
いつの間にか「えべっさん」が終わり、気付けば、ドリミネーションの明かりがともる。広島市中心部の夜は今年も明るく輝くものの、いまひとつ気分が乗らない人も多いに違いない▲コロナ禍のせいだが、別の理由もありそう。ブラックフライデーにサイバーマンデーと続く月末に向け、商店街もネットも手ぐすね引く。そんな冬のバーゲン時季なのに、朝晩の冷え込みが弱い。厚手のコートにはまだ、物欲の灯がともらないのだ▲むしろ、こちらの値段が気になる。都内のホテルを会場に開かれた、おととしの「桜を見る会」前夜祭。参加者は5千円の会費を払い、主催した安倍晋三前首相の後援会は何ら追加負担はしていないと主張する▲いや、少なくとも1人の飲み食いに1万1千円かかるはずだ―。弁護士らの告発を受け、東京地検特捜部が前首相の秘書らから事情を聴いたという。差額の6千円ほどを後援会が提供した疑いがあるという告発状の指摘が事実なら、有権者への寄付行為として公選法に違反しよう▲英語のバーゲンには、掘り出し物のほか、契約や取引といった意味もある。ここはせめて、ホテルと後援会との値決め経過が明るみに出ないものか。 (中國新聞・2020/11/24)

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東京地検が動いた、やっとという遅さであったが、とにかく疑惑問題に手を付けたのは確からしい。この先がどうなるか、ぼくにはわかりませんが、「総理の犯罪」の有無が明らかになることを願っている。こんな腐臭芬々の事柄に言及したくないのですが、この十年以上、島の中央政府が強引な政治(私物化・独占化)を押し通してきた結果、いまや嘘もつき放題、憲法も法律も無視し放題というあきれてものが言えない事態が、常態になっているのですから、この責任のありかはどこの誰であろうと追及してもらわなければならない。 さらに許しがたいのは、舌先三寸で「国税濫費」「政治私物化」「国民愚弄」という頽廃の坂道を国会議員総勢で降下していたのですから、我々を含めて問題放置・傍観の責任から逃れられないというべきです。

ぼくは普段から、同じ嘘をつくのでも、総理大臣と市井の一私人とでは雲泥の差がある、またなければならないと考えてきました。また人を見る(判断する)際に、言っていることではなく、行っていることにおいてそうすべきであるとも。「人権尊重」を言い募りながら、やっていることが「人権侵害」であったなら、ぼくたちはその人間を受け入れられないのです。時の総理が国会で、何十回何百回の虚偽答弁をしていたのは事実であり、その責任は一度も果たされてこなかった。その「嘘」を万人が知っていたのに、それを明らかにしなかった。その時、当事国の人民は何をしなければならないか、ぼくたち自身も問われているのでしょう。
自分は選挙区の人間でもないから「総理の犯罪」には無関係と言ってしまうわけにはいかないと思います。好んでなったわけでもないけど、この「国人の一人」であるという、自らの置かれた立場から逃れられないのです。だからこそ、ぼくたちに代わって、ぼくたちが望むような責任を果たすように「強制する」役割が憲法や法律によって与えられている人々がいるのであり、それが公務として認められてもいるのです。この間、政治的暴力によって「三権分立」が蔑ろにされてきました。それを復旧させることは至難の業ですが、放置しておくわけにもいかない。「特捜が動いた」「鼠一匹を逮捕」じゃ、天下に示しがつかないのです。(その惧れがまったくないわけではないことを、ぼくは知っているのです)


五輪を「福島復興」のために、こう言って「招致」運動を展開した。その結果はどうだったか。「1964年の東京五輪が敗戦からの復活をアピールしたように、2度目の祭典は震災からの復興が旗印とされる。『他に取り組むべき問題は多いのに、五輪なんて役に立たない。名ばかりのパフォーマンスだ』。福島県南相馬市の市長を2018年まで8年務めた桜井勝延(64)の口調は厳しい。/ 福島原発の使用済み核燃料の搬出は遅れ、増え続ける処理水を保管するタンクにも限界がある。招致の際、首相が確約した『状況はコントロールされている』という言葉からは、ほど遠い。五輪関連の建設ラッシュが資材高騰や作業員不足に拍車をかけ、桜井は『五輪が逆に復興を遅らせている面もある。原発も五輪も、東京が福島を利用して金儲けする構図は変わらない』と指弾する。」(京都新聞・2020年1月14日 13:18)
いうならば、それは五輪の「私物化」「政治利用」でした。こんなにしてまで「己を高く見せたい」という我執、それがぼくたちの中にもあると考えると慄然とします。背筋が凍る思いがするのです。人をないものにしてまでおのれの存在を突き出したいという欲望、そこにはいささかの自制心もなければ、他者に対する畏敬の念のかけらもないというべきでしょう。少なくとも、こんな人物が「政権を掌握」して八年、そんな人物に後事を託した元総理の過ちも、ぼくは問い続けたいし、この人物の下僕宜しく、だが「虎視耽々」とその椅子に近づこうとしていた、禅譲か略奪かわかりませんが、やがて願い通りに後釜に座った現総理の犯罪的行為(官房長官時代の)も見逃せないのです。それをまた、後方支援や前面尽力をしてきた官僚軍、また「銃後の護り役」を果たしてきた報道界。(この機に、路線転換を図る輩が陸続しています、悪いことじゃないけど。きっと、またどこかで「転ぶ」んだ)

けじめをつけてくれ、それをひたすら望むし、それが叶わなければ、ぼくたちの立つ瀬はない。歴史的な破廉恥さで、総理大臣の堕落や腐敗に拍車をかけてきたのが、議員さんたちの「不作為」であったとしたら、もう救いの道はないし、ますます庶民は浮かばれない。公務員(public servant)であることを今一たび、自らに糺してほしい。そして、ぼくたちもまた、一人の選挙民として、さらに賢明になる努力をするほかに、この「泥濘」「塵界」から身を救い出す術はないのです。「一億総懺悔」などという戯言にしてはなるまい。己の持ち場で、何をしなければならないか、それが問われているのです。(前総理の「後援会」のだれ一人として、この「総理の不正・腐敗」に対峙しようとしなかった、選挙民の愚かさ・卑しさが、国を過ち人を貶めるという典型でした。払いきれないほどの「授業料」を払うことになればいい)
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