景観・景色の正体はなにか@マスク人出現す

(毎日新聞・2020年11月21日 20時07分)
(毎日新聞・2020年4月18日 11時57分)
(京都新聞・2020年2月15日 10:30)
(NAVITIME TRAVEL EDITOR・2018.10.01)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 人の目の 秋にうつるや 嵐山 (子規)

 何度か触れましたが、この地はぼくの育った場所で、高校生までの束の間だったが、一人で出かけたり、友人と戯れに遊んだりした、「曽遊」の地、ぼくの経験になじみませんが、文人を気取っていうとこうなります。漱石も子規も、あるいはそれ以前には無数の文人墨客が遊んだ土地であり、平安時代には貴族の別荘が競って豪勢を誇った地でもあります。

 観光地は、いずこも軒並みに廃れるというか、人心が荒んで、行く末を案じてしまうほどの常態を醸し出しているとぼくには映ってしまいます。ミザントロープというへんてこな語を使いますが、だからぼくは混雑している時や場にはまず近づかないようにして、生きてきました。閑散、それがもっともぼくの好む雰囲気です。それでは生業も成り立たず、生きるすべがないというのも、その通りですが、さて、観光立地、観光立国という政治的な思惑で「栄枯盛衰」をくぐるのも一案ですが、今回のような事態にはなす術もありません。暢気に外野から寝ぼけたことを言っているぼくには、これもまた時世時節の流転きわまりない「一風景」と映ります。

 嵐山は「小倉百人一首」ゆかりの地でもあります。

 わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ あまのつり舟(小野篁)

 月見れば ちぢに物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど(大江千里;今日の歌手さんではない)

 ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ(紀友則)

___________________________________________________

 「大胆かつ根拠のない」主張を展開し…

(Photo by Jacquelyn Martin/AP Images)

ジュリアーニ氏の会見、FOXニュース記者が「不正主張はすべてウソ」と一刀両断

 トランプ米大統領の顧問弁護士を務めるルディ・ジュリアーニ氏は19日、共和党全国委員会本部で記者会見に臨んだ。/ ジュリアーニ氏率いる弁護団は、民主党関係者と外国政府が共謀したという疑惑を訴えており、この日も持論を展開。会見の模様はトランプ寄りとされているFOXニュースでも中継されたが、クリスティン・フィッシャー記者は、今耳にしたことはそっくりそのままナンセンスだ、とホワイトハウス前から視聴者に語った。/「以上、鮮やかな口ぶりのルディ・ジュリアーニ氏の記者会見でした。ですが事実には欠けています。彼の発言のほとんどは、単に事実でないか、すでに裁判で却下されています」 。フィッシャー氏は会見のレポートの冒頭でこう述べた。

 ワシントンの共和党全国委員会本部で行われた会見を「鮮やか」と表現したのは言い得て妙だ。汗ばんだジュリアーニ氏が記者に向かって、票の不正犯罪が行われたのは確かだと思う、自分にはそれがかぎ分けられる、と話している最中、ヘアカラーが彼の顔に流れ落ちていた。

 「私には犯罪がわかります、かぎ分けられるんです。皆さんはかぎ分けられなくても大丈夫です、私が証明してみせます」とジュリアーニ氏。/ だが、フィッシャー記者はジュリアーニ氏が選挙不正に関して「大胆かつ根拠のない」主張を展開し、「これは全国規模での陰謀だと呼びましたが、いまだはっきりした証拠を示せていません」と正確にレポートした。/ その後フィッシャー記者は、ジュリアーニ氏がアメリカ国民に述べたことは法廷での発言と食い違っている、と報じた。

 「ジュリアーニ氏はフィラデルフィアで広範囲の選挙不正があったと主張し続けていますが、法廷では、本人の言葉を借りれば『不正が行われた事例はない』と発言しています。宣誓下ではない公の場での発言が、法廷内での発言と違っています」とフィッシャー記者。/ さらにフィッシャー記者は、トランプ陣営が特定の連邦訴訟を取り下げた理由を説明する際、ジュリアーニ氏が真実を語っていなかったとも報じた。また、ジュリアーニ氏本人が入手したと主張している「数百人の」選挙不正に関する宣誓供述書をメディアに提出していないとして、トランプ大統領の個人弁護士を追及した。

