嘘よりも八丁多い江戸の町

仏教の世界では〈生きとし生けるものを真の教えに導くために用いる仮の手段〉を意味したという。「方便」という言葉である。〈目的を果たすために用いる便宜的な手段〉を指すこともある▼「うそも方便」という。そんな意図があったのかどうか。前首相の安倍晋三さんの周囲では、事実と異なる説明が横行していた。森友学園に国有地が格安で払い下げられた問題を巡り、政府が国会で139回にわたって事実と異なる答弁をしていたことが分かった▼学園との応接録があったにもかかわらず、存在しないと言っていた。土地の賃貸を検討していた際、学園側に貸付料の概算を提示していたのに、示していないと説明していた。答弁したのは麻生太郎財務相や佐川宣寿財務省理財局長らの面々である▼「桜を見る会」問題では安倍さん自身が事実と異なる説明をしていた疑いが浮上した。前日の夕食会に参加した支援者の会費について「事務所側が費用を補塡(ほてん)した事実はない」と説明していたが、実際は900万円超を穴埋めしていた可能性がある▼事務所の担当者は支出を政治資金収支報告書に記載していなかったため、安倍さんに事実を伝えなかったという。これが本当なら、安倍さんの周囲の人々にとって事実とはそれほどに軽いものなのか▼うそをつく権力者は、国民との約束をたやすく破るかもしれない。事実を軽視する風潮も現政権に受け継がれているとしたら、背筋が寒くなる。うそを〈便宜的な手段〉にしてはならない。(新潟日報・2020/11/26)

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 嘘という語の歴史は古くて複雑です。それだけ、人間社会にとっては多用され重宝されてきたことの証拠です。さかんに「嘘も方便」が言われています。「方便」にもいくつもの使用例がありますが、ぼくは、この場合は「活計・たつき」としたい。この場合とは、いうまでもありません。国会で口を開けば「嘘八百」を吐き出していた前総理の愚かしい話です。「活計・たつき」というのは、文字通り、「生活の手段、方法」です。生計を立てるという場合の、それです。この前総理は「嘘をつく」ことで「生計を立て」ていたというわけです。嘘が「たつき・手付き」でした。それは「天才的」だったというべきでしょう。真っ赤な嘘を吐きながら、すべてを意のままにしていたのですから、お見事とは言いたくありませんが、見上げたものです。嘘をつきとおすのが、彼の人生だった。

 この「天才」政治家を育てたものは何だったか。もちろんぼくは彼の生育歴を知りませんから、深くは語れませんが、少なくとも「有権者」は有力な「育ての親」であったことは確かです。なにしろ「衆議院議員当選九回」です。これだけの選挙で彼を担いで勝たせてきたのですから、立派な親と言っていいでしょう。ぼくも、なにによらず「選挙」にはほとんど投票所に出かけます。投票率は九割以上であると思います。また、ぼくの選んだ候補者の落選率も九割以上でした。(嘘ではありません)

 さらに国会議員諸氏もまた「育て親」の資格は十分に持っています。なにしろ「嘘つき晋三」を八年近くも総理大臣として遇してきたのですから(腹の中でどうみなしていたかは、別問題)。それで甘い汁を吸ったり、嬉しい思いをした御仁もたくさんいたから、「嘘つき晋三」はのさばったのです。彼個人をとやかく言うほど、ぼくは彼を知らないから、むしろ、そのような人物を祭り上げた取り巻きの振舞いは問われてしかるべきだといいたいだけです。選挙、あるいは選挙権の誤用ですな。

 それでは「生みの親」はだれか。言わずと知れた「純一郎」さんです。今では間違っていたと「臍を噛んでいる」かどうか知りませんが、じつに単純に後釜に据えたのですから、その責めは負わなければならないでしょう。そこまで面倒見られないよ、と言われそうですが、この島の「かじ取りを選ぶ」のだという認識があれば、こんな間違いは犯さなかったはずです。純一郎自身が、たくさんの間違いを重ね、後の路線を敷いた罪は逃れられないといえますね。子分は「親の歩き方、息きの吐き方、嘘のつき方」を最大漏らさず模倣した結果、遂には自分の「嘘つき流儀」を確立したのではなかったか。「子は親の背中を見て育つ」「口元を見ても育つ」

 こんなことを言っても、何事も始まりません。ぼくは繰り言を吐露して、自らの憂さ晴らしをしているのではないつもりです。町内会長を選んだり学級委員を選挙するのと、やはり筋がちがうという「知識」があれば、ぼくたちは後悔しないのに、というだけです。デモクラシーは見果てぬ夢ですが、それを足場にして生きていける社会をこそと、デモクラシーを育てたい、これまでの歴史においては、それは願わしい政治制度・仕組みであり、集団生活の方法・原理であると考えてきました。しかし、集団のメンバーがじゅうぶんに育ち切っていないと、とんでもない事態を民主主義は生み出してしまいます。デモクラシーの歴史は「過ち・失敗の歴史」でもあるでしょう。

