ことばの種をまく人、それが教師かもしれない

 教科書という「本(ほん・もと)」をもとにして、教師の仕事を考える                                      

 学校にあっては、必ず指定された「教科書」がついて回る。子どもにも教師にも。この習性は学校教育開始以来、百五十年間続いてきました。学校の、数ある不思議の一つです。参考書や好きな本を持ち込むのも可能でしょうが、かならず、そこには教科書が位置を占めています。その理由は何でしょうか。明治初期は「国定教科書」と呼ばれ、戦後は「検定教科書」と呼ばれてきましたが、要するに手続き的には根っ子の部分に変化はなかったといっていいでしょう。「教師が教えようとする、教えなければならないとされた内容」を国家が「過不足なく提示」したものです。それを使わない自由もそれを教師の考えに従って(自由に)「解釈」することも認められないともいえるほどです。

 世に「教科書裁判」と言われるものがいくつかありましたが、それは基本的には「教科書執筆者」が起こした裁判でした。細かいことは省きますが、国定・検定問わず、教育内容を国家が規定しているというものです。したがって、教科書を内容にそくして「教授」しなかったことで処分された教師もいるのです。戦前戦後を問いません。そこにこそ問題があるとぼくは考えますが、今はそれを問わない。別の機会に扱うことにします。

 教師にとって、教科書とは何か。言わずもがなの問題ですが、なかなかどうして、よくよく考える必要がありそうです。自明の表情をしている者こそ、強く疑え。「教科書を教える」といいますが、その中身を何でしょうか。どこまでが教えるの範囲に入るのか。また「教科書で教える」とも言われてきました。「…を」と「…で」とでは、内容も方法もかなり異なるに違いありません。問題は「教科書」をどのようなものとして受け止めるか、です。以下、いくつかの視点で愚考してみます。

 Ⅰ教科書を読む(教科書を読むという教師の仕事)

   教科書はどのような「ことば」で書かれているか。一冊の「本」として教科書をみると、だれにとっても同じ「ことば」で書かれています。それは他のどの本(書物)とも変わらない。だれにも同じ「ことば」を「わたしが読む」(I read・I understand)であり、その意味を考えたい。教科書を読むとはどのようなことか。「読書という概念」が求められていると思う。書かれていることを読む、簡単じゃないかとたかをくくらないこと。字面を追うことは読むことではないし、人それぞれの読み方があるのです。「雨が降ってきました」という短文も、読む側に応じて多様な場面に変容してくる。シトシト降る雨ばかりではないし、人間を憂鬱にさせるのが雨という相場を応用するのは安易に過ぎます。

 一見すると、教科書の「ことば」は情報のことばのようにうつります。しかしだれにもひとしい「ことば」を読むのはリテラシーの問題だといえます。教師(生徒)にとって教科書を読むというのは「伝えられる」(「読まされる」(教師))側の主体性が問われる行為です。

  教科書を伝える(教師の仕事としての授業とは?)

 漱石や鴎外の作品の「現代語訳」が違和感を持たれない時代になっています。子どもたちは『我が輩は猫である』も『舞姫』も、旧文では読めないという。江戸期を背景とした落語が古典になったのと事情は同じです。時代や環境の変化は「読む・伝えられる」側のリテラシーの変化をもたらすからです。歴史教育の問題も似た状況にあると思う。だれにも同じ「ことば」(情報のことば)をそのままに「教える(伝える)」のではなく、それを受けとる側が自分の「ことば」(問題)にするところまでふくむ、それが「わたしが伝える」(I teach・I communicate)です。人と異ならない「ことば」によって一人ひとりのちがいが生まれる「ことばのちから」を軽視したくない。授業というのは教師、生徒ともどもに「ことばのちから」をつけるかけがえのない経験です。(「ことばで自分をどう表現するか」ではなく、「ことばを自分はいかにゆたかにできるか」、それが大切だ。長田弘))

教科書を書く(教師が教科書をつくるとは?)

 いろいろな立場からつくられた教科書があっていいと思う。検定教科書はまかりならぬという立場をとりたくない。だから教師が自分の「ことば」(肉声)で書く教科書もあり、生徒たちといっしょにつくることも必要です。自由につくられた教科書から自由に選ぶという、その「自由」を尊重したい。自分でつくった教科書をつかって授業をする、それによって授業は(教師・生徒の)生きられた経験になるはずです。教育の極意は自己教育だと考えていますから、それが「わたしが書く」(I write・I compose) という意味です。

 我見を主張するために「書く」のは教育の本意にもとることはいうまでもありません。

ことばの種をまくひと(なにが教師のちから(力量)となるのか?)

