
何日か前に熊谷守一さんの事に触れました。再度、熊谷さんの登場です。近年では「モリのいる場所」という映画にもなりました。夫婦役は山崎努・樹木希林さん。生誕百四十年だそうです。東京美術学校(現東京藝術大学)では黒田清輝や藤島竹二らに師事し、同級生には青木繁などがいました。実に「変わった人」だったというか、常識人のはるか先を行く風情で、とても当たり前の価値観や人生観では測れなかった。ぼくが感心するのは(偉そうなものいいですが、本心からそう感じているのです)、草創期の美術学校を卒業したにもかかわらず、およそ、その足跡は「画家」にふさわしいものではなかったし、事実、生活の苦労は大変なものでした。食うために樺太まで出かけ、漁場調査隊の写生係をしたこともあったそうです。その他、いくつもの職業に従事しました。
「名利」に溺れなかったのは天与の才だったか、あるいは一大転機とでもいうほどの出来事があったか。俗臭芬々たるぼくには端倪すべからざる境地に生きた人でした。四十二歳のときに結婚、相手は二十四歳だった。芸術家と言われるものが、貴重な存在であるとされるこの島で、かれは真正の芸術家だったといえますが、その意味するところは、「ひたすら自然のままに生きて、描いて」という筋を通したということだといいたいのです。「論語」(「衛靈公第十五」)に「 子曰、参乎、我道一以貫之哉、 曾子曰、唯、 子出、門人問曰、何謂也、 曾子曰、夫子之道、忠恕而已矣」とあり、ぼくはこれをモットーのように読んで読んで、これからの人生を生きていこうと、若いころに覚悟のようなものをもとうとしてきました。

「偉い人」というのは「我道一以貫之哉」という生き方を求めていた人、ぼくはそう考えているのです。名があるかどうか、世間の評判が高いかどうか、じつはそれはどうでもいいことで、そんな埃や塵に惑わされないで(時には惑わされかかることもありますが)、結局は一本の道を歩いてきたのだなあ、という人生を過ごした人のことを指します。その人の歩いた後に、「道」が残されたといえるような生き方です。そう考えると、案外少ないものだと気がつきますから、なおさら、守一さんは「偉い人」だということになります。ぼくは人を顕彰するのは嫌いだし、顕彰される人もまた、あまり好きではない。文化勲章の受賞など、もってのほかというべき。それはまるで交通事故に遭うような災難だと、ぼくは考えるようになってきました。つまり、国家に指嗾(しそう)されたくないという意味です。喜んで「事故に遭う」人は「当たり屋」といいます。かなり「当たり屋」が多いですね、この世間では。注意したいね。

本日の「コラム」は中国新聞の「天風録」です。これで何度目か。こんな生き死ににかかわらない記事はいいですね。読んでいて気分が鎮まるし、ああ、ここにも「モリがいる」という喜びがあります。天下国家を騙る(語る)のは「時代遅れ」の最たるものです。新聞が「風前の灯火」とされるのは、必然だといえます。新聞と言えども「企業」「商売」ですから、儲からなければ埒もありません。しかし儲けるためになんにでも手を出すのは「新聞」というものの成り立ちからして感心しません。
ここにある新聞が「大企業の株」を売買して大きな利益を上げたとしましょう。「T自動車」「D通」「T電」などという超大企業にかかわって利益を上げようとするなら、おそらくそれらの会社の「不祥事」や「欠陥事故」など、制約されないでは書けないでしょう。ぼくのような山中の住人にでもこのような株屋さんのような商売をしているマスコミがあるのが明白にわかるんです。儲かればいいのか、金の値打ちよりも大事なものはないのか、そんな悪態をつきたくなるし、かかるな新聞記事やテレビ番組を読んだり見たりすれば、「目が腐る」というものです。

昨日、「女子」プロゴルフ(こんな表現が今も使われているのか)の試合中にテレビ中継会社のクルーが選手に「お菓子」を手渡していた、それを写真に撮っていたという「ニュース」(なのかね)が出ていました。それも一度ではないという。それでどうしたと、言われるか。そもそも自分がしていることがわかっていないという、どうしようもない頽廃や無知が蔓延していませんか。「乗車中に運転手に話しかけるな」というのはバス会社です。黒子(黒衣)が表に顔を出しては、舞台はぶち壊しやがな。(話がそれてきましたので軌道修正)
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コロナ禍と熊谷守一展

