解釈。「つく」の語呂合わせも遊び心がある。宵越しの金は持たねえという江戸っ子だけに、懐具合はかなり厳しかったようだ▼わが日本の台所事情も相当に苦しい。来年度予算案の一般会計は106兆円を超え過去最大に。新型コロナウイルスの対策費、高齢化に伴う社会保障費の増大があるとはいえ、国債発行額は43・5兆円に達し、地方を合わせた債務残高は1200兆円に膨らむ見通し▼借金額は国内総生産(GDP)の2倍以上に当たる。一部には、政府保有の資産があり、この程度の国債は問題ないとの見方もあるが、増える一方の赤字に不安が募る。せめて「ここを仕切ってこう攻めて」と、財政健全化の算段は示してほしい。(福井新聞on line・2020年12月22日 午前7時20分)
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【天風録】だしは「取る」のではなく「引く」ものだと、京都の料理人に教わったことがある。昆布やかつお節のうま味を引き出すとの意味合いらしい。それに上品なだしは、食材が持つ本来の味を存分に引き立ててくれる▲「煮る」と「炊く」の違いについては、うかつにも聞きそびれた。いずれにせよ、引いただしで煮たカボチャを、京風に「ナンキンの炊いたん」と言って出されると、それだけで、いただく前からわが舌は喜んでいる▲煮ようが炊こうが、焼いても揚げても、どう調理してもカボチャはおいしい。スープやお菓子になると、さりげない甘さにほっとする。舌だけでなく体全体が喜ぶ気がするのは、ビタミン類を豊富に含むためだろうか▲風邪は「ひく」のではなく「防ぐ」ものだと、昔の人が教えてくれる。冬至のきのう、皆さんもユズ湯につかり、カボチャの滋味を堪能されたことだろう。風邪だけでなく、新型コロナウイルスも退散してほしいもの▲年は「取る」のであって「引く」ことはかなわない。あまりに急な感染拡大に、戸惑うことばかりの年の瀬でもある。それでも新しい年を前向きに迎えたい。これから一日一日と、明るい昼が長くなっていく。(中國新聞「天風録」・2020/12/22 6:36)
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「おしつまりました」というのが年末に見られた、なんでもない挨拶だった。さらに年の瀬が迫ると「いよいよですね、よいお年を」と、誰彼にとは言いませんが、言葉を交わしたものでした。ぼくのような不愛想で無粋な人間でも、そのような挨拶を「出し惜しみ」はしなかった。ところが新年が明けると、やっぱり誰彼なく「おめでとうございます。今年もよろしく」と言い合うしきたりに、ぼくはいやいや参加していた気がする。「何が目出たい」というセリフが喉まで出かかるのです。さらに言えば、無精者の特技でしたか、「年賀状」を書くのが嫌でした。もちろん、世の付き合いでしたから、出すには出しましたが、戴いた方だけに返事を書くようにしていました。こんな人間でも数百枚は、毎年郵便受けに入っていたものです。しかし、それもかなり前から、ぼくは一月中は返信の挨拶状も出さなくなりました。「新春」迎春」「賀正」「謹賀新年」という偽物の心情を、知りながら書く(印刷する)のがたまらなかったからです。

ぼくは今でも旧暦をこよなく愛していますので、思いついたのが「立春」に合わせて、遅ればせの「新年のあいさつ」を出すことにしたのです。年の暮れはあわただしいという生活はしていませんから、書こうと思えば書けるのですが、「旧年中はお世話になりました」「本年もよろしく願います」というニセ(ウソ)の感情を言葉にするのが不愉快でした。だから、「そうだ、立春にしよう」と、以来何年もこの悪習を継続しています。こんな人間でさえ戴く「年賀状」ですから、早々に返信が礼儀なのですが、なんとも無礼がぼくの心情というか特技です、「不義理よ、今年ありがとう」と、いかにも礼儀知らずを押し通してここまで来たのです。

「餅は搗(つ)くこれから嘘(うそ)をつくばかり」とはいかにも年の瀬の見慣れた風景だったそうです。ぼくは落語でそれを堪能したのでした。「借金取り追い出し屋」のような商売も流行ったり、「芝浜」のかみさんような、夢のまた夢ですけど、正直者に神宿るというような嬉しい元気が出る話も江戸っ子の趣味(情緒)だったかもしれない。もちろん、庶民ですよ、主人公は。
さて、「嘘は搗く」のか「嘘を吐く」のか、いずれにしても一年余にわたり国会で搗くだか吐くだか、その嘘を練った段階では元地検の検事も悪知恵を働かせる場面に加わり、秘中の秘を指図をしたそうだ。この問題が浮上する段階で「虚偽答弁第一(で貫くという)脚本」は出来上がっていた。それに弁護士(こういう場の役柄をどう考える?やも元検事も加わって、共同謀議。それを承知で東京地検は不起訴だってさ。さらに後援者が払った宴会の費用の不足分を補填した「金員」が、「怪しい筋」から出ているとも。それもこれも知った上で、「臭いものにふた」となりそう。ぼくはこいつが刑務所に入ろうがどうしようが、興味はない。でも「嘘八百」の落とし前だけはつけたい。さて、どうするか。
現総理とやらも同伴・同罪ですね。知らぬ存ぜぬどころか、お前さんも「脚本書き」のご一人だったじゃないか。この程度のカスがそろって内閣だ国会だといい、霞が関界隈がどうだこうだと喧(かまびす)しい、毎年の暮れ。ようするに永田町は「ゴミの集積所」であり、霞が関は「カスの集会所」に他ならない。それに有象無象が入れ替わり立ち返り、離合集散、つかず離れず。その度に、賄賂の金は落とすは、ただでさえあるかなきかの評判は落とす、で今年も暮れる、という惨憺たる始末。

