科学技術の二つの側面(快挙と愚挙)

 「宇宙航空研究開発機構(JAXA)の探査機「はやぶさ2」が投下した小惑星りゅうぐうの石が入るとみられるカプセルは6日未明、地球の大気圏に突入し、約30分後の同日午前4時24分(日本時間午前2時54分)、オーストラリア南部ウーメラ近くの砂漠に計画通り着地、回収された。初代「はやぶさ」に続く快挙。打ち上げから約6年間に当たる2195日で52億4千万キロを飛行した探査は完了した。(東京新聞・2020/12/07)

 劣島はこのニュースでもちきりのようで、「コロナ禍」の災厄を忘れそうな束の間の「宇宙ショー」 に驚喜した人も多かったでしょう。挙って「宇宙オタク」になる瞬間でした。この「はやぶさ計画」が莫大な資金を投入して、いったいどのような幸運や幸福を人類にもたらしてくれるのか。あるいは、この島の人民に何が恵みとして贈られるというのか。夢と希望もいいけれど、それ以上に今必要なものやことがある筈ではないか、そのような疑問もあってしかるべきでしょう。ぼくは「宇宙開発」に賛成しますが、その開発は国際間の競争や争いにつながっていないとは言いきれない。地上はもう立錐の余地もないほど、戦力・攻撃力が、相対立する国家群によって占められているから、これからは「宇宙開発」だ、というたくさんの産官学の大群がいるのです。

 ここで、気を付けなければならないのは、かかる出来事(快挙)の隙をついて、権力者は「隠し事」をこっそりと処理(無にする)しようとする、ということです。現下の隠し事(これは周知の事実ですが)はなにか。この島には、それこそいくつもあるが、それらを素知らぬふりしてえげつない始末を平気でしてきたのが政府(権力者)でした。それらの処理が人命や自然環境を壊すような危険なものであるなら、なおさら、きれいごとを言い立てて、事態の深刻度を軽くしようとするのです。先ず第一に指を屈しなければならないのは、「福島のこれまで」です。年明けには事故発生以来、十年になります。ぼくは、この福島時代に生きている人間として、しかも素人の悲しさを伴いながら、福島原発事故の後処理の問題を、ずっと考え(ても仕方ないのですが)つづけてきたし、今も考えているのです。

 快挙と愚挙 ー 福島の十年を前にして、いったい何が起こっているのか

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 ただ今、特に急がれているのが、「原発処理水」始末をどうするかという問題です。現場では、事故直後から問題の解決困難さは少しも変わらないし、さらに困難度が増すような、新たな課題が発生しているというのが正直な感想です。ぼくは、事故後間もないころに、福島を訪れました。多くの若い人々といっしょでした。その経験から、ぼくはこの問題を、(変な言い方ですが)自分のものにしようとした。以来、幾人ものジャーナリスト(事故直後から今日まで福島に直接かかわり続けている多くの人があられます)に導かれ、教えられながらの、牛歩ながらの学習でした。

 率直な感想を言えば、福島在住者だけではなく、今もぼくたちは被爆しています。「福一」からは毎日休むことなく「放射能」が出ていますし、汚染された地下水は山に川に田畑に住宅地に、そして大海にと、すこしの例外もなく蓄積され続けています。十年一昔、「福島は終わった」と言い包めて「復興五輪」を招き寄せた犯罪容疑芬々とした「総理」がいました。その「無能権力者気取り」を取り巻いた無数の曲者たちも、「事故を無化する」のに狂奔しています。彼等彼女らはすべて、同罪です。

 多くの人は福島に関心を持ち続けているかいえば、残念ながら、コロナや go to に耳目を寄せているのでしょう。そのように「為政者」が仕向けているからです。その尻馬に乗ってマスコミもまた、目先の遊興気分に油を注いで、柔な民衆を靡かせてきました。「済んだことはもういい」、「福島は終わった」と言わぬばかりに。

 劣島における原発問題の発生はそもそもは政治命題からでした。まるでアメリカに力づくで政治問題化されたといえます。それに加担し、一儲け、いや大儲けを企んだのが電力会社であり、立地自治体の「金の亡者」でしたが、その面々の両頬を札束で張り倒し続けてて、気づいたらこの狭い劣島に五十四基もの原発が出来上がっていたという、まるで、グロテスクなお伽話のような歴史がありました。いまもなお、このお伽話、つまりは儲け話は健在で、「核のゴミ処分場」立地に北海道の小さな自治体が手を挙げ、悪辣役人政治家の狙い通りに「金製の投網」に、喜び勇んでかかってくるという始末です。(北海道寿都町と神恵内村)