本当に必要な時以外は外に出掛けない。散歩が日課だが、家の庭を回るくらい。新型コロナの渦中にいるような暮らしを晩年、20年近く続けた画家がいた。画壇の「仙人」と呼ばれた熊谷守一(もりかず)。生誕140周年の巡回展が三次市の奥田元宋・小由女美術館で開かれている▲庭は広く、教室二部屋分あったらしい。立ち木や草花の間を縫い、あいさつをするように巡った。蜂やカマキリなどにも目を細め、晴れた日にはござに寝そべってアリを観察したという▲そんな結晶の「蟻(あり)」「いんげんに熊蜂(くまばち)」といった絵が並ぶ会場に本人の口癖を添えてある。<石ころ一つ、紙くず一つでも見ていると、まったくあきることがありません>。退屈なし、金銭欲なし。文化勲章の内示さえ辞退している▲かすみを食う「仙人」生活は、まねのできる芸当ではあるまい。ただ、10年近く前の東日本大震災で気付かされたはずの教訓が思い出される。身の回りの「当たり前」や命がどれほど尊く、丁寧に生きることが大切か▲日本画や書も交えた約150点の作品群に幾つか、中天に懸かる月の絵がある。どれも、庭先や軒下から見上げた景色とおぼしい。あす夕暮れの満月が待ち遠しい。(中國新聞・2020/11/29)
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「いいひと」ってどんな人ですか、とぼくはよく若い友人に聞くことがあります。ほとんどは即答できないのはどうしたことか。「偉い人」も同様でしょうねえ。なかなか答えられないのは、ぼくには不思議です。「我道一以貫之哉」という、この「一」がなんであるかに人生がかかっているといえば、言い過ぎかもしれませんが、同じ仕事を生涯にわたって継続するということもありますが、「人に親切に」「ありがとうを忘れない」、近所の掃除など、これが当たり前の事柄です、という気持ちや心がけも、また「一」に当たるのではありませんか。
熊谷さんが猫や蟻など身近な生き物、さらには自然物を書き続けたのも、はっきりとした理由があるでしょう。「戦後は明るい色彩と単純化されたかたちを特徴とする『モリカズ様式』とも呼ば れる画風を確立。晩年は身近な動物や植物、身の回りのものを深い洞察力をもって描き独自の画業を切り開いた」(http://mori-movie.com/sp/artist.html)奇妙に聞こえるかもしれませんが、猫や蟻などは「我道一以貫之哉」ということでは「人後に落ちない」ということだったんじゃないですか。「植物」はさらに、です。
「君、花の美しさはどこにある?」とお弟子に尋ねたという前川國夫さんの逸話を持ち出してもいいでしょう。「自らの責任でそこにじっとしているから」というのが師の答えだった。蟻も猫も、動植物は、人間の余計な手が入らなければ、底にじっとしている、それは動きたくないというより、動かないことが習性ののだからというわけでしょう。地べたに寝ころんでまで蟻を観察し、それを描こうとした守一さんもまた、「自分の責任でじっと、そこにいる」というひとだったし、それは庭の景色の一つになってしまったかのようでした。

人気があるかないか、評価が高いかどうか、それはまた別の話です。人生の「真価」とは同日の談じゃないですね。いつもぼくは法隆寺のことを考えます。それを建てたのは誰だ、と。「聖徳太子」というのは「「悪い冗談」です。彼は建てさせたかもしれないが、カンナなど持ちはしなかった。石ころ一つ、運ばなかったでしょ。今ではまったく名を知られない無数のといっていい「職人」さんです。その多くは中国から朝鮮半島を渡って技術を身にまとって、はるばると奈良の「都」に赴任したのです。誰が建てたかを気にしない(気にならない)で、ぼくたちは五重塔を拝んでいる。そうしているうちに千三百年以上が経過したのです。ぼくは神社仏閣に出向くことが好きなのも、誰が作った、彼が建てたなどというへんてこな情報や上辺の知識を一切持たないで、直に作物・作品に近づけるからです。名前を聞いてはじめて「へえ、すごい建物なんだ」というのは「偽り」「恥」の骨頂です。名無しの権兵衛、これが究極の生き方の流儀だと、ぼくは憧れています。
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