先輩の口演を必死で聴き覚えた

 講談師も名人となると、売り物にちなんだ異名をとった。「鼠(ねずみ)小僧」など白浪(しらなみ)物を得意にした二代目松林伯円(しょうりん・はくえん)は「泥棒伯円」、怪談が評判を呼んだ七代目一龍斎貞山は「お化けの貞山」といった具合だ▲当代で「怪談の貞水」と言われたのが、講談界初の人間国宝となった一龍斎貞水さんだ。「四谷怪談」など音響や照明効果を使ったおどろおどろしい演出の立体怪談で人気を博した。今月初め、81歳で亡くなった▲講談は「冬は義士夏はお化けで飯を食い」という川柳があるくらい、討ち入りのあった12月をはさんで冬は赤穂義士伝が、夏は納涼で怪談が好まれるのが通例だ。ところが、貞水さんの立体怪談は1年を通して全国各地から声がかかったという▲映画やテレビが台頭する前、講談は落語や浪曲以上に身近な庶民の娯楽だった。だが、東京・湯島で生まれ育った貞水さんが10代半ばで入門したころには人気は低迷し、楽屋は老大家がほとんどだったという▲当然、客席も若くはない。けれども40年、50年と年季の入った常連客の小言が、芸となって身についた。「うまくいったことは3日たつと忘れる。失敗が人間を作る」との言葉は、芸に限ったことではないだろう。楽屋では先輩の口演を必死で聴き覚えた▲かつて自嘲気味に「絶滅危惧種」と言っていた講談師だが、今は東西で約90人を数える。有望な若手も育っている。「老大家の先輩方から教わったものを次に伝えるのが仕事」と語っていた貞水さんの大いなる遺産である。(毎日新聞2020年12月13日)

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  訃報  一龍斎貞水さん 81歳=講談界初の人間国宝

 怪談などを得意にした、講談界の大看板で人間国宝の一龍斎貞水(いちりゅうさい・ていすい<本名・浅野清太郎=あさの・せいたろう>)さんが3日、肺がんのため死去した。81歳。葬儀は近親者や一門の関係者で営んだ。後日、しのぶ会を開く。喪主は長男丈太郎(じょうたろう)さん。/ 東京・湯島生まれ。1955年、都立城北高入学と同時に、五代目一龍斎貞丈に入門。同年5月、貞春を名乗り、上野の本牧亭で初舞台。66年、真打ちに昇進し六代目貞水を襲名した。/ 活動は多岐にわたり、特殊効果を駆使した「立体怪談」は高く評価され、「怪談の貞水」と呼ばれるようになった。講談師として初の全編読み切り「四谷怪談」(全5巻)、「赤穂義士本伝」(全15巻)をCD化。2005年には講談界初の欧州ツアーを行った。(毎日新聞2020年12月10日)

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 講談はぼくの歴史の授業(教室)でした。さまざまな主役(講談師)が登場しましたが、いずれも学校の教科書などは決して味わえない醍醐味を持っていたと実感します。落語が行業間休みや昼休みの楽しみだったとしたら、講談はまじめな教室の正規の授業のようでもあったと、ぼくは小さなころから経験してきました。貞水さんのうんと若いころ、おそらく四十代前後からよく聞いたと思う。もっぱらラジオが定番でした。これは落語も同じだったし、浪曲もラジオが、ぼくの定席でした。こういった語り芸が振るわなくなった背景には、時代の流れというものが大きな影響を与えたことは確かですが、ぼくにはテレビの登場が何よりの衰退を招いたと思われます。テレビは芸を腑抜けにし、骨粗鬆症を引き起こしてしまったのです。肝心のカルシウムが奪われたからでした。骨格が崩れるままに、「話芸」が死に絶えてしまったのです。(左上写真 貞丈師)

 落語の寄席にはよく通いましたが、講談は一度もなかった。上野本牧亭の復活移転などもあり、しばしば通おうかと思案したこともありましたが、結局はラジオで聞き通した。貞水さんの語りについて、生意気なことは言えません。でも声は太く、腹に響くような豊かな声量を誇っていたといえますし、しぐさには独特の張りや見どころがあったと、ぼくには映りました。怪談物、歴史談など、いろいろなジャンルを聴きました。殊に、世話、白浪など。ぼくは怪談物は苦手だった。また彼の師の貞丈さんもよく聞きました。

 ぼくの青春時代は「語り芸」によってつくられていたと思う。それもラジオによって、演じられたものでした。テレビと違って、ラジオがよかったのはやたらな動作が目に入らないから、聞く側の想像力の高まりが働き、語りに集中させてくれたことです。今では想像もできませんが、ラジオが果たした役割には大きなものがあった。真面目一方の貞水講壇・講談でしたが、だからこそ、たまさかの「くすぐり」がたまらなかった。今も演芸としての講談というより、タレント業化した語りが流行しているし、女性の講談師も輩出されて、一見して大賑わいの様相が見て取れます、にもかからわらず、ぼくには興味が湧かない。

 理由は簡単明瞭です。聴かせる「語り(口演)」が感じられなくなったということ。これはぼくだけの実感ですから、どうということはないんですが。この先に、どんな展開があるか、燦燦とした陽がささないように思う。落語となれば、もっと悲惨でしょう。理由はやはりテレビかもしれない。いや、師匠(先生連)がダメだからか。

 最後に一言。貞水さんが講談界初の「人間国宝」になったのは2002年。因果関係があるはずもないのですが、そこからもぼくの興味は失せてしまいました。これは落語の柳家小三治師についても言えそうです。ぼくにかぎることでしょうが、「国宝」に指定されてからの落語にぼくは面白みが感じられなくなりました。「国宝」が演者と聴き手の距離というか、間隔を疎遠な、あるいは白けたものにしてしまったと、ぼくが感じてしまうからでしょう。そのうちに「国民栄誉賞」を受ける講談師や噺家が生まれることでしょう。

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)