

<金口木舌>時代の空気 「法廷は天候に左右されないが、時代の空気には左右される」。映画「ビリーブ 未来への大逆転」に出てくるせりふだ。9月に他界した米国の最高裁判事ルース・ギンズバーグ氏(享年87)の半生を描いた作品▼1970年代、ギンズバーグ氏が勝ち取った裁判に、母親を介護する男性が未婚を理由に介護費用の税金の控除が受けられないのはおかしいという訴えがある。当時、控除を受けられるのは女性と既婚男性のみだった▼「介護は女性が担うもの」という性別役割分業を固定化する法律は、男性にも不利益を与えていることを認めさせた。生涯を通して全ての人の権利を擁護・推進した▼日本にも似た事例がある。婚姻歴のないシングルマザーに、これまで適用されていなかった税金の控除が本年度から認められることになった。当事者団体の根強い要請が国会議員を動かし、画期的な税制改正となった▼離婚・死別の母子世帯と異なり控除が適用されない未婚の場合、保育料や公営住宅の家賃の算定で高くなり、不利益があった。法制定時に比べ、時代の空気の変化を議員が理解したことが大きい▼「真の変化は一歩ずつもたらされる」とは、ギンズバーグ氏の言葉。人の考えや価値観は急に変えることはできないが、時代の空気をつくるのは私たち。どのような空気にするかは私たちの意識にかかっている。(琉球新報・2020年12月16日)
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【ギンズバーグ最高判事死去】アメリカでもっとも尊敬された女性RBGの生涯 渡邉裕子 Sep. 19, 2020,
米連邦最高裁判所は9月18日、ルース・ギンズバーグ最高裁判事が膵臓がんによる合併症のため亡くなったと発表した。87歳だった。アメリカで歴代2人目の女性判事で、リベラル派や女性、若者たちから絶大な支持を集める人物だった。Business Insider Japanは、多くの人々から尊敬を集めたギンズバーグ判事の生涯を描いた記事(2019年4月6日公開)を再掲します。/ 2018年アメリカで公開され、大変話題になった2本の映画が日本でも公開される。/ 日本の女性たちも、これらの映画を見たら大いに刺激を受けるだろうし、男性たちが驚くであろう逸話もでてくるので、ぜひ紹介したい。
1本は「ビリーブ 未来への大逆転」(原題:「On the Basis of Sex」)は日本でもすでに3月下旬に公開されており、ドキュメンタリー作品「RBG 最強の85才」(原題:「RBG」)は5月10日公開予定だ。/ いずれも今年86歳を迎えた、現・アメリカ最高裁の判事の1人であるルース・ベイダー・ギンズバーグの人生を主題にしたもの。RBGは彼女の名前の頭文字をとった愛称だ。/ ギンズバーグは25年以上、米最高裁で判事を務めている。アメリカでは歴代2人目の女性判事で、現在最高齢判事でもある。彼女の道徳的な高潔さ、少数派意見を述べるときの理路整然とした冷静なタフさは有名で、政治的にリベラルな層や、女性、法曹界、若者たち等から絶大な尊敬を集めている。/ 「アメリカ人が尊敬する女性ランキング」では必ず上位に名前が挙がる。(以下略)(https://www.businessinsider.jp/post-188622)

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彼女の存在自体がアメリカの度量の広さ、深さを示していたと思われます。もちろん、その前に、彼女の才能という努力があることは当然でした。でも、単に「才能」があっても、時宜を得ないと首尾は一貫しないのも事実です。彼女は「存在すべき時に、存在した」と言いたい。今秋、亡くなられた時は大統領選挙運動の最中でした。彼女の凄さが報じられたと同時に、その後任選びもまた「大統領選の結果」を左右するという意味で注目されました。ぼくは必要上から、アメリカ連邦最高裁判所の「判決」をそれなりに読んできました。それに比べるつもりもないのですが、この島の最高裁の判決・判断も調べていました。この何十年、国政に影響を与えない限りの判断しかしなかったのが島の最高裁だったといえます。その意味で、ぼくは最高裁判断に置けり「少数意見」を熱心に読んできました。いずれこれが「多数意見」になるだろうし、それを願うという気持ちがありましたから。その一々を述べませんが、「憲法の番人」が、今では政権や国家側の番人ではないですかと、ぼくはあからさまな批判を持っています。