 最後にフィッシャー記者は、嘘をまき散らすジュリアーニ氏の背後に掲示されていた看板も嘘っぱちだ、と述べてレポートを締めくくった。 「ステージ上にはジュリアーニ氏と一緒に、『勝利への複数の道筋』と見出しが書かれた巨大ポスターが張られていました。ですがジュリアーニ氏は複数どころか、たったひとつの道筋もはっきり説明しませんでした」とフィッシャー記者。「つまりトランプ陣営はいまだに、少なくとも法廷では、広範囲な選挙不正や選挙違反が行われていたという確固たる証拠を示していないという事実に変わりはありません。選挙結果を覆し、次期大統領というジョー・バイデン氏の立場に有効な異議申し立てを行うのには不十分です」 Translated by Akiko Kato(11/21(土) 6:45配信)

*************************************

●ルドルフ・ウィリアム・ルイス・ジュリアーニ3世(Rudolph William Louis “Rudy” Giuliani III, 1944年5月28日 – )は、アメリカ合衆国の政治家・弁護士である。/ 1994年1月1日から2001年12月31日まで107代目ニューヨーク市長を務め、凶悪犯罪の撲滅及び市の治安改善に大きな成果を挙げた。アメリカ同時多発テロ事件発生時にはジョージ・W・ブッシュ大統領と共にテロリズムとの闘いを宣言し、「世界の市長」と称賛された。通称はルディ、ルーディがある。2018年にドナルド・トランプ大統領の顧問弁護士になった。(Wikipedia)

******

 今回の大統領選の当初から、顔を出していたジュリアーニさんでしたが、ニューヨーク市長時代の「敏腕」「名行政官」ぶりを知っていたので、ぼくはこれが同一人物であると、はじめは考えられなかった。それほどに、彼の主張が「常軌」から外れていたと思われたからです。まだ、すべての法廷闘争が終わったわけではないので、軽々には断言しないし、あるいは「逆転満塁サヨナラ本塁打」が出て、トランプ勝利とならないとも限らないので、いまは何も言いません。

 それはともかく、ぼくがこの記者会見をみていた時に、ジリジリというか、ツツッというか、一条の褐色の筋が垂れ下がって来たのに、驚嘆しました。血管が切れたのか。即座に「筑波山麓・ガマの油」売りの口上を思い出していました。がまが垂らしたのは「脂汗」だったか。なにが起こっているのだろうかと、ひやりとしました。まさに、「冷や汗」ものの一瞬でした。

 やがて、事情が分かり安心しました(単なる、染料の化学変化だった)。これが、この島でいうところの「冷や汗」(肝を冷やしながらの会見でしたから)だったのか、あるいは決然とした闘争本能の表れだったのか。この遠くの隣国は、何事においても真剣(まじめ)と遊び(的外れ)が入り込んでいて、やはり多様性がまだ存続してしているなあと、すこしは感心したい気にもなります。(翻って この島の前総理の疑惑に司直の手が入りました。法廷闘争が始まるのか、線香花火で終わるのか。「塀の内側に落ちる」のか。「逆転サヨナラ負け」となるのかどうか。僅差で逃げ切りなるか。少なくとも「議員辞職」は不可避でしょうね。「嘘つきは泥棒の始まり」だって)

__________________________________________

 現場がないと職人は育たない

 先週の土曜日(21日)に久しぶりに若い友人と会って、よもやま話に花を咲かせた気になり、その余韻で車を田舎道に走らせた。行きついたところが茂原市本納、上総二宮として知られる「橘樹神社」だった。七五三詣ででもあるまいが、ぼくは若いころから神社仏閣の見物を好んでいましたから、ここにもなかなかの見ごたえのある建物がいくつかあって、これまでにも何度か訪ねていたのでした。今回も神社の宮司夫妻(だと思う)が、境内を掃き清められていた。風の吹いた後だけに、落葉(銀杏)が降り積もっていた。来るたびに掃除をしているのに出会います。人が誰もいない境内を、ゆっくりと歩きながら、気持ちばかりのお賽銭を挙げただけで、たっぷりと見物したのでした。

「橘樹神社は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の后である弟橘媛(オトタチバナヒメ)を祀っている古い神社です。尊が東征中、荒れくるう海に身を投じて海神の怒りを鎮めたので、無事任務を遂行することができたといいます。社殿後方に弟橘媛の墓と伝えられる墳丘があります。そのため橘樹神社は「橘様(通称)」と呼ばれ地域の人々に親しまれています。」(茂原市公式サイト)