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「処理水*の貯蔵量(2020年11月19日現在)1,236,874㎥*水位計の測定下限値からタンク底部までの水を含んだ貯蔵量 福島第一原子力発電所では、発生した汚染水に含まれる放射性物質を多核種除去設備等で浄化し、処理水*(ストロンチウム処理水を含む)として敷地内のタンクに貯蔵しています。/ なお、敷地内には1052基のタンクがあります。(多核種除去設備等処理水の貯蔵タンク993基、ストロンチウム処理水の貯蔵タンク45基、淡水化装置(RO)処理水12基、濃縮塩水2基/2020年11月19日現在)。※2020年末までのタンクの建設計画は約137万㎥(https://www4.tepco.co.jp/decommission/progress/watertreatment/)

*現在、多核種除去設備等の処理水*は、トリチウムを除く大部分の放射性核種を取り除いた状態でタンクに貯蔵しています。
多核種除去設備は、汚染水に関する国の「規制基準」のうち、環境へ放出する場合の基準である「告示濃度限度」より低いレベルまで、放射性核種を取り除くことができる(トリチウムを除く)能力を持っています。(同上HPより)

 政府経産省東電は強靭な決団力を誇って、実に功名というか、(汚染水並みの)汚いやり方で「汚染水」(「ストロンチウム処理水」「多核種除去設備等の処理水」などと、いくつもの「変名」を駆使して、庶民の目を誤魔化そうとしています)を海洋投棄か水蒸気放出の二択で検討と偽計を働き、この秋には、予定通りに「海洋投棄」を実施する予定でした。

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「現在、1日に発生する汚染水は約140トンで、1週間で巨大タンク1基が満水となるペースだ。東電では、敷地内に137万トンまで溜めるスペースを確保しているが、それも2022年夏ごろには限界を迎える。一方、東電は21年から原子炉内の燃料デブリの取り出し開始を目指しており、廃炉作業が本格化する予定だ。廃炉のためにはさまざまな試料の分析用施設や、資機材の保管施設、事故対応設備の建設が必要となる。また、そのための人員や車両の出入りもあるため、敷地内にさらなるタンクを増設することは困難だという。

 処理水を溜めるスペースがなくなることは早い段階から想定されていた。2016年11月から処分方法の検討を進めてきた経済産業省の小委員会では、海洋放出、水蒸気放出、地層注入など複数の案を比較した上で、今年2月に「技術的に実績がある水蒸気放出及び海洋放出が現実的な選択肢である」との提言をまとめた。地元の農林水産業者や費者団体は反対意見を表明しているが、政府は近く、小委員会の提言に沿って「海洋放出」を正式に決定する。」(https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00976/)

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 すでに海洋投棄を決定し、実行する直前の段階にあったが、いろいろと評判が悪いようなので、すこし延期(ごまかし時間稼ぎ)したというのが実情で、あくまでも海に流してしまうつもりです。魂胆は見え透いています。

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 政府説明に周辺住民が強く反発 福島第1原発、処理水の海洋放出

 東京電力福島第1原発で増え続ける放射性物質トリチウムを含む処理水の処分法を巡り、国と原発周辺住民らとの意見交換会が6日、福島市で開かれた。「海洋放出がより確実に実施可能」と説明する政府側に、漁師は「海が汚れ生活できなくなる」と強く反発した。

 (東京電力福島第1原発の処理水について、意見交換会で憤る漁師の小野春雄さん=6日午後、福島市 ⇦)

 経済産業省資源エネルギー庁の奥田修司・原子力発電所事故収束対応室長は「容器に入れ、手で持っても健康に影響がないほど低線量」と処理水の安全性を強調。新地町の漁師(68)は「生態系に影響があるかもしれないし、魚が売れなくなる」と憤った。別の住民から「なぜ福島の海に流すことが前提なのか」との声も出た。(東京新聞・2020/12/06)

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 「はやぶさ」と「原発事故隠蔽」、二つの正反対の方向にある現象(出来事)、どちらも科学技術の産物ですが、それが同時進行のままで突きすすめられています。原発事故発生後の数年間、ぼくは多大な関心を持って事態の推移をみてきした。おそらくぼくが亡くなった後も、最終的な解決が見つからないままに、この小さな島社会は、とてつもない時間と資金を浪費しつつ、まるで浮遊物であるかのように、除け者にされながら、地球上のあちこちを彷徨い流れるにちがいありません。この島の現状が、救い難い頽廃や堕落に直面しておりながら、そこからの出口を見つけられないでいるのは、きっと「原発事故」の手の打ちようのない後始末に、(誰も言わないのですが)疲弊しきった、疲労困憊の日常的な脱力感の表出ではないかと、愚かにもぼくは感じたりしているのです。(この「福島」の部分は相当に長くなりそうな予感がします。焦らないで、十年を迎えるべく、一つの区切りをつけたいと願っています。福島の多くの友人知人とも旧交を温めつつ、「福島後の世界」(願わくば)を敗残兵としてではなく、未来の星(幼い子どもたちも含めた若い世代に)のためにも、刹那主義に嵌らないだけの「見取り図」を描きながら、いくばくかのバトンのようなものを手渡ししたいと念じています。(つづく)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。