このRBG現象をどう見るか。おそらく、彼女の人権感覚が「女性を救う」という以上に「男社会の盲点」、男性優位で成り立つ「社会への告発」を彼女は一時も放棄しなかったということでしょう。たった一人の「ヒーロー・ヒロイン」で何かが変わることはない、でもその少数意見が「正しさ」を内包しているなら、いつかは必ず「多数」の賛同を得るはずです。主観は、やがて客観を得ることによって、あるいは「正しさ」を獲得するということでしょう。「真理は小数意見にあり」とは、このままでは断言できませんが、大多数が「真理に叶う」ということは、まず考えられない。「たくさんの少数意見」が出ることが望ましいですね。それを時間をかけて「実地に試し」てみる、それが民主主義の実験であり、この実験には終わりはなさそうです。「真の変化は一歩ずつもたらされる」
ギンズバーグさんは一貫して「少数の立場」から物事を考え始め、その地点において「多数派をの横暴を剔抉」したとも言えます。それは、一面では母親譲りだったのかもしれません。ある映画の中のセリフです。

My mother told me two things constantly. One was to be a lady, and the other was to be independent.
彼女の夫の「粋」な言葉です。
”I have been supportive of my wife since the beginning of time, and she has been supportive of me,” “It’s not sacrifice; it’s family.”
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アメリカは、ぼく(たち)が思い込んでいるような(お手本にするような)社会や国ではないということを、この一年のさまざまな出来事で学んだように思われます。そこには「いい人」もいれば「悪い人」もいる、ぼくたちの社会とまったく同じで、優れている点もあれば、驚くような遅れた面も併存しているのです。黒人との婚姻が認められ、公民権法が制定され、隔離政策が間違いであると気づいたのは、この数十年(たかだか三十年か四十年ほど前)のことでした。様々な法律が制定され、法的な処置が施されるようになってもなお、今回の大統領選挙の最中において、人種差別や女性差別、少数者の権利無視が横行している現状を、ぼくたちは目の当たりにしました。その意味では、さらになお「一歩」が求められるのでしょう。

でもその現実に、腰を据えて立ち向かう人がいることもまた実感したのでした。デモクラシーは一進一退の歩みそのものでしょう。しかし、その鈍(のろ)い歩みは、いつしか気の遠くなるような地点に立っているということもあるのです。歴史はバトンタッチであり(pass the baton to one’s successor)、気がつけば多くの人々がそのレース(差別からの解放)に参加しているのを見ることができるのです。その歩みの道筋には日米の差はないのです。もちろん遅速は避けられないものですが、歩く方向は同じだと、ぼくは信じている。誰でもが同じ速度で歩いたり走ったりできない、自分の歩調や歩幅でしか歩けないのですよ。そして、この点においてだけは日米に差はないといえるでしょう、「真の変化は一歩ずつもたらされる」ものなのだと。
ぼくが明治維新期に大きな関心をいだくのは、この百五十年の間に人間の心持、社会の価値観はどのように変化し、またそれを壊したり育てたりしてきたかを実感するための試験問題を前にしているつもりだからです。この島には島に見合った歩幅や歩調がある、それをよくよく調べてみたいという心持が湧いている。人の歩みも、社会の歩みも、国家の歩みも、けっして淡々と一直線に前進するものではありません。大きな過ちを犯し、絶望的な状況に陥りながら、身を起して、さらに歩き続けるのです。失敗を重ね、後退を余儀なくされながら、でも次の第二バトンを確実に手渡せるだけの準備を生きている中で果たす、それが、「人が生きている」、一つの意味でもあるのではないでしょうか。
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