出汁(だし)は取るのではなく、引くというコラム氏の「奥義」はなんだか「嘘」くさい。こんなところにまで嘘がはびこっているんだと思うと、書くもの、読むもの、みんな嘘じゃんと言いたくなる。取るも引くも、どちらも使っていますよ、ぼくだって。面倒は言いませんが、食材に応じた「ダシ」の種類によって取ったり引いたりするんですね。どれが正しいという正解はない。台所は教室じゃないし、教師は「あなた(自分)」ですから、取ろうが引こうが、いいじゃありませんか。いいダシが出ているというのは「食べる人」で、いいダシを引こうかというのは「料理人」です。言い方はそれぞれです、旨ければどちらでもいいんです。和食は引き算、洋食は足し算というのかどうか。

で、「嘘・うそ・ウソ」の方です。中条きよしという歌手が歌っていました、「うそ」(山口洋子詞・平尾昌晃曲・1979)。女は嘘つきというテーマ、まるでどこかの女性議員の言い草のような歌。それぞれの最後に「哀しい嘘のつける人」「冷たい嘘のつける人」「優しい嘘のつける人」とあります。袖にされた男は未練たらたら、戻ってきてよと、哀願調の女々しい男歌でした。国会でウソを貫いた「嘘も方便男」はどんな嘘をついてきたか。悲しくもなければ、冷たくもない、ましてや優しい嘘ではさらさらなかった。要するに「庶民を愚弄」する嘘であり、(自己保身」のための嘘であり、「他人(秘書)を貶める」嘘であり、まことに救い難い、卑しい限りの虚言でありました。この御仁が総理になると聞いた時、世も末だと、ぼくは書きもしたし、話もしました。それでどうだというのではありませんが、これを担ぐ連中がもっとも悪かったんです。
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ほとんど毎日のように、かみさんと運動がてら買い物に出かけます。行くところは数か所(スーパー)。師走に入って一か所の掲示板にへんてこなポスターが出されていました。ぼくはまったく知らなかったから、腹を抱えて笑いました。エレベーターに乗ると、そこにも同じポスターが。テレビに「ご無沙汰」していると、時代は確実に動いていくんですね。まるで本物そっくりというのではない、本物以上に面白いと、驚いたんです。芸名がえげつない。坂本冬休み。「新曲キャンペーン」とありました。新人歌手かと思ったらベテラン。ぼくだって冬美さんは知っていたから、さらに興味が湧きました。残念ながら、本番は都合が悪くいけませんでしたが、この「真贋定かならぬ」緊張感に、ぼくは満足、いや感心しました。両者並存しているんですね。

今は「真贋が相並ぶ時代」なんです。それでいいんです。真があるから、贋も蔓延る。いかにも時代だなあと感じたのは、家でたまたまネットを見ていたら「冬美と冬休み」が共演している場面に遭遇したからです、どっともどっですね、いいですよ、どちらも。嘘つき男とは比較を絶していいね。物真似と言いますが、ニセモノの方には、きっと本物よりも才能がいるのではないですか。納得すれば、なんでも「本物」ですよ。あえて種明かしするのは愚の骨頂ですな。詐欺被害の嫌なところは、後で気が付くからです。気が付かなければ、いいんです。「知らぬが仏」というじゃないですか。(「知れば腹も立つが、知らないから仏のように平静でいられる。また、本人だけが知らないで平然としているのを、あざけっていう語」デジタル大辞泉)

国会の嘘つき男、彼の挙動を見ていると、悲しさを通り越して、やりきれない気持ちになります。この「馬鹿」を利用し、踏み台にしてのし上がる、それで満足するという埒もない連中がこの国を席巻し、ついには破壊してしまった。加えて、官僚までもが嘘をつき、埒外の道なき道を奔走しているのです。誰のため、何のための政治であり、行政であるのかと思えば、泣くこともはばかられる。ひたすら気を取り直すしかないのですが、さて立ち直れるか。押しつまりましたなあ。
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