

先週の土曜日(21日)に久しぶりに若い友人と会って、よもやま話に花を咲かせた気になり、その余韻で車を田舎道に走らせた。行きついたところが茂原市本納、上総二宮として知られる「橘樹神社」だった。七五三詣ででもあるまいが、ぼくは若いころから神社仏閣の見物を好んでいましたから、ここにもなかなかの見ごたえのある建物がいくつかあって、これまでにも何度か訪ねていたのでした。今回も神社の宮司夫妻(だと思う)が、境内を掃き清められていた。風の吹いた後だけに、落葉(銀杏)が降り積もっていた。来るたびに掃除をしているのに出会います。人が誰もいない境内を、ゆっくりと歩きながら、気持ちばかりのお賽銭を挙げただけで、たっぷりと見物したのでした。

「橘樹神社は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の后である弟橘媛(オトタチバナヒメ)を祀っている古い神社です。尊が東征中、荒れくるう海に身を投じて海神の怒りを鎮めたので、無事任務を遂行することができたといいます。社殿後方に弟橘媛の墓と伝えられる墳丘があります。そのため橘樹神社は「橘様(通称)」と呼ばれ地域の人々に親しまれています。」(茂原市公式サイト)
この近辺にはいくつか橘樹神社があります。いずれも上記の弟橘媛を祀っています。この👸が海中(浦賀水道か)に身を沈めたのですが、幾日かして👸の着物の袖が近くの海岸に流れ着いたという。その由緒をもって「袖ヶ浦」と名付けられた。また、姫の身投げを悲しんだ尊はしばし悲しみに暮れ、「君去らず」と嘆いたので、そこを「きさらづ(木更津)」と称した。と、いくらでも歴史を捏造して、この島の由来はいろんな方向に偏っていくのです。

今は自衛隊の空軍基地が威張っています。そして、今を時めくのかどうか知りませんが、「オスプレイの命」が鎮座しています。やがて東征にでも出かけることでしょう。この近辺には日本武尊神社もいくつかありますし、房総の対岸の三浦半島にも日本武尊ゆかりの神社があります。とにかく、神社が多い。拙宅の近くには「天照神社」がいくつもあります。今でいうコンビニ仕様ですが、大半は無人店です。
前回来た時にはなかった「十月サクラ」が参道の中ほどに植えられており、なお小振りの花を咲かせていました。そうして倒木の始末や、境内のあちこちが何かと手入れされて、いくつかの植栽も整えられていました。昨秋の台風襲来後に、その被害を修復すると同時に、新たな橘なども植えられたのでした。

上総一ノ宮は「玉前(たまさき)神社」で、一宮町に鎮座しています。ここにも何度か、人影のないころを見計らって出かけたりします。何かの記念に中る大修理をしているところに出会ったりしました。ここも、昨秋の暴風の被害は大きかったと見られます。とまあ、抹香臭いというか、神社信仰もない人間の寺社巡りの一くさりです。(この次には、長南町の笠森観音でも触れてみますか。ここには半世紀ほど前から通い詰めです。右写真)
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国原譜 石造建築に比べて圧倒的に傷みやすい木造建築は、修理を重ねて現代に受け継がれてきた。その底流に技術の伝承がある。/ ユネスコの評価機関は先日、文化庁が登録申請していた「伝統建築工匠の技」を無形文化遺産に登録するよう勧告した。対象は木工や左官、瓦屋根など17分野で、12月には正式決定の見通しだ。/ 保存団体の一つ、日本伝統瓦技術保存会は生駒市に事務局を置く。瓦づくりと瓦ぶき、その両方で技術の研究と伝承に取り組んできた。/ 3代目会長を務めた山本瓦工業の故山本清一さんは生前、「海を渡って技術を伝え、それを伝承する人がいたから現在がある。原点に戻って研究しないと伝統は守れない」と話していた。/ 世界の無形遺産となる「工匠の技」は、後継者の育成が一番の課題だ。「大切なのは実践。現場がないと職人は育たない」とは山本さんの言。/ 文化財の宝庫である県内では、伝統建築の修理が計画的に進められている。棟梁(とうりょう)から弟子へ、それぞれの現場が技術を磨く修行の場となる。その蓄積が、これからも日本の文化を支えていく。(増)(奈良新聞・2020.11.20)

