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●于武陵(読み)うぶりょう(英語表記)Yu Wu-ling [生]元和5(810)[没]?
中国,晩唐の詩人。本名,鄴 (ぎょう) 。武陵は字。進士となったが,官を捨て各地を放浪し,孤高の生活をおくった。「人生別離足る」の句で終る五言絶句『勧酒』が有名。(ブリタニカ国際大百科事典)



コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
(井伏鱒二『厄除け詩集』)
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ぼくは桜大好き人間です。小学校の頃から、ずいぶんと桜について自己流の勉強もしました。誰に強いられたわけでもなく、ただ好きだからというだけの理由で、方々に出かけて、山中に迷い込んではたった一人で桜に対面したこともある。「花見」などというのは嫌いです。第一に、人混みが苦手だからだし、桜の花にだけ「酒や肴」で大騒ぎするのはまったく無粋じゃないですか。「花より団子」派でもありません。一人静かに観桜、一人ゆっくり手酌にかぎる。古今亭志ん生の「まくら」に上野の花見風景があります。「おめえ、上野に行ったんだって」「とにかく、すげえ人出で大変だったよ」「で、桜はどうだってえ」「見なかった」と。

新宿御苑も半世紀前くらいには毎年のように出かけました。花見じゃありません。学校の近くだったから、散歩のついでにといった具合でした。(ここは江戸の昔は「内藤新宿」と言って「花街」でしたね。だから人だかりがするんだろうか)昨年からの一年半、この島では「桜を見る会」疑惑問題とやらが国会で問題になり続けてきました。まだ片が付いていません。司直の手に渡ったようですが、その手も汚れている。それはどうでもいいんです、ぼくには。この「見る会」とやらで、桜を愛でている人間はどこにも、一人もいないというのは、桜に失礼じゃないか、そう思うだに腹が立つ。バカは高いところに上るだけではないね。人のいるところに寄りたがる。孤独に耐えられないのかねえ。
「馬鹿三態」のように「お山の大将気取り」の小心者を切り取った絵を並べました。年々歳々、バカが深まっていくように感じられます。来年は中止だとか、続けるといいですね、バカの定点観測です。ぼくはこの絶景を見ていて、五十年、七十年後には、誰もこの世にいないじゃないかと、おもわず我に返る、粛然となるんです。たった「一瞬の人生」のために、嘘をつき通すのも人生、悪を重ねるのも人生、ささやかに世に住むのも、海を見ず、飛行機にも乗らないで過ごすのも、また人生。三日見ぬ間の桜かなと言いますように、ほんの一瞬の人生だから、、どうしますか、と問われているですね。(「方丈記」冒頭 右上写真)
そしていつも、こんな物思いにふけるときは、きっと于武陵です。「勧酒」というのはどういう心境であり、どんな場面だったか。詳細不明の人生を送った人でしたが、「官を捨て、孤高の生活を送った」というところに、若いころから魅かれていました。ぼくは放浪はしませんでしたが、気持ちの上では「いつでも放浪」「春放浪の花の山」でした。この五言絶句には井伏鱒二さんが似合います。(井伏さんについても、どこかで触れてみたいですね。ずいぶんと教えられましたから)太宰治の師匠格でした。太宰が自死した時、「この程度の小説を書いておいて、自殺するなんて(生意気だ)」と放言(失言)したのは有名な逸話。
一言二言、いや四言五言で、世態のあまりの醜悪さに、絶句というのですか。
「サヨナラ」だけが人生、これもまた、一詩人の人生観です。ひとそれぞれの「サヨナラ」がある。
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いらぬお節介を焼くようですが、「桜」について云々するなら、ぜひとも一読を。
桜の樹の下には 梶井基次郎
桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。
