
滴一滴「マスクの着用を客にお願いしたが拒否され、食べていたお菓子を散らかす、机をたたくなどの行為を繰り返された」のはホテル・レジャー施設の従業員。「レジで商品をスキャンする際、ペットボトルのふたの部分を持ったところ『汚い手で触るんじゃねえ!』と怒鳴られた」のはドラッグストアの店員▼新型コロナに関連して従業員が客から理不尽な嫌がらせを受けた「カスタマーハラスメント(カスハラ)」の事例だ。流通やサービス業の従業員が加盟する労働組合UAゼンセンが先日発表したカスハラに関する調査結果には、こんな実態が記されている▼調査は7~9月に組合員約2万6千人に実施。5人に1人がコロナ絡みのカスハラを受けていた。「品切れ時に『どうにかしてマスクを買ってきて並べろ』と八つ当たりされた」などマスクに関する迷惑行為が目立ったという▼コロナに限らず、過去2年間の被害を聞くと、体験者は約6割に上った。精神疾患を発症したり退職に追い込まれたりと深刻な影響も少なくないとされる▼調査によると加害者の7割強は男性で、推定年齢も50代以上が7割だった。以前コンビニで見掛けた、店員を大声で叱りつけていた高齢男性の姿を思い出す▼年末に向け、気ぜわしさが増す時季だ。わが心はささくれ立っていないか。胸に手を当ててみる。(山陽新聞デジタル・2020年12月18日 08時00分 更新)

ささくれ立つ=物の先端や表面、また、つめの周辺の皮などが細かく裂けたり、めくれたりすること。また、そのもの。さかむけ。(デジタル大辞泉)「ささくれ 立っている」人がやたらに多いのはどうしてでしょう。いろいろなことが考えられるし、時代全体、社会全体が「ささくれ立っている」のですから、その一員である個々人がなにかにつけて「ささくれ立つ」のも道理であるとも言えます。「カスハラ」という語、これも相当前から使われていたし、言葉で表される内容(実態)は、神代の昔からあるにちがいありません。はじめて耳にした時、新しいイモリかなにかだろうと錯覚しました。アカハラも、同じように響いた。
ハラスメント【harassment】という外国産の言葉が使われだしたのもかなり以前からでした。その言うところは、(弱い者への)嫌がらせ、(弱い者)いじめに当たりますが、これがセクハラ、パワハラ、アカハラ、マタハラ、そして今ではカスハラにまで応用範囲が拡大しています。これをどう見るか。その昔「不機嫌の時代」という本を書かれた方がいましたが、ハラスメント拡大現象は「不機嫌」の蔓延とは異なるようです。迂闊なことを言うつもりはありませんが、「弱者への暴力」がさまざまな場面で演じられているといったらどうでしょう。今や、全国いたるところにある五万店ものコンビニに「カスハラ」が出現するという、まことに壮観な悪景色です。カスハラなる「弱者虐待」、こんなのが流行る時代や社会は碌な代物ではない。
「弱気を助けて強きをくじく」という「任侠(仁侠)道」が廃れてしまい、みんながまるで緩やかな組織的暴力団の一員のような錯覚を持ってしまった時代だといえばどうでしょう。変なことを言うようですが、「(任侠とは)弱い者を助け強い者をくじき、義のためならば命も惜しまないといった気性に富むこと。おとこ気。「―道」」(デジタル大辞泉)と説明されています。その通りで、まあ人間というのも所詮は「やくざ」な生き物で、それ(出鱈目・弱肉強食)を貫き通すと「ささくれ立つ」から「任侠の道」が説かれてきたのではないでしょうか。「無道」は、一面では平等状態を意味するかもしれないが、それが過ぎると「強権(狂犬)社会」に堕ちてしまう。

