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人の目の 秋にうつるや 嵐山 (子規)
何度か触れましたが、この地はぼくの育った場所で、高校生までの束の間だったが、一人で出かけたり、友人と戯れに遊んだりした、「曽遊」の地、ぼくの経験になじみませんが、文人を気取っていうとこうなります。漱石も子規も、あるいはそれ以前には無数の文人墨客が遊んだ土地であり、平安時代には貴族の別荘が競って豪勢を誇った地でもあります。
観光地は、いずこも軒並みに廃れるというか、人心が荒んで、行く末を案じてしまうほどの常態を醸し出しているとぼくには映ってしまいます。ミザントロープというへんてこな語を使いますが、だからぼくは混雑している時や場にはまず近づかないようにして、生きてきました。閑散、それがもっともぼくの好む雰囲気です。それでは生業も成り立たず、生きるすべがないというのも、その通りですが、さて、観光立地、観光立国という政治的な思惑で「栄枯盛衰」をくぐるのも一案ですが、今回のような事態にはなす術もありません。暢気に外野から寝ぼけたことを言っているぼくには、これもまた時世時節の流転きわまりない「一風景」と映ります。
嵐山は「小倉百人一首」ゆかりの地でもあります。
わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ あまのつり舟(小野篁)
月見れば ちぢに物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど(大江千里;今日の歌手さんではない)
ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ(紀友則)
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