震源地探しは必要、でも感染予防はもっと必要

 U.S. Covid Cases Found as Early as December 2019, Says Study Bloomberg News(2020年12月1日 17:36 JST Updated on 2020年12月1日 17:44 JST)

Testing has found Covid-19 infections in the U.S. in December 2019, according to a study, providing further evidence indicating the coronavirus was spreading globally weeks before the first cases were reported in China.

The study published Monday identified 106 infections from 7,389 blood samples collected from donors in nine U.S. states between Dec. 13 and Jan. 17. The samples, collected by the American Red Cross, were sent to the U.S. Centers for Disease Control and Prevention for testing to detect if there were antibodies against the virus.

“The findings of this report suggest that SARS-CoV-2 infections may have been present in the U.S. in December 2019, earlier than previously recognized,” the paper said.(Omitted below)(https://www.bloomberg.com/news/articles/2020-12-01/covid-infections-found-in-u-s-in-2019-weeks-before-china-cases)

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 フランスにおいても昨年末に「インフルエンザに似た症状」で入院した患者が、死後にコロナウィルスに感染していたことが判明したと、上記記事には書かれています。その他、いくつもの報告がなされており、「武漢発」が証明されていないことを裏付けるような状況にあります。この島でも、国会審議で「武漢ウイルス」を連呼した議員が一人や二人ではありませんでした。中国発、武漢発生源説に驚喜したのか乱舞したのか、いかにもありそうな「単細胞」輩です。それが「武漢発」であったとしたら、どうだというのですかね。賠償や保証を取れという「強盗まがい」も出る始末です。

 いったい、発生源がどこであったか、はっきりとした断定ができるのかどうか、ぼくにはわかりませんまだ」、まだまだ未知の世界は広いのであり、新型ウィルスに関しても暗中模索の状態にあるのが医学界ではないですか。一年を経過し杳として正体を捕まえられないこと自体、ぼくたちはいかにも手探りで暗闇を歩いているというのが現実です。どんなところにも政治が入り込みますし、それは避けられないのですが、「余談」「偏見」がいかにも「正論の衣」を被り「正論風」を吹かせて闊歩するのは世間では日常の、ありふれた景色なんですかね。

 「仮想敵国化」「敵国氏視」すると、評判が上がり、人気はうなぎのぼり、こんな場面をぼくたちはいたるところで見せられています。でも、とぼくは立ち止まる。かかる状況にあって「絶叫している当人」は、きっと隠れたところで、さまざまな悪事を働いているに違いないと、確信をもってとはいいませんが、そういってもそんなに外れないのではないですか。これは別に政治家や人気者だけにかぎりません。(左は厚労省作のポスター)

 「巧言令色仁に鮮なし」、あるいは「巧言令色鮮し仁」(《「論語」学而から》巧みな言葉を用い、表情をとりつくろって人に気に入られようとする者には、の心が欠けている。)(デジタル大辞泉)

  これは、「論語読みの論語知らず」であっても、ぼくはとてもすきな箴言です。多弁で流ちょうな、立て板に水のような「お喋り」には気をつけなさいね、真心なんかないのだから、というのでしょうね。その正反対になるような、「剛毅木訥仁に近し」(子路)というのがあります。読んで字の通りです。「剛毅は意志堅固」「朴訥は虚飾がなく、寡黙なこと」、こんな人はほんとに少ない。ひょっとしたら、絶滅種だったかもしれませんね。いたら、格好いいとファンになりそう。

 「巧言令色」「讒諂面諛」「阿諛追従」「奸佞邪智」「面従後言」「甘言蜜語」…、もうどうにも止まらないような、同類後の連鎖です。その多くは中国の古典中に見られたものです。その意味は、「今も昔も変わらぬものは、馬顔の長さと人の性」(無骨)でしょう。こういう「性(さが)に生きている輩がやたらに「政治家」に多いのは、たしかな理由があるんでしょうね。

 「論語(季氏)」はいってます、こんなのがありますよって。「損者三友」「益者三友」と。おおよその雰囲気は分かりますね。中味は言いません。兼好さんにも、にたような人物評がありました。

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 「子どもは社会の未来」です

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。(2023/05/24)