基本的には「ささくれ立つ」のは男です。「任侠」は男衆の世界に通用した価値観であり、人生観(世界観)だった。「義理が廃れば、この世は闇だ」と、声涙下る調子で歌ったのは村田英雄さん。尾崎士郎氏の「人生劇場」はいつの時代にもあるのです。「男心は男でなけりゃ」「わかるもんかとあきらめた」と謳う。要するに、男が粋がって(ささくれ立って)いたのに、いつの間にか、その男社会に女も加わって、右に左に「ささくれ立つ」のが当然のように、堅気に、しかも弱い者とみなして「文句」を垂れ、「嫌がらせ」「いじわる」をして、憂さを晴らす時代なのです。それだけ、イライラ、鬱々しなければならないような「ストレス」の抑圧に抗しきれない時節にあるというのでしょう。余裕も遊びもない社会は、ともかく住みづらいのです。(左上は厚労省製看板)
テレビや新聞、週刊誌などにはこれでもかというほどに、「特権階級」気取り(まがい)が好き放題をしているのに対して「ガス抜き」を偽り「批判や非難」の雨あられを降らしているという風潮です。悪いことじゃありませんが、誰もかれもが「強いものをくじく」振りして、その実は「忖度」し、実際には「弱い者」を徹底的にいじめ倒しているのです。「だれだれの不倫」「何某が薬物」と大騒ぎ、その陰できっと悪がのさばっている。まるでマスコミは目くらましの役割を担っているようです。不倫だ薬中だと言えた義理ですか。それに毒されて、ぼくたちまで「非難嗜好症促進毒薬」を飲まされてしまったんです。そして当たるを幸いに「晴らす晴らす」ではなく「ハラスハラス」に及ぶという仕儀に至っていると、ぼくは見ています。ぼくもいささか「カスハラ」の気(症状)がありますから、病症は手に取るようにわかるんです。

でもどんなに世の中がひっくり返ったって、「強きをくじき、弱きを助ける」とはならないのが定め。任侠の道は「廃れ」、生まれてきたのは「闇の世」です。政界を見よ、官界を見よ、電通を見てみなさい。「廃れた仁侠道をまっしぐら」です。なぜ、電通を切らないか、批判しないか。めったやたらと切りまくる相手が「弱い者」じゃ、話にならぬという以上に、「強者の味方」にしてくださいと三拝している、卑しい構図が透けて見える。ようするに、世間の「常人」はマスコミの常套姿勢を学んでいるだけなんですね。「弱きをくじき、強きを助ける」、つまりは「弱い者いじめ」一辺倒です。政治・経済・教育・その他、社会の万般において、この現象がきっと見られるのです。じつにいやな、恥ずかしい世の中になりました。
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カスハラ時代の悪質クレームに潰されないための「3だん話法」とは 援川 聡
大きな社会問題となった「カスハラ」
2019年10月24日の毎日新聞一面で、「カスタマーハラスメント」が大きく取り上げられました。/ カスタマーハラスメントとは、顧客(カスタマー)からのクレームが、「お客様の声」として対応できるレベルを超えてハラスメントの領域に達し、従業員が心身ともに追い込まれてしまうことを意味します。 / 同記事によれば、カスハラ被害を受けて精神障害を患った人は、厚生労働省が労災認定した分だけでも、過去10年間で78人にのぼり、そのうち24人もの人が自殺していたことが判明しました。/ 度重なるクレーマーからの不当な言い分を聞きながら、日々の業務を遂行しなければならないという「がんじがらめで逃げ場のない」状況が、自死という悲劇を引き起こしてしまったのです。
現在、カスハラが大きな社会問題となっているのは、多くの被害者が存在するからです。また、「いつ、自分に降りかかってくるかわからない」という潜在的な不安も増大しています。/ 一見、善良な市民である「隣人」が凶悪な事件を起こすという現実を前にして、「体感治安」は日々悪化していますが、クレーム対応でも同じような不安感が蔓延しているのです。
カスハラが人手不足を加速させる

本来、お客様からのクレームの多くは、サービスの向上に役立つ「ご意見・ご指導・ご要望」であるはずですが、いまや過剰なホスピタリティに慣れすぎた消費者が、「行き届いたサービス」を求めてモンスター化しています。/ サービスを提供する側が、顧客満足(CS=Customer Satisfaction)を追求すればするほど――便利な世の中になればなるほど――お客様の「満足」のハードルは高くなり、些細なことで怒りを爆発させる「モンスタークレーマー」が増加しているのです。/ たとえば、少し待たされることも許容できないほど、「我慢できない人」が増えています。また、ネットやSNSの急速な普及によって、瞬時に情報が拡散する社会になっています。(https://diamond.jp/articles/-/225259?page=2)(2020/01/08)
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「過剰なホスピタリティに慣れすぎた消費者が、『行き届いたサービス』を求めてモンスター化しています」というのは、その通りでしょう。「行き届きすぎたサービス」はむしろ害悪だと、ぼくには映ります。毎日のように買い物に出かけますが。レジで「レジ袋はいかがですか」「ポイントカードはどうですか」「会員カードはありますか」その他、毎回毎回、同じことを聞かされる。ぼくはいつでも無返答です。必要ならばこちらから要求するから。これが「不機嫌」とか「不愛想」とされるのでしょうが、それで結構。機嫌よくすれば「値段が下がる」わけじゃないだろうに。過剰サービスは「無サービス」に等しい、ぼくには。「ガキ扱い」を親切、やさしさとか思いやりと勘ちがいしている。現場に出る、その前の基礎教育がなっていないな。
今はまず入りませんが、うんと昔(四十年ほども前)、ファミレスに家族で入った際、お姉さんやおばさんが「四人さまですね」ときっと聞く。「君はバカか、六人に見えるかよ」と思いもし、直に言いもしました。「ご注文をご確認させていただきます」と言いかけると、それはいい、一人で向こうで「確認してくれ」と言う。ここは保育園じゃないでしょう。過剰は「過小」なんだ。マニュアルに人間のサービス精神を閉じ込めるのが「グローバルスタンダード」なら、ぼくはローカル精神を発揮しますね。意固地だと自分でも思わないわけではないけど、仕方がありません。
顧客を、こんなふうに「馬鹿扱い」するのも、カスハラの、もう一方の理由か。と言って、カスハラを煽るのではありません。顧客を、石ころか丸太ん棒の如くにみなし、「お客様は神さま」みたいな振り、見せかけの「カスタマ―ファースト」が、ついに人心に毒を盛りつけているのです。「客なんてさ、バカ殿よ」