 多数決はデモクラシーの一手段ですが、それは「仮定」「一時の手段」でしかありません。(ここまで書いてきて、かなり面倒になってきましたから、端折って言います)じっくりと時間をかけ議論を重ねて「結論」を得る、そんな手間暇をかけなければ、デモクラシーはじゅうぶんに育たない。この生活の方法は、歴史の彼方や虹の彼方から生まれてきたのではありません。おそらく、どんな社会集団にもその片鱗や核の部分はみられるのです。人間集団(やそれ以外の生き物を含めて)が形成されてこの方、いつでもどこにでも「デモクラシー」の要素があった。しかしある種の異端者が出てくれば、その方法や、その方法にのっとっている集団は瓦解します。全体主義になったり専制(独裁)政治がまかりとおったり、「衆愚政治」が生まれてくるのです。ぼくたちの島社会にも、この歴史がハッキリと認められる。

 「由らしむべし、知らしむべからず」という政治哲学が「論語」にあり、よく引かれてきました。あるいは哲学ではなく、政治の手法だったかもしれません。その意図するところは単純ではあり、バカな政治家まがいに模倣(利用)されると、人民はひどい目に合うのを避けられないのです。多くは「《「論語」泰伯から》人民を為政者の施政に従わせることはできるが、その道理を理解させることはむずかしい。転じて、為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民にわからせる必要はない。」(デジタル大辞泉)とされているようです。文句を言わないで、権力者の命令に従えばいいんだと。そうだろうか、とぼくは異議を唱えます。

 他も同じような解説です。「人民を従わせることはできるが,なぜ従わねばならないのか,その理由をわからせることはむずかしい」という意味である。つまり,人民は政府の法律によって動かせるかもしれないが,法律を読めない人民に法律をつくった理由を納得させることは困難である,といっているにすぎない。ところが江戸時代には,法律を出した理由など人民に教える必要はない,一方的に法律(施政方針)を守らせればよいという意味に解されて,これが政治の原理の一つとなった」(ブリタニカ国際大百科事典)

 民衆は愚かだから、とことん教えても無駄だ、という愚民史(視)観が根っこにあり、黙って従わせればいいんだという、フザケタ姿勢がどんなにつまらない政治屋人間にも巣くっているんですね。前総理はその「愚民史観」をだんだんと膨らませ、遂には国会の中においても「自分以外は愚」という政治原理の完成を見たのでしょうな。どっこい、それはまたおどろくほどの「陥穽」だったんですね。「自分も含めて、愚か」というのは真実です。でも「自分以外は」といったところが致命傷だった。バカは「黙らせる」から、「騙せる」に変容したんですね、まるでウィルスのように。これは彼自身の「持ち分・持ち味」だったとぼくは見ています。人間は愚かだな、手もなく騙せるんだから、という(学習)を彼はどこでしていたのか。

 「子曰。民可使由之。不可使知之」孔子という儒者は政治家(為政者)になることを、長年にわたって、望んでいました。彼は一国の総理大臣になり、これを治めることが生来の願い(修身斉家治国平天下)だったといってもいいでしょうが、不幸にして時にあらず(時宜を得なかった)、彼を呼んでくれる人がいなかったのです。(自分は「論語読みの論語知らず」であることを白状しておきます。うんと若い時に『論語』全巻を仁斎や徂徠に導かれて読んだ経験があり、今も愛読書ですが、読むたびに難しくなります。誰の言葉だったか、「陸沈」という語はあります。(陸上で溺れる」というのは、どういうことでししょうか。宿題です)

 結論はありません、政治は「道」の実現です、孔子はそう確信していました。「道」というのは、孔子にとっては「君子の道」、つまりは政治を通して発現してくる「方法」でした。君子たるものが経世済民のために習得すべき政治の原理であり哲学だった。とまあ、こんな無駄話をする気にもなれないのが、今朝の心境です。(いずれ、孔子や論語についてはゆっくりと書いてみたいですね)

 「嘘から出た実」ということはあるのでしょうね。それでは、今回の「嘘つき晋三」からは、どんな「実」が出たのでしょうか。きっと、「馬鹿は死ななきゃ治らない」ということなんでしょうが、詳細はこの次に。(彼が捕まるかどうか、ぼくの関心外です。ただ、国会を足蹴にして、おのれの小さな野心を遂げるために「嘘八百」に塗れていたという事実が明らかになればそれでいい。これ以外の「嘘も方便」もまた、おのずから明らかになるでしょう)

 (二代目広沢虎造「次郎長伝」中の「森の石松」は、その語りまでぼくは、記憶しています。これは学校では教えられなかった。だから、ぼくは学んだ。「馬鹿は死ななきゃあああああーあああ、治らあああーなあい」静岡(遠州)にある石松の墓参り(⇦写真)をしたことがあります。はたして、石松の「バカ」は治ったかどうだったか)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと 下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです