棲守道徳者、寂寥一時。依阿権勢者、凄涼萬古。

 …友人に洪自誠という者があり、自著の菜根譚を携えてきて私に見せ、その上、私に序文を頂きたいと願い出た。私は最初、あまり気乗りのしない態度でその書物を眺めていた。然しやがて机上の古書を片付け、胸中の雑念を去って、手に取ってその書を読んでみて、すぐに悟った。その姓命の哲理を語るものは直ちに真髄を窮めており、その人間心理を説くものはつぶさに人生の苦労をなめ尽くしており、広大な天地の間に起居しているのは心中の悠々たるさまを見るに足り、世俗の功名をちりあくたのように無用としているのはその見識の高遠さを知ることができ、文章の妙は緑樹や青山のように清新であり、口先からでる言葉はすべて生気のはつらつたるものであることを。その悟りの程度は、もとよりまだ深く信ずることはできないが、述べられている文章によれば、すべて世人を戒め目覚めさせる肝要なものばかりで、耳に聴いたことをすぐ口からだすような軽薄なものではない。譚を菜根と名付けているように、これはもともと清廉で刻苦勉励した生活の中からみがき出され、また人間形成の修練のうちから得たものである。人生の風波にもみぬかれ、その苦難をつぶさになめ尽くしたことを知ることができる。

 洪子(自誠)がいうに、「天が、我にわが肉体を苦しめるように仕向けるならば、我はわが精神を安楽にして肉体の苦しみを補うようにする。天が、我にわが境遇を行きづまらせるようにしむけるならば、我はわが道を高尚にしてつらぬき通すようにする」と。その自ら戒慎し、自ら勉励している点も、伺われる。そこで数語をこの書に冠して、これを世人に公表し、菜根の中(うち)に真の味わいがあることを知らしめたいと思う。     三峰主人 干孔兼が題した

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 すでに何度か触れたことのある『菜根譚』です。著者は洪自誠、その著に「序文」を書いたのが干孔兼。「字は元時、一字景素、三峰主人と号す。江蘇金壇の人。万歴八年の進士。直諫して神宗の怒りに触れて致仕し、家居すること二十年にして天寿を全うしたというので、歿年は万歴四十一年と推定される。」(岩波文庫版の註による)この「序文」はその性格からして、内容を持ち上げるものであるのは当然で、だからこの著は素晴らしいというけれども、果して、そうかそうでないかはという判断、一読の後に生まれるのでしょう。ぼっくは再読三読して、まだ読み立ちないというより、著者洪さんの生きた時代や社会がまったく見当もつかないものである以上、それなりの価値判断はまだできていないのです。

 だからこれからも読みつづけるほかないような「清言」ではあるのです。若くして才能を発揮し、「述べられている文章によれば、すべて世人を戒め目覚めさせる肝要なものばかりで、耳に聴いたことをすぐ口からだすような軽薄なものではない。譚を菜根と名付けているように、これはもともと清廉で刻苦勉励した生活の中からみがき出され、また人間形成の修練のうちから得たものである。人生の風波にもみぬかれ、その苦難をつぶさになめ尽くしたことを知ることができる。」あえて推量を働かせれば、洪さんの生き方には凡人の端倪すべからざる苦渋から仕入れた、そこを通り越した結果からしか生まれてこない、人世の平穏の境地を活写しようとしたものでしょう。

 (● 進士=中国で、科挙の試験科目の名称。のちに、その合格者をいった。律令制で、官吏登用試験の科目の名称。また、その合格者。平安時代、(科挙)に合格した文章生 (もんじょうしょう) のこと。(デジタル大辞泉)(● 致仕=官職を退くこと。また、退官して隠居すること。 《古く、中国で、70歳になると退官を許されたところから》70歳の異称。(デジタル大辞泉)