  ことばのふたつの方向

 (1)他者とやり取り(交換)できる「知識(情報)」のことば

 (2)自分を「確かにする(確かめる)」ためのことば

   どんな事柄もことばで表現できるというのは嘘です。ことばはたんなる道具ではないからです。たとえば「歴史」。これが歴史だと指でさすことも手で触れることもできない。「車」なら、ことばはいらない。現物があるからです。目に見えないけれど、たしかにある、しかもだれにも共通することばでは言い表せない、それを表現するのが「わたしのことば」です。「人権」ということばは読み書きできる、でもそれが何であるかは語りがたい。それを表すのが自分の経験です。経験をことばにする、ことばを経験する。それが欠如しているのが「情報化」といわれる時代です。知っているだけのことばが多くなると、自分を確かめることばはたえず失われてしまい、それに気づかないからです。(漱石も鴎外も、西郷も大久保も、すべからく「情報」としてしか求められない。その言葉の持つ歴史が欠如しているし、その作品に関わる「鑑賞」が失われてしまったところで、どんな歴史教育や文学教育ができるのでしょうか。

 わたしたちの現状は、いろいろな面で「貧しい国(社会)だ」といわれます。それは「心身ともには貧しい」であり、「物は、一見すると豊かそうですが、実のところは既製品の山であって、本当に求められるような物は貧しい」であるからです。その昔、この島は、自由主義圏第二位の経済力を誇っていたそうですが、今では誇るものが何もない島社会になってしまいました。別に「経済的な規模」だけが問題であると考える必要などありませんが、経済力が縮小すると、それに応じて精神力さえも縮小してしまった(貧しくなった)気になるのはどうしてでしょうか。必要以上に物品を持つことが「豊かさ」の中身だったということはなかったか。

 世界における経済的な地位が下降するにつれて、人間の質までが劣化してしまったというのかもしれません。学校教育の「空洞化」という指摘は、何時の時代でも言われたことですが、今日「空洞化」には拍車がかかっているように思われてきます「空洞化」ではなく、「空洞」になったからというのです。理由や背景には複雑な関連があるのですが、ぼくは「ことばの教育」が「情報教育」に堕してしまっていることが致命傷だと考えています。「教科書」は大切ですが、それをじゅうぶんに読みこなすことができなければ、「書かれた内容(情報)」を授受するばかりが教育のできること(すべて)になり、教師も子どもも、言葉を育てる契機を失って、次第に思考することに不自由を託つようになるのです。

 ひとは「ことばを使って考える」存在です。「ことば」を持たなければ「考える」働きは、ある種の習慣化されたものになるだけです。考える・判断する、これは未知の場面における身のこなし方でもあるのです。人間の体は一つの土地だとするなら、その土地の地味に見合った種や苗が求められるのですが、果してそのような繊細な選定を、「教室という畑」で教師は実践しているでしょうか。

 ことばに対する学校教育の状況は、まさしく「貧しい、あまりにも貧しい」のではないでしょうか。現実に「種子」や「種苗」を粗末にする島の状況は、学校教育の場面においても「タネ」「土」を、実に疎かにしているのです。ことばは育てなければ豊かにならない。育てるのは自分です。自分でことばの種をまいて、自分でそれを育てる。教育というのはそのような感受性(感覚)の問題でもあるのです。自分流の「ことばの感覚」をどこまで(子どもたちが)確かにすることができるのか、今こそと言いたいのですが、それが教師の(子どもたちに対して)なすべき仕事だとぼくはつたない経験から学んできました。

 子どもにとって、教師はことばの種をまくひとであり、まかれた種を自分で育てるのは生徒(自分)です。しかし、教師もまた自分で、自分の「ことばの種」をまいて育てるひとであるのはいうまでもありません。「種は命の源」というのは、単なる比喩なのではありません。

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(参考までに)

 言葉というのは、どこかに転がっているのではなくて、いつのときも心の秤(はかり)に載っています。秤はバランスでできているので、こちら側に言葉を載せると、反対側におなじ重さをもつ何かを載せなければならない。秤の反対側に載っているのは、経験です。

 経験というのは、かならず言葉を求めます。経験したというだけでは、経験はまだ経験にはならない。経験を言葉にして、はじめてそれは言葉をもつ経験になる。経験したかどうかではなく、経験したことも、経験しなかったことさえも、自分の言葉にできれば、自分のなかにのこる。逆に言えば、言葉にできない経験はのこらないのです。

 その言葉によって、自分で自分を確かめ、確かにしてゆく言葉。経験を言い表すことができる、あるいはとどめることができるのが言葉ですが、言葉にするというのは、問いに対して、正しい答を出すということとは違い、正しい答をこしらえるということではなくて、自分について自分で、よい問いをつくるということです。正しく問いを受けとめないで、正しい答を探すから、わたしたちは過つのです。

 言葉と経験を載せている心の秤が、感受力です。感受力というのは、だれかに教えられて育つというものではなくて、自分で、自分の心の器に水をやってしか育たない。そういうものです。しかし、自分で自分というものを確かめてゆく方法でしか、確かにしてゆくことができないとすれば、どうすればいいか。(長田弘「今、求められること」『読書からはじまる』所収。NHK出版刊)

(お断り この駄文は、十年以上も前にある月間雑誌に依頼されて書いたものに加筆や修正を加えたものです。いかにも古証文だと羞恥心が沸きますが、それをここに持ち出してきたのは、今でもこの、偏った考えは、ぼくのなかでは変わっておらず、また、ひょっとして読まれる方(おられると仮定して)にとってはなにがしかの思考の材料になるであろうと判断したからです)

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)