 この近辺にはいくつか橘樹神社があります。いずれも上記の弟橘媛を祀っています。この👸が海中(浦賀水道か)に身を沈めたのですが、幾日かして👸の着物の袖が近くの海岸に流れ着いたという。その由緒をもって「袖ヶ浦」と名付けられた。また、姫の身投げを悲しんだ尊はしばし悲しみに暮れ、「君去らず」と嘆いたので、そこを「きさらづ(木更津)」と称した。と、いくらでも歴史を捏造して、この島の由来はいろんな方向に偏っていくのです。

 今は自衛隊の空軍基地が威張っています。そして、今を時めくのかどうか知りませんが、「オスプレイの命」が鎮座しています。やがて東征にでも出かけることでしょう。この近辺には日本武尊神社もいくつかありますし、房総の対岸の三浦半島にも日本武尊ゆかりの神社があります。とにかく、神社が多い。拙宅の近くには「天照神社」がいくつもあります。今でいうコンビニ仕様ですが、大半は無人店です。

 前回来た時にはなかった「十月サクラ」が参道の中ほどに植えられており、なお小振りの花を咲かせていました。そうして倒木の始末や、境内のあちこちが何かと手入れされて、いくつかの植栽も整えられていました。昨秋の台風襲来後に、その被害を修復すると同時に、新たな橘なども植えられたのでした。

 上総一ノ宮は「玉前(たまさき)神社」で、一宮町に鎮座しています。ここにも何度か、人影のないころを見計らって出かけたりします。何かの記念に中る大修理をしているところに出会ったりしました。ここも、昨秋の暴風の被害は大きかったと見られます。とまあ、抹香臭いというか、神社信仰もない人間の寺社巡りの一くさりです。(この次には、長南町の笠森観音でも触れてみますか。ここには半世紀ほど前から通い詰めです。右写真)

********************************************

 国原譜 石造建築に比べて圧倒的に傷みやすい木造建築は、修理を重ねて現代に受け継がれてきた。その底流に技術の伝承がある。/ ユネスコの評価機関は先日、文化庁が登録申請していた「伝統建築工匠の技」を無形文化遺産に登録するよう勧告した。対象は木工や左官、瓦屋根など17分野で、12月には正式決定の見通しだ。/ 保存団体の一つ、日本伝統瓦技術保存会は生駒市に事務局を置く。瓦づくりと瓦ぶき、その両方で技術の研究と伝承に取り組んできた。/ 3代目会長を務めた山本瓦工業の故山本清一さんは生前、「海を渡って技術を伝え、それを伝承する人がいたから現在がある。原点に戻って研究しないと伝統は守れない」と話していた。/ 世界の無形遺産となる「工匠の技」は、後継者の育成が一番の課題だ。「大切なのは実践。現場がないと職人は育たない」とは山本さんの言。/ 文化財の宝庫である県内では、伝統建築の修理が計画的に進められている。棟梁(とうりょう)から弟子へ、それぞれの現場が技術を磨く修行の場となる。その蓄積が、これからも日本の文化を支えていく。(増)(奈良新聞・2020.11.20)

++++++++++++++++

● 国原=〘名〙 陸地の広く平らな所。広い国土。※万葉(8C後)一・一四「香具山と耳梨山とあひし時立ちて見に来(こ)し印南(いなみ)国波良(くにハラ)」(精選版 日本国語大辞典の解説)

 柄にもない神社巡りの与太話を書きだしたのは、この「瓦屋さん」の言葉に触れたかったからです。ぼくは、瓦にも大いに興味があり、いくつかの産地を訪ねたことがあります。もっとも普及しているのは三州瓦でしょうか。自分の住んでいた家にもそれを載せていたことがあります。(現住居にも)今日、この島では「瓦屋根」があまり流行らないのは、建築家の好みか、あるいは瓦の重量の関係でそんな家は建てたくない人が多くなったせいかもしれません。まあ、人それぞれですね。瓦の生み出す風情がいいと、ぼくは感じています。