 改めて、『菜根譚』と作者洪自誠について述べることはしません。肝心なのは書かれている内容ですので、それを再読三読、味が出てくるまで読むことが大切ですね。「読書百遍義自ら見(あらわ)る」とい姿勢を貫くのが何よりなのでしょう。ぼくはいまだに経験したことがないのです。百篇というのではなく、それくらいに回数を課k左寝て読むことなんですよと、いうのではなさそうです。とにかく百篇、「よくわからないところが、おのずからわかってkるのです」ということなら、学校などではおよそあり得ない、読書の方法だといえます。一回読んで分かりましたと、いうのは読書に値しないことなんでしょうね。「意の通じないところ」が通じてくるんだという、まるで自然生薬の「便秘薬」みたいです。

(●「魏志‐王粛」の注に引く「魏略」の「人有従学者、遇不肯教而云、必当先読百徧、言読書百徧而義自見」による) 文意の通じないところのある書物も、百遍も繰り返して熟読すれば自然に明らかになるの意。)(精選版 日本国語大辞典)

 これまでに同じ書物を百篇も読んだことは、ただの一度もありません。したがって「義自ずから見(あらわ)る」、その言わんとするところが「自然にあらわれてくる」という経験をしたことはない。一回読んだだけ、二回目を通しただけで、いい加減に、勝手な「解釈」や「説明」をつけて、分かったつもりになっていたというのが実際でした。それで通用したのかどうか、自分では判然としませんが、何かの謗りや障りを受けたこともないので、こんなものだという世間に妥協してきただけでした。もう少し早く、気が付けば、読書から得るものは大いに違ったものだったろうと、後悔ではないが、もう一度やり直しましょうかという気になるのです。

 もちろん「読書百遍…」という言葉は知っていました。知ってはいるけど、それをじかに経験してみたことがないということを、いまさらに考えさせられています。いったい「読書」とは何だろうと、ここに来て立ち止まっています。要領がよければ、なんだって情報として得られる時代の、大きな落とし穴ですね。百篇読んでみたいとは思いますが、さて、それが『菜根譚」になるのか、ぼくにもわかりません。

● 『菜根譚』=中国、明(みん)代の末期に流行した「清言(せいげん)」の書。著者洪応明(こうおうめい)は、字(あざな)は自誠(じせい)、還初道人(かんしょどうじん)と号し、万暦(1573~1619)ごろの人。四川(しせん)省成都(せいと)府の出身。儒教的教養を基礎とし、そのうえに道教、仏教に通じて三教兼修の士となることは、明代中期ごろからの流行であったが、著者はその優れた一人であった。本書は、前集は222条、後集は135条、合計357条の「清言」からなる。前集は、主として世間にたち、人と交わる道を述べて、処世訓のような道徳的な訓戒のことばが多く、後集は、自然の趣(おもむき)と山林に隠居する楽しみを述べて、人生の哲理や宇宙の理法の悟了を説くことが多い。この人生の哲理、宇宙の理法は、儒仏道三教に通じる真理であり、それを語録の形式により、対句(ついく)を多用した文学的表現をするのが「清言」である。書名は、宋(そう)の汪信民(おうしんみん)の『小学』における「人常に菜根を咬(か)みうれば、すなわち百事をなすべし」からとったものである。中国よりむしろ、江戸末期の日本で多くの人に愛読された。洪応明にはほかに『仙仏奇蹤(きしょう)』4巻(『消揺嘘(しょうようきょ)』『長生詮(ちょうせいせん)』『寂光境』『無生訣(むせいけつ)』各1巻)の著がある。(日本大百科全書(ニッポニカ)の解説)

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 棲守道徳者、寂寥一時。依阿権勢者、凄涼萬古。達人観物外之物、思身後之身。寧受一時之寂寞、母取萬古之凄涼。(前集 一 )

 (道徳に棲守する者は、一時に寂寞たり。権勢に依阿する者は、万古に凄涼たり。達人は物外の物を観、身後の身を思う。むしろ一時の寂寞を受くるも、万古の凄涼をとる事なかれ。)