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● 国原=〘名〙 陸地の広く平らな所。広い国土。※万葉(8C後)一・一四「香具山と耳梨山とあひし時立ちて見に来(こ)し印南(いなみ)国波良(くにハラ)」(精選版 日本国語大辞典の解説)
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柄にもない神社巡りの与太話を書きだしたのは、この「瓦屋さん」の言葉に触れたかったからです。ぼくは、瓦にも大いに興味があり、いくつかの産地を訪ねたことがあります。もっとも普及しているのは三州瓦でしょうか。自分の住んでいた家にもそれを載せていたことがあります。(現住居にも)今日、この島では「瓦屋根」があまり流行らないのは、建築家の好みか、あるいは瓦の重量の関係でそんな家は建てたくない人が多くなったせいかもしれません。まあ、人それぞれですね。瓦の生み出す風情がいいと、ぼくは感じています。

「大切なのは実践。現場がないと職人は育たない」と匠が言われていることに思いを馳せていたのです。職人の学校は「現場」であり、そこがすべての始まりであり、終わるところでしょう。そんな「現場」にはいろいろな教師がおり、その人たち(親方や先輩)は、手取り足取りという具合に、決して教えない。これは職人の鉄則でしょう。「教えない教え」というものがあるのです。教え(インストラクトし)ないというより、技の極意は教えられないんですね。鉋のかけ方、鋸の引き方、鑿の使い方などなど、あるいは道具の研ぎ方も、これらは、すべて体にしみこむように習得・自得しなければならないものです。これを教える親方なんか、どこにもいないでしょう。技は盗む。「表現」はが悪いのですが、これ以外に「職人」の育つ道はないというのでしょう。年季という語は古いでしょうね。誰でも三年で卒業などということはまずありえない。「年季が入っている」とは、任せて安心という印です。
建物に関する「テスト(試験)」をして、満点を取っても家は建てられない。職人(大工さん)の学校もありますが、首席で卒業したから、ぜひにと、ぼくは建築依頼はしたくない。バッハ研究に秀でていてもバッハが演奏できるとは限らないんです。建築でも何でも、コンクール(あるいはコンテスト)という競技会がありますが、それを目当てに修行するというのはどういうことか。まるで「クイズ王」みたいなもので、「現場」が泣いているんじゃないでしょうか。ぼくは、この「無形意匠」の文化遺産とか、人間国宝とか、つまりは国家が表彰するという悪習が技術を食い物にし、匠をつまらない「作家」にしたとみています。だから、その罪は万死に値するといいたいですね。落語家に「人間国宝」は似合わないし、何よりも芸に光るものがなければ、邪道であり、論外だと、ある国宝落語家を思い描きながら、この駄文を書いています。

翻って、「教師の道」はどうですか。言わなくてもいいでしょう。教師は立派な職人です。たいていは「職員」などと言いますけど、「職人(an artisan)」です。しかし大工さんや瓦屋さんとははっきりと違う「職人」です。どこに違いがあるか。それを深く考えていくと、教職というものの核心に至るのではないでしょうか。親方と子方、そんなつながりが、果して「教職」にあるでしょうか。現場は「どこ」ですか。鉋や鋸、鑿に道具研ぎ、教職において、それらに当たるものは何ですか。
と、ここまで書いてきて、この先はそれぞれが、自らの状況に照らして考えていくほかに手はなさそうな気がしてきました。いい職人には、きっと素晴らしい先輩(親方や兄弟子)がいるはずです。自学・自習で出来上がる(成り立つ)職業というものは、底も浅いし、広がりもなさそうです。(DIYみたいですね)その点で、教職はどうなんでしょうか。「重要無形文化財」という「国宝教師」という顕彰制度があったら、どうしましょう。えっ、すでにあるんですか?(怖いことですね)
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