できるやんか それでええやんか

 学校と私:通信制高校は第二の青春=お好み焼きチェーン「千房」社長・中井政嗣さん

 7人兄弟の上から5番目で、やんちゃな子どもでした。授業中もがさがさしているから、小学校の時の席は、いつも教壇の横。先生に出席簿の角で頭をたたかれたり、両手にバケツを持って廊下に立たされたりはしょっちゅうでしたね。/ 親も先生も「勉強せえ」と言いませんでした。5段階の成績は、体育や音楽、図画工作が5か4で、他はだめ。中学でも勉強は嫌いで家も貧しかったから、高校に行きたいとは思いませんでした。就職できてラッキーという感じだったんです。/ 中学3年の途中で進学組と就職組に分かれるのですが、職業の授業を担当してくれた男性の先生が僕らをとても大事にしてくれました。宿直の時に生徒を呼んで、ビールをちょっと飲ませたり、大人のまねごとをさせてくれるんです。「あかんことや」と思ったけど、先生と秘密を共有しているのがうれしかったなあ。

 卒業式の翌日、尼崎(兵庫県)の乾物屋に丁稚奉公(でっちぼうこう)に出ました。「仕送りはいらんから自立せえ」と送り出してくれた父親がその年の秋に亡くなり、自立心ができました。毎日寂しかったけど、根性ができて耐えることを覚えました。/ 37歳の時、大阪府立桃谷高校の通信制に入学しました。中学卒の学歴にコンプレックスがあったのと、勉強したかったからです。「千房」を経営していたので週4日、仕事を終えてから通学しました。最初はスーツで行っていたのですが、なじめなくて。ジャージーに着替えたら、一気になじみました。15歳から70代まで年齢はばらばらだったけど、友達もできて文化祭や体育祭も全力で参加しました。自分で学ぶことを選んだから、成績も良かったんです。第二の青春でしたね。/知識を身につけるのは大事ですが、社会で問われるのは学校の成績だけでなく何をしているかです。企業でも業績とか効率とか言うけど、数字よりもどんな努力をしたか、プロセスがもっと大事。場当たり的に成績を上げる方法を考えるのではなく、日常生活で礼儀や言葉遣いなどの基礎を少しずつ築いて自信をつければ、成績は自然に上がるんとちゃうかな。

【聞き手・田中博子】==============■人物略歴 ◇なかい・まさつぐ=1945年奈良県生まれ。73年、大阪・ミナミにお好み焼き店「千房」を開店。現在、大阪を中心に全国とハワイで展開する。自伝的著書「できるやんか!」(潮出版社)など。(毎日新聞・10/12/11)

++++++++++++++++++++++++++

中井さんのお店「千房(ちぼう)」は大盛業中です。取材から十年たった現在、社長は次男に譲られ、自身は会長を務められています。この方は、早い段階から、社会奉仕に徹底してこられた。中でも「出所者」を積極的に採用されています。「自分で学ぶことを選んだ」「社会で問われるのは学校の成績だけでなく何をしているかです」という指摘は、もっとも学校教育の隙をついた言葉ですし、まさに経験の重みというものを考えさせられてしまいます。

 大時代の言葉を使うなら、中井さんは「立志伝中の人」となるのでしょう。さまざまな活動をされてもおられます。ぼくが関心をもつのは、「成功者」としてではなく、「学校の経験」をどのように把握して現在に生きておられるかという点にあります。

 この島では一定の年齢になれば、だれもが学校に行きます。行かなければならないことになっています。「義務教育」とは、子どもの教育を保障する「保護者や国などの義務」を指して言うのですが、その「義務」が子どもが教育を経験する「権利」を担保しているのです。学校に行けば、「権利」が保障されるかと言えば、決してそうではないのですが、それはともかく、自らの学校経験をどのように掴みなおすかが、その後の人生に大きな影響を及ぼすだろうと、ぼくは考えています。人間は間違える存在です。その「間違い」を生かすも殺すも本人次第ともいえるし、それを支えてくれる他者の存在も大きく影響してきます。親や教師の役割も、子どもの背後で彼や彼女の自立歩行を支えてくれる存在であるというところに尽きる、そういっても外れてはいないのではないでしょうか。あるいは、そのような支え手はどの子にとっても「親や教師」であるともいえるのです。

「中学3年の途中で進学組と就職組に分かれるのですが、職業の授業を担当してくれた男性の先生が僕らをとても大事にしてくれました」、「教師冥利」というのはどういうことを指して言うのでしょうか。

__________________________________