 「大切なのは実践。現場がないと職人は育たない」と匠が言われていることに思いを馳せていたのです。職人の学校は「現場」であり、そこがすべての始まりであり、終わるところでしょう。そんな「現場」にはいろいろな教師がおり、その人たち(親方や先輩)は、手取り足取りという具合に、決して教えない。これは職人の鉄則でしょう。「教えない教え」というものがあるのです。教え(インストラクトし)ないというより、技の極意は教えられないんですね。鉋のかけ方、鋸の引き方、鑿の使い方などなど、あるいは道具の研ぎ方も、これらは、すべて体にしみこむように習得・自得しなければならないものです。これを教える親方なんか、どこにもいないでしょう。技は盗む。「表現」はが悪いのですが、これ以外に「職人」の育つ道はないというのでしょう。年季という語は古いでしょうね。誰でも三年で卒業などということはまずありえない。「年季が入っている」とは、任せて安心という印です。

 建物に関する「テスト(試験)」をして、満点を取っても家は建てられない。職人(大工さん)の学校もありますが、首席で卒業したから、ぜひにと、ぼくは建築依頼はしたくない。バッハ研究に秀でていてもバッハが演奏できるとは限らないんです。建築でも何でも、コンクール(あるいはコンテスト)という競技会がありますが、それを目当てに修行するというのはどういうことか。まるで「クイズ王」みたいなもので、「現場」が泣いているんじゃないでしょうか。ぼくは、この「無形意匠」の文化遺産とか、人間国宝とか、つまりは国家が表彰するという悪習が技術を食い物にし、匠をつまらない「作家」にしたとみています。だから、その罪は万死に値するといいたいですね。落語家に「人間国宝」は似合わないし、何よりも芸に光るものがなければ、邪道であり、論外だと、ある国宝落語家を思い描きながら、この駄文を書いています。

 翻って、「教師の道」はどうですか。言わなくてもいいでしょう。教師は立派な職人です。たいていは「職員」などと言いますけど、「職人(an artisan)」です。しかし大工さんや瓦屋さんとははっきりと違う「職人」です。どこに違いがあるか。それを深く考えていくと、教職というものの核心に至るのではないでしょうか。親方と子方、そんなつながりが、果して「教職」にあるでしょうか。現場は「どこ」ですか。鉋や鋸、鑿に道具研ぎ、教職において、それらに当たるものは何ですか。

 と、ここまで書いてきて、この先はそれぞれが、自らの状況に照らして考えていくほかに手はなさそうな気がしてきました。いい職人には、きっと素晴らしい先輩(親方や兄弟子)がいるはずです。自学・自習で出来上がる(成り立つ)職業というものは、底も浅いし、広がりもなさそうです。(DIYみたいですね)その点で、教職はどうなんでしょうか。「重要無形文化財」という「国宝教師」という顕彰制度があったら、どうしましょう。えっ、すでにあるんですか?(怖いことですね)

____________________________________________

 Democracy Dies in Darkness

+++++++++++++++++++++++++++++

 春秋 「民主主義は暗闇の中で死ぬ」。米紙ワシントン・ポストが1面題字下に掲げているスローガンだ。事実に基づいた米映画「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」(30日公開)を見れば、その意味がよく分かる▼ベトナム戦争のさなか、ポスト紙などが国防総省の最高機密文書を入手する。そこには、戦争に関して政府が何度も国民や議会に虚偽の報告をした事実が記されていた▼政府は「国家の安全を脅かす」として新聞記事の差し止めを求め、なりふり構わぬ圧力をかけてきた。記者たちは、勝てないと知りながら若者を戦場に送った歴代政権への怒りや、報道の自由を守る使命感から、偽りを暴く決意を固める…▼民主国家では、国民に負託された権力がいかに行使されたかは公文書に記録され、適切に開示されねばならない。権力に都合の悪いことは闇に葬られるならば、それは民主主義の死を意味する。真実を闇から白日の下に引きずり出すのが報道の責務だ▼それにしても、絶妙のタイミングでの映画公開である。米国では都合の悪い報道を「うそニュース」と呼ぶ大統領がやりたい放題。日本では国民の知る権利のよりどころである公文書を官僚が改ざん。むしろこちらの方がたちが悪いか▼言論封殺やうそには徹底的な取材で対抗するしかない。映画の中に私たちが胸に刻むべき言葉が。「報道の自由を守る方法はただ一つ、報道することだ」=2018/03/22付 西日本新聞朝刊=

