“brilliant playing”, “extraordinary sound” …

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Biography

Celebrated worldwide as one of today’s leading violinists, Arabella Steinbacher has been praised for her “brilliant playing”, “extraordinary sound” and “softly blossoming tone”.(omitted.)

Born into a family of musicians, Steinbacher has played the violin since the age of three and studied with Ana Chumachenco at the Munich Academy of Music since the age of nine. A source of musical inspiration and guidance of hers is Israeli violinist Ivry Gitlis.(⇒)

Steinbacher currently plays the 1716 “Booth” Stradivari, generously loaned by the Nippon Music Foundation.(http://www.pentatonemusic.com/artists/arabella-steinbacher-soloist)

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 この十年ほど、ぼくは彼女の演奏に惹き付けられています。理由は簡単です。ぼくの聴いた演奏はどれも、おそらく他の人にはまねのできないような独自の音調というか、やさしさや力強さが曲目にマッチして(そんなことは当たり前だと思われていますが)、けっして肩がこらないし、途中で耳をふさぎたくなるようなことがない。これはぼくには稀有な経験です。細かく言えば切りがありませんが、奏でられる音、それは彼女の分身のように、美しくもあり気高くもある、そんな響きをぼくは安心して受け入れているのです。

 若い時は本当に、我ながら音楽に夢中でした。なけなしの金をはたいて、どれほど聴いたか。おそらくどんな遊びよりも集中して、耳を傾けていたと思う。演奏家の名前も顔も、さらには演奏スタイルも、その内容もほとんど記憶に留めているといっても誇張ではないつもりです。バカな話ですが、一時はLPが二千枚ほどになっていました。だんだんとだらけた態度が我慢できなくて、持っているすべてのレコードを売り払ったことがあります。それから、また聞き出して、今も痕跡として三百枚ほど残っており、他にCDが千枚を越えています。ほとんどがクラシックですが、中にはジャズの古いところもかなり保存しています。

 与太話はともかく、アラベラさんの演奏を一つ聞かれるといいですね。どれでもいいといえますが、以下のものはどうでしょうか。何かの用事で、ぼくは出かけられませんでしたが、マリナーについても、確かな記憶(想い出)がありますが、余談になりますから、略します。この録画でじゅうぶんに、ぼくは堪能しています。(近年はほとんど間をおかずに来日しておられるようです)(この時期にほぼ時を同じくして来日していたのがヒラリー・ハーンさん(右写真)。アラベラさんと双璧だと、ぼくはとらえています。聴かれるといいですね。ぼくの印象にすぎませんが、近年は器楽曲は、特に女性の時代ではないですか。男性の演奏に倦んでいたぼくの耳には、どなたのものも新鮮かつ柔らかに届いてきます。コンクールで覇を競うのは音楽じゃないですね。百メートル競走のような「けたたましい演奏」の時代はとっくに過ぎたようです。何によらず、順位争いは「時代遅れ」ですよ)

 Ludwig van Beethoven – Konzert für Violine und Orchester D-Dur op. 61 Arabella Steinbacher, Violine Neville Marriner, Dirigent 24.10.2007, Tokio (Suntory Hall)

https://www.youtube.com/watch?v=zB1FOv8DzIw

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。(2023/05/24)