どうして俺が毎晩家へ帰って来る道で、俺の部屋の数ある道具のうちの、選りに選ってちっぽけな薄っぺらいもの、安全剃刀の刃なんぞが、千里眼のように思い浮かんで来るのか――おまえはそれがわからないと言ったが――そして俺にもやはりそれがわからないのだが――それもこれもやっぱり同じようなことにちがいない。
いったいどんな樹の花でも、いわゆる真っ盛りという状態に達すると、あたりの空気のなかへ一種神秘な雰囲気を撒き散らすものだ。それは、よく廻った独楽が完全な静止に澄むように、また、音楽の上手な演奏がきまってなにかの幻覚を伴うように、灼熱した生殖の幻覚させる後光のようなものだ。それは人の心を撲たずにはおかない、不思議な、生き生きとした、美しさだ。
しかし、昨日、一昨日、俺の心をひどく陰気にしたものもそれなのだ。俺にはその美しさがなにか信じられないもののような気がした。俺は反対に不安になり、憂鬱になり、空虚な気持になった。しかし、俺はいまやっとわかった。
おまえ、この爛漫と咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まっていると想像してみるがいい。何が俺をそんなに不安にしていたかがおまえには納得がいくだろう。
馬のような屍体、犬猫のような屍体、そして人間のような屍体、屍体はみな腐爛して蛆が湧き、堪らなく臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。桜の根は貪婪な蛸のように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食糸のような毛根を聚めて、その液体を吸っている。
何があんな花弁を作り、何があんな蕊を作っているのか、俺は毛根の吸いあげる水晶のような液が、静かな行列を作って、維管束のなかを夢のようにあがってゆくのが見えるようだ。
――おまえは何をそう苦しそうな顔をしているのだ。美しい透視術じゃないか。俺はいまようやく瞳を据えて桜の花が見られるようになったのだ。昨日、一昨日、俺を不安がらせた神秘から自由になったのだ。
二三日前、俺は、ここの溪へ下りて、石の上を伝い歩きしていた。水のしぶきのなかからは、あちらからもこちらからも、薄羽かげろうがアフロディットのように生まれて来て、溪の空をめがけて舞い上がってゆくのが見えた。おまえも知っているとおり、彼らはそこで美しい結婚をするのだ。しばらく歩いていると、俺は変なものに出喰わした。それは溪の水が乾いた磧へ、小さい水溜を残している、その水のなかだった。思いがけない石油を流したような光彩が、一面に浮いているのだ。おまえはそれを何だったと思う。それは何万匹とも数の知れない、薄羽かげろうの屍体だったのだ。隙間なく水の面を被っている、彼らのかさなりあった翅が、光にちぢれて油のような光彩を流しているのだ。そこが、産卵を終わった彼らの墓場だったのだ。
俺はそれを見たとき、胸が衝かれるような気がした。墓場を発いて屍体を嗜む変質者のような残忍なよろこびを俺は味わった。
この溪間ではなにも俺をよろこばすものはない。鶯や四十雀も、白い日光をさ青に煙らせている木の若芽も、ただそれだけでは、もうろうとした心象に過ぎない。俺には惨劇が必要なんだ。その平衡があって、はじめて俺の心象は明確になって来る。俺の心は悪鬼のように憂鬱に渇いている。俺の心に憂鬱が完成するときにばかり、俺の心は和んでくる。
――おまえは腋の下を拭いているね。冷汗が出るのか。それは俺も同じことだ。何もそれを不愉快がることはない。べたべたとまるで精液のようだと思ってごらん。それで俺達の憂鬱は完成するのだ。
ああ、桜の樹の下には屍体が埋まっている!
いったいどこから浮かんで来た空想かさっぱり見当のつかない屍体が、いまはまるで桜の樹と一つになって、どんなに頭を振っても離れてゆこうとはしない。
今こそ俺は、あの桜の樹の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑めそうな気がする。(青空文庫・底本:「檸檬・ある心の風景 他二十編」旺文社文庫、旺文社 1972(昭和47)年12月10日初版発行 1974(昭和49)年第4刷発行 初出:「詩と詩論」 1928(昭和3)年12月)
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