 ワシントンポスト紙がこのスローガンを掲げたのは2017年2月の事でした。以来、今もなお掲示されてきています。この間の経緯にはいろんなことがあったのですが、それは省略します。経営母体は代わり、現在はアマゾンのベゾフ氏がオーナーである。もちろん、この標語はポスト紙の歴史上初めての事だったとされており、なぜそれが掲げられるようになったかについても、いろいろな観測がなされました。ポスト紙と言えば「ウォーターゲート事件」で時の大統領と対峙し、遂には辞任にまで追い込んだことがよく知られています。あるいは、今回の大統領選挙においては、現職大統領がWP紙を「フェイク新聞」と攻撃したことが特筆されました。この標語が掲げられたのは、現大統領の就任一か月後の事だった。

  新聞の現在、それは太平洋を隔てた両国において、似ている部分もあるし、異なるところもあるのは当然ですが、概して新聞が相対的な力を失っているのは否定できそうにありません。しかし「権力」にニジリ寄るという退廃はどちらにもあるのでしょうが、ぼくは、この島社会の新聞の罪はとてつもなく深いと感じています。誤報ではなく、虚報を堂々と掲載する新聞が大きな顔をしていられるのはどうしてでしょうか。新聞の再生は民主主義の再生と軌を一にしています。ということは「民主主義の死」は「新聞の死」と同義であるということですし、どちらかの甦りは一方だけでなし得ないのは言うまでもありません。

 新聞のない政府と政府のない新聞、どちらを選ぶかという選択をこの社会は迫られてこなかった。さらに言えば、そもそも政府も新聞も存在したことはなかったのではないか、そんな恐ろしいことまでぼくは考えてしまうのです。批判の許されない「政治」は、やがて自壊する運命にあるのですが、政治そのものに、その運命を自覚する(認識する)感覚はない。敵を警戒するにも、その「敵」が存在しないのですから、それほど面倒な事態はないことになるのです。ぼくたちの社会はその道を歩んでいるのでしょうか。視界が開けないままで、この島はきっと絶壁を「進一歩」、その清児輪にいるようにぼくは見ているのです。

 「民主主義は暗闇で死ぬ」という以上に、この島では白昼堂々と、陽光の下で死んでいく(いる)のでしょうか。

________________________________

 是小判たつた一晩居てくれろ

 昨日の昼過ぎに(拙宅は固定)電話で呼ばれて、久しぶりに年下の女人とお会いしました。「年下の男の子」は「キャンディーズ」でしたが、ぼくにもたくさんの「年下の女の子」の友人はいます。(下は三歳くらいから、数知れず)年齢にこだわらず、ぼくは暇があれば誰彼となくつきあってきました。後期高齢者になった今も、声がかかれば、家に来てもらったり、近くの駅まで会いに行くことにしています。昨日会ったのは、何年も前に四、五年付き合っていた方でした。数年ぶりの邂逅でしたが、なんといまは都の公立学校の教師をされていました。時節柄、なにかと大変な仕事ですが、ぼくは、学校の教師、と聞いただけで偉いなあと感心することにしています。その「感心」にはいろいろな意味が込められています。ちょっとばかり羨ましいという気持ちと、ぼくにはとてもなれない仕事だという尊敬の念(それは「いまどき、その職に携わるとは、勇気があるなあ」というものでもあります)と、それが入り混じって少しばかり複雑な気持ちになるのです。

 彼女は就職二年目だということでしたが、若しこれからしばらくこの仕事をつづけられるなら、初めの五年くらいがとても大事な時期だと思う。いくつかの理由がありますが、ここでは詳細は省きます。どういうわけだか、ぼくはに学校教師の友だちが多かったし、いまでもたくさんの人と交際(?)しています。この島の学校教育の歴史や教職の現実を、それなりに知っているつもりでいますから、教職が楽しい仕事、やりがいのある職業だと信じていながら、いざやってみると、どうしようもない垢や埃にまみれた職業のように思えても来ます。若い人にはなってほしくない職業でもあるといいたい時もあるのです。(要するに、教師は「公務員」であることは確かですが、それになりきってはダメだといいたいね。まず、真っ先に「人」であることですよ) 

 数年ぶりで逢ったので、積もる話があるみたいに、ぼくはつまらないことを駄弁りました。若いころ、学校を卒業して、ふるさとの山の学校の教師にでもなろうと考えていたのでしたが、紅灯の巷のような、これに近い岡場所で難破して、だらだらと都会の一隅で逼塞する羽目になったのでした。だから、彼女が中学校の教師になっていると聞くだけで、ぼくの見果てぬ夢を、白昼に見る如く、まるで自分の事のように身を乗り出してしまうのです。(これはたくさんあるぼくの悪癖の一つです)