 「人生に処して、真理を住みかとして守り抜く者は、往々、一時的に不遇で寂しい境遇に陥ることがある。(これに反し)、権勢におもねりへつらうものは、一時的には栄達するが、結局は、永遠に寂しくいたましい。達人は常に世俗を越えて真実なるものを見つめ、死後の生命に思いを致す。そこで人間としては、むしろ一時的に不遇で寂しい境遇に陥っても真理を守り抜くべきであって、永遠に寂しくいたましい権勢におもねる態度を取るべきではない。」(以上は岩波文庫版による)

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 これを処世訓と理解すれば、とてもじゃないけど、自分には縁が遠い話ですね、と済ましてしまうかもしれない。「真理を住みかとして生きていく」なんてできるはずもない。過ちの繰り返しであり、失敗して初めてそれが間違いであったと知るに至る。後悔ばかりが攻めてくるというのが、ぼくらのような衆生の人生でもあるでしょう。でも、だからこそ、せめて「権勢に阿り諂う」ことを潔くせず、「時には冷や飯を食らう」ことがあっても食べられるだけで儲けものと、抵抗も掉さすこともしないで、権勢を遠ざけるに越したことはなさそうです。

 ぼくは何度目になるか、書棚から『菜根譚』を引っ張り出しては読んできました。もちろん、異国の人、五百年も昔の「達人」の「清言」ですから、耳には心地よく響きますが、さて、生活はどうすると、下世話な心配をするほかないという情けない話です。「真理を守り抜く」という、その真理とはなんであるかが、ぼくにはよくわからない。若いころはドイツ哲学、実存哲学という迷路に、好き好んで迷い込んだりしましたが、そこから何を学んだか、時間の浪費に終わったようです。これでも哲学や宗教の入門書を抱えた時期もあれば、あえて難解な書物に立ち向かうという無駄な道草を食ったりしましたが、そこから得た結論は、まあ、身の丈に合った生き方をしなはれ、ということでした。(根菜類 右上)

 「達人は常に世俗を越えて真実なるものを見つめ、死後の生命に思いを致す」といわれて、世俗に沈没している身としては、抜き手をやめるわけにもいかず、「死後の生命」に心を寄せよといわれて、さて生きている今が精いっぱい、それなのに「死後」も「午後」もあるものかと、訝しくもあり、歯がゆくもあるのです。「真理」「物外の物」「身後の身」と面倒そうな語が並んでいますが、「道徳」という目に見えず、手で触れられないものを頼りに、「物外の物」、つまりは世俗を越えた真実に目覚めて、いのちの永遠を思いなさいというのでしょうか。えいっ、面倒な。「果報は寝て待て」、あるいは「棚から牡丹餅」というのはジャンボ宝くじなんだ。当たる確率はゼロに近いんだよ。地道に働き、お天道さんに恥じないように生きな。きっと洪先生の言われるのは、こんな所じゃないですか。(当たらずとも遠からず、かな)

 「死んで花実が咲くものか」といい、「命あっての物種」といい、「命に過ぎたる宝なし」などと言います。志ん生はよく「死ぬ者貧乏」と言っていました。さて、生きると、死ぬと。これがつながっているのか、切断されているのか。「死んだら、お終い」と言いますけれど、何がお終いなのか。生きている道の先に、つづいて死の道が始まると考えれば、「思身後之身」もまた、生命の続きであるともいえるのでしょう。「生」と「死」の間に「料金所」はないんですね。ひとつながり。多分、ここに述べられているのは「処世訓」と言ってもいいのでしょうが、一回読んで、自分の人生の「生き方」の参考にしようという魂胆では、まず何かを得ることはできないと、ぼくには思われます。「ここに人あり」と実感できるところまで読んで深める、それが出来れば、なにがしかが自分の中に入るのではないでしょうか。(根菜の味噌煮 左上)(また、いずれかの日に続くはず)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。