「便利な世の中になればなるほど――お客様の「満足」のハードルは高くなり」というが、それは商売する側からの理屈(不満や不平)であって、客から見れば「自業自得」さ。「過剰サービス」を頼んだ覚えは、ぼくにはありません。ぼくはコンビニにはよほどでないと入らない。「慇懃無礼」そのものの「上辺のサービス」に辟易し、虫唾が走るからです。バイトやパートで人を使うという(人件費を削りに削る)根性が、カスハラに無関係だとは思えません。
(たった今バイトに応募した人間が、二分後に現場に出ている、これが仕事かと言いたくなるね。それなりの、マニュアルによらない、客との向き合い方、心構えも、ゴミ箱に捨てられているのです)それがいけないとか、改善してよ、と「苦情」を言うのではないのです。言えば、「こいつ、カスハラや」と指さされますね、きっと。とにかく見せかけの「サービス」や、上辺の「顧客第一」にはほとほと腹も立つのです。個々の現場従業員に対してではなく、こんなニセ商売で「金を儲けよう」とする経営者の魂胆にたいして、無性に怒りが込みあげるのです。(だから、ぼくは入らないし利用しない、そんな店だらけです)

世はおしなべて、「慇懃無礼」真っ盛りの時代です。それで「金を儲けて」どうするのですか。これは「経済戦争」であり、「同業他社撲滅戦争」でしょう。だから、一番被害を被るのは「二等兵」ならぬ「現場要員」です。例えは悪いので気が引けますが、「C級戦犯」を虐めたり苦しめてどうする、「A級B級戦犯」がのうのうと暮らしているじゃないか。カスタマーって何だ。「カスハラ」は、従業員に向かうばかりではありません。客に対して堂々と「カスハラ」する大企業を始め、金の亡者が資本家だってさ、とあほらしくなる。大企業こそ「カスハラ」の真犯人であり、それに集(たか)っている政官財の「三クズトリオ」が「弱きをくじき、強きを助けている」、「この世は闇だ」(佐藤惣之助)というほかない。(銀行や百貨店をはじめ、あらゆる客商売の業界では隠語があって、客を「ゴミ」「カス」呼ばわりしている。これぞ「カスハラ」だね、外に向かって何かを言う前に、まず隗より始めな)慇懃無礼-慇懃=無礼、時代はこっち(ただの無礼)の方に加速度的に邁進しています。
●慇懃無礼=[名・形動]表面は丁寧で礼儀正しいように見えるが、実は尊大で無礼なこと。また、そのさま。慇懃尾籠 (いんぎんびろう) 。「慇懃無礼な態度」(デジタル大辞泉)
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当節、「ささくれ立つ」のは当たり前です。「ささくれ立たない」のは、よほど隠れて甘い汁を吸っている輩にちがいない。でも、「ささくれ」が「弱者」にばかり向かうのは「ささくれ」とは言わず、弱い者いじめです。それは情けない限りで、しない方がいいよ。(これと勘ちがいして、過ちや無礼を指摘するのを「カスハラ」と受け取る向きがおおいにあるのも、情けないですね。「お客様苦情係(部門)」はどこの会社にもあるでしょう。「苦情」という語を使って恥じないところは、何かを象徴しています。ぼくはだれかれなしに「おかしいこと」「納得できないこと」「明白なまちがい」には、黙っていない。きっと「おかしいね」と「苦情」だか「指摘」だかを口にする。相手を思えばこそです。それを「カスハラだ」といってみなさいよ、「何をヌカス」と「腹中」に怒りがわいてくるのが、表情にも現れますね。この習性は、若い時からです。
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