 学校教育の歴史の中で見るべきものはほとんどなく、「権力による暴力的支配」の惨憺たる腐敗史でしかない中で、何人も何十人もの尊敬おく能わざる教師たちの仕事ぶりに、ぼくは前を見て、しっかりと自分の脚で歩くことの大切さを教えられてきました。先達(せんだつ)は、文字通り、導きの糸のように、迷える羊を何とか歩かせてくれたという感謝の気持ちを失わないで生きてきたと、今でも断言できそうです。

 友人として、彼女に何か気の利いたことを伝えられないのはぼくの無能のゆえであることは、その通りです。今も昔も、教師の置かれた状況はよくはないし、むしろ年々悪化しているのは素人目にもわかる。ぼくは自分にも言い聞かせてきたことがあります。ほかでもない「現場主義」です。大工さんにみられるように、どんな職人にも自らの本領を発揮すべきは「現場」であり、職業の成功も失敗もそこ以外にない、そんな「現場(教室)」を教師もまた、心行くまで大事にしてほしい、たったそれだけの事を言いたくなったのでした。雑用も多いし、教委や管理職のお節介も煩わしい、加えて、モンスターだか怪獣だかに等しい、一部の親たちの「イチャモン」もくそ五月蠅い。そんなものに、いちいち応接していては「現場(教室)」がおろそかになるだけだし、それをいいことに「現場」で手を抜くことにしかならない。

 そんな雑音には「耳栓(ミュートボタン)」をしっかりと抑えることです。どんな職業でも、要領(コツ)を得るには時間がかかる、いや時間をかけなければ「習熟」も「成熟」もない。長い長い修練の果てに、少しでも「成果」が得られれば、望外の喜びだとぼくは考えてきました。教職のもっともいいところは、自分自身が子どもにそそのかされて成長できるという事実です。それがなければ、ただただ、しんどいばかりの仕事だというほかありません。「もの言えぬ公務員」にはなりたくありませんね。自分をさ立てる人は、よく他人をも育てられるのです。

 だらだら喋っているうちに時間ばかりが過ぎていました。駅まで送るつもりで車を走らせたのですが、「時代遅れ」のぼくとしては、まず経験できないような「スマホ」での「電話面接」を彼女は設定してくれたのでした。画面には、昔別れて、それ以来逢っていなかった二人の女性が映りだしました。懐かしいというより、元気で立派にお母さんをしていたり、OLさんだったりしているという、今の姿を見せていただいたことに、感謝したくなりました。こちらはひたすら馬齢を重ねて、もう先がありません。いろいろと書きたいことがあるのですが、ここまでに。(その前に、ラインの場に行く前に、ぼくはFさんと「橘神社」(茂原市)に出かけたのですが、そのことも後日に)

 最初に駅前でお会いした人にちなんで、ぼくはある新聞の「コラム」の記事を書こうとしていたのですが、つい横道に入り込んで抜けられなくなった。一人のときは無口ですが、誰かが相手だと、無口が有口になり、自分でも驚嘆するほどです。このメカニズムはどうなっているんですか。

*********************

【越山若水】「誹風柳多留(はいふうやなぎだる)」は江戸時代の川柳集で、庶民の暮らしや人間模様が生き生きと詠まれている。250年の歳月を経ても物の見方や感じ方は変わらず、面白さがじんわりとこみ上げる▼「江戸者の生(うま)れそこなひ金をため」。江戸っ子は宵越しの金は持たない―とばかり、小金に執着する田舎者を軽蔑した。さらにこんな鼻持ちならない句も。「むく鳥も毎年来ると江戸雀(すずめ)」。地方出身者が年を重ねるごとに江戸の世情に詳しくなる様子をからかった

▼この「むく鳥」こそ、農閑期に信濃(長野県)や越後(新潟県)などからやって来る出稼ぎ労働者の総称。寒くなると群れをなして人里に現れ、やかましく鳴くムクドリになぞらえた。本来は里山の広葉樹や竹藪(やぶ)に生息し、植物の種子や虫の幼虫などを餌にしている▼しかし近ごろは都市に適応し、街路樹やビルをねぐらに集団で生活。大量の糞(ふん)と甲高い鳴き声が汚染・騒音の二重被害となり住民は閉口している。ちなみに大群で群れるのは餌を効率的に手に入れ、地上のキツネや上空のタカなどの捕食者から身を守る戦略だという▼町に進出し幅を利かせるあまり、今やすっかり嫌われ者。「椋鳥(むくどり)と人に呼ばるる寒さかな」。小林一茶が信濃から江戸に向かう道中に詠んだ一句。ムクドリも同じ心境だと思うが、できれば山のねぐらにお引き取り願いたい。それで全て丸く収まる。(福井新聞・202011/21)

