片雲の風にさそはれて、漂泊の 思ひやまず

                (2020/01/06 Issei Kato / 神田明神)
(2020/11/18Getty Images・品川駅)

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 余すところ十日足らず。なんとも足早に「時日」は過ぎ去り行くことか。ことのほか、今年は脱兎のごとくではありませんが、まるで、ブレーキの壊れた暴走車の如くに、光陰は、わが頭上を駆け抜けていったという気がします。

 「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして 、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の 思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、や ゝ年も暮、春立る霞の空に、白川の関こえんと、そヾろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につかず、もゝ引の破をつヾり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、

  草の戸も住替る代ぞひなの家

 表八句を庵の柱に掛け置く。

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 元禄二(1689)年、春弥生。芭蕉四十六歳の砌。先駆する西行の五百年忌に際して、曾良と二人で江戸を発つ。三百三十年前のことでした。いったいに、芭蕉の時代と今日、時の進み具合(時刻)が変わる筈もありません。いや、科学技術が何よりも進んだ時代だから、時間もまたやたらに早く過ぎ行くようになったといいたいけれど、それはありません。芭蕉が江戸を発ち、半年をかけ東北・北陸を巡り、九月に旅を終えた(さらに歩き通して、二年後に江戸にもどる)。その足跡は稀有な紀行文「奥の細道」となって残され、さらに各地に今にその軌跡として「幾多の石碑」が残されました。翻るのはよろしくありませんが、さてぼくたちの一年には何が残されたか。

 「鬼滅の刃」という奇異な漫画が席巻したのは、いかにもコロナ禍の時代状況に見合っていたのかもしれません。ぼくには「鬼滅の刃」は荷が重すぎます。これはいかにも悔しいのですが、、早い段階から漫画を読むという楽しみを忘れてしまったのが、ぼくの不覚と言えばその通りでした。covid-19は文字通り、地球を席巻しました。あるいは征服したといっていいのでしょう。今になり、ワクチンが投与開始となりましたが、敵もさること、変異に変異を重ねて、まるで正体を現さないのです。対するに、各地の政府や行政者は手を拱いて傍観するほかに能がなさそうな、いかにもという、放心状態にあります。

 医者の団体が「緊急事態宣言」を出そうが、自衛隊が出動しようが、いっかなその威力は衰えを見せてくれない。出口は見えない、亡くなる方も増加の一途をたどっています。「日本モデル」とあろうことか、世界に向けて虚勢や虚言を放ったのも今春でした。五輪はやむなく中止と、喜んだのもつかの間、馬鹿どもが「一年延期」だと、生半可なことをする。まるで税金泥棒の延命ではないですか。人が動けば感染が広がるという「エビデンス」はないと、成り上がりが宣ったのもつかの間、それこそ朝令暮改の見本のように、愚策の連続投入でした。その挙句、これぞ決定打というものはなく、一枚の図案を出すしか方法はなかったようです。大山鳴動鼠一匹、というか、コロナ暴走イラスト(愚にもならぬものです)一枚。

 大枚の税金を使って、日に日に感染者を増やし死者を増やし、国の借金を増やし倒産会社を増やし失業者を増やし、あれも増やしこれも増やし、…、留まるところを見つけられないで、今年も暮れる。

 年が改まれば、コロナも退散してくれるという約束はない。結局は「神頼み」「仏詣で」に奔走するのでしょうが、「避けよ、三蜜」とばかり、リモート参拝となるのでしょうか。初詣も、命がけです。ご利益がありますように。

 季節外れの三句を(「奥の細道」より)

 有難や雪をかをらす南谷

 むざんやなの下のきりぎりす

 名月や北国日和定なき

 マスクは人の表情を一変させますし、集団の景観も変えてしまう。マスクが外れる時が来るのでしょうか。あるいはもう二度とぼくたちはマスクを放せなくなったのでしょうか。(元来、ぼくたちは仮面をつけて生きているんですよ)人というものは、好む好まないにかかわらず、芭蕉に倣えば、「日々旅にして 、旅を栖とす」る存在でもあるのでしょう。「旅に行こう( go to トラベル )」と銘打ったのはまさか電通ではないでしょうが(あるいはそうかもしれない)、いかにも、現代風で、言い得て妙です。芭蕉の顰(ひそみ)に倣ったのでしょうか。でも自分で旅をするのに、税金はよくないですね。自分の脚で歩き、自分の口で食べ、自分の金で旅をする。

 芭蕉には津々浦々に「スポンサー」がいました。人徳なのか、学徳なのか、才能によるのか。各地の弟子筋は嬉々として師匠を迎え入れたのです。それがないものは、すべからく自給自足(self-sufficiency)に徹するのが一番です。これを「自助」というのか。ちがうでしょう。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。