++++++++++++++++++++++

 「誹風柳多留」は、ぼくの「枕」のようなものです。長い間、なにかと愛読してきました。江戸の先達は「粋」だったんですね。「肩で風切る」「五月の鯉の吹き流し」などどいいましたが、嫌味が残らない、さっそうとした誹風が気に入ってしまったのです。人口に膾炙したものがたくさんあります。その内のいくつかを。(平凡なものばかりですが)

 子を持ってやうやう親のばかが知れ  孝行のしたい時分に親はなし  

 孝行のしたい時分は我も耄(ぼ)け  役人の子はにぎにぎをよく覚え

 寝て居ても団扇のうごく親心  泣き泣きもよい方をとるかたみわけ

 子が出来て川の字形(なり)に寝る夫婦   是(これ)小判たつた一晩居てくれろ

”””””””””””

 江戸街中に移住(タイムスリップ)したいというのではありません。そこもまた「世間」であり、息苦しさもあったはずです。でもそれを笑いのめしたり、茶化したり、あるいは虚仮にして生きるだけのしぶとさもあったのではないですか。ぼくたちの時代に欠けているのは「笑い」であり、「風流」であり、「洒落」であると、ぼくは痛感しています。何事も「真面目」にすぎます。これは学校教育の弊害ですね。教師は自分に似た「真面目っ子」を贔屓にします。でも「真面目」というのは、よく考えると怖いんですぜ。まじめに他人を貶める、辱める。挙句には、まじめに人を殺めたりする。「真面目」には遊びも余裕も入り込む余地がないからです。

 だからこそ、政治も教育も「洒落」や「軽妙洒脱」な生き方の流儀を貫けば、今少し笑いや喜びも増そうというものです。「笑う」というのは、余裕の証であり、ゆとりのなせる業です。ゆとりを失うと、深刻(真面目というより、生真面目になる)な面持ちになり、それがだんだんとひきつって、遊び心を失って自暴自棄に走り出すのでしょう。(昔、お付き合いしていただいた「年下の女性」たちの幸運を祈るや切です。どなたも新型コロナやインフルエンザに罹患しないこと、それこそは今の世の幸運(good luck)なんですね)

_________________________________________

 この条約は、2021年1月22日に発効します

 気さくな人柄で人気があるが、主義主張をあまり語らない。長崎市長だった故伊藤一長さんは在職のころ、時にこう評された。ご自身が発案者であるその集会でも先頭には立たず、市民の結束の場をつくる“裏方”に徹した▲海外からも非政府組織(NGO)が集う「核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」は20年前のちょうど今ごろ、長崎市で初めて開かれた。4日間で延べ5千人以上が参加し、被爆地が熱気に包まれたのを思い出す▲その前、伊藤さんはオランダであった1万人規模の平和NGO集会に参加し、「長崎でもできないか」と考えたらしい。相談を受けた元長崎大学長の故土山秀夫さんが実行委員長を務め、長崎集会が実現した▲最終日の11月20日に「長崎アピール」を出した。第一に、核兵器禁止条約の実現に向けた行動を市民に呼び掛けている▲条約は3年前に成立し、50の国・地域の同意を得て、近く発効する。被爆者の訴えと、市民の結束と、支える力あっての前進に違いない▲核保有国も日本政府も条約に背を向け、道のりはなおも遠いが、光明もある。米大統領選で勝利宣言したバイデン前副大統領は、かつてオバマ前大統領が目標にした「核なき世界」を再び掲げるという。道しるべが遠くに見え、被爆地の行動が重みを増す。歩みを止めるまい。(徹)(長崎新聞・2020/11/20)

+++++++++++++++

 伊藤一長・前長崎市長銃撃事件(朝日新聞・2017年04月18日 朝刊)

 長崎市長の伊藤一長(いっちょう)氏(当時61)が2007年4月17日夜、4選を目指した市長選の選挙運動中に選挙事務所前で銃撃され、翌日に死亡した。遊説先から事務所に戻る途中だった。銃撃犯の当時暴力団幹部だった城尾哲弥受刑者(69)は殺人や公職選挙法違反(選挙の自由妨害)などの罪に問われ、08年に一審・長崎地裁は死刑を宣告したが、09年の二審・福岡高裁は無期懲役を言い渡し、12年に最高裁で、二審の無期懲役の判決が確定した。一審判決は動機について「当選を阻止することで前市長や長崎市への恨みを晴らそうと考えた」と認定し、「民主主義を根幹から揺るがす犯行」としたが、二審の福岡高裁は「政治的な信条に基づいたものではなく、理不尽な怨恨(えんこん)で、選挙妨害そのものを目的としたものではない」と認定した。

****************

 「核兵器禁止条約の批准を」長崎、広島市長が政府に要望書

 長崎市の田上富久市長と広島市の松井一実市長は20日、外務省を訪れ、来年1月に発効する核兵器禁止条約を批准するよう政府に求める要望書を鷲尾英一郎副大臣に提出した。/ 要望書は、被爆者の強い思いが源流となって条約が採択された経緯を強調し、政府がまずオブザーバーとして締約国会議に参加してリーダーシップを発揮するよう求めている。両市長は、被爆地の広島、長崎での締約国会議の開催も併せて要請した。/ 政府はこれまで、条約批准を否定し、オブザーバー参加は慎重に検討するとの見解を示している。これに対し、田上市長は報道陣に「締約国会議は、日本政府が核保有国と非核保有国の橋渡し役を果たす絶好のチャンスだ」と訴えた。米大統領選で勝利を確実にしたバイデン前副大統領の被爆地訪問実現も政府に呼び掛けたという。両市長は、自民、公明両党の幹部とも面会して要望した。(森井徹)(西日本新聞 ・2020/11/21)

******************

 2017年7月7日、国連加盟国の3分の2を超える122か国の賛成で採択され、同年9月20日に調印(署名)・批准・参加の受付が始まった核兵器禁止条約。

 2020年10月24日、新たにホンジュラスが批准書を国連事務総長に寄託して50か国となりました(ガイアナ、タイ、バチカン、メキシコ、キューバ、パレスチナ、ベネズエラ、パラオ、オーストリア、ベトナム、コスタリカ、ニカラグア、ウルグアイ、ニュージーランド、※クック諸島、ガンビア、サモア、サンマリノ、ヴァヌアツ、セントルシア、エルサルバドル、南アフリカ、パナマ、セントビンセント及びグレナディーン諸島、ボリビア、カザフスタン、エクアドル、バングラデシュ、キリバス、ラオス、モルディブ、トリニダード・トバゴ、ドミニカ、アンティグア・バーブーダ、パラグアイ、ナミビア、ベリーズ、レソト、フィジー、ボツワナ、アイルランド、ナイジェリア、ニウエ、セントクリストファー・ネイビス、マルタ、マレーシア、ツバル、ジャマイカ、ナウル、ホンジュラス)。※クック諸島、ニウエは、同条約に調印せずに加入書を国連に寄託しました。加入は批准と同じ法的効力を持ちます。

核兵器禁止条約は、90日後の2021年1月22日に発効します。(https://www.antiatom.org/Gpress/?p=15223)

################

 この問題について、多言は無用です。この島社会は米国の呼吸を確認してからでないと何事も判断できないという、屑のような政治家によって蹂躙されてきました。言いなり、追従、おべっか、ご機嫌取り…、あらゆる言葉を費やしても足りないくらいに、卑屈そのものの姿勢でアメリカの顔色を窺い、○をもらうために狂奔してきたのです。いったいどこを向いて生きているのか。ことあるごとに、「唯一の被爆国」と自らの権力維持のために便宜的に使いまわしているだけで、本当にその自覚があるのかどうか、ぼくは大いに疑っているのです。この問題は時の政府や権力者だけで決められるものではなく、島の住民が挙って判断すべき事柄です。わけのわからない屁理屈や「宗主国」へのご追従を金輪際やめて(少なくとも、この核禁止条約締結に関しては)、はっきりと自分の脚で立って、明確に決断しなければいけないと思うばかりです。(多分、歴代の権力亡者たちは米国を「宗主国」、我が国は「属国」と認めているにちがいない。でなければ、ここまで卑屈で偏頗な付き合い、というより、言いなり放題の「貢ぎ外交」はしないものだからです)

________________________________