余録 立冬から10日もたつと「雉(きじ)が海に入って大(おお)蛤(はまぐり)になる」そうである。1年を72に区切って季節の移り変わりを表す「七十二候」の話である。そんなバカなと思われるのも当然だが、古代中国の書物にそうあるのだ▲春には「獺(かわうそ)が魚を祭る」ころもあって、「獺祭(だっさい)」という言葉を残している。「鷹(たか)が鳩(はと)に姿を変える」「田鼠(でんそ)(モグラ)が鶉(うずら)になる」ころも春である。秋の「雀(すずめ)が海に入って蛤となる」ころは、「雉から大蛤」の変身の小型版であろう▲唐代中国版の七十二候が記すこれらの奇想だが、近世にできた日本版は腐った草がホタルになるというもの以外は実際の自然の変化を記している。雀や鷹の変身や獺の祭りが今に伝わるのは、俳人らが季題として喜んで用いたからだ▲気象庁は季節の移り変わりを示す動植物の変化を調べる「生物季節観測」を来年から大幅に縮小する。ウグイスの初鳴きやツバメの初見など23種24現象の動物観測はすべて廃止され、植物観測も桜の開花など6種9現象に減らされる▲七十二候の昔から季節の移ろいを教えてくれた鳥や虫たちからの便りは切り捨てられてしまうのか。気象庁は都市化で気象台周辺での観測ができなくなっていると釈明する。ちなみに生物季節観測が始まったのは1953年のことだ▲思えばわずかな間に季節を告げる小さな自然を身の回りから失ってしまった日本人である。気象庁がそれを見る目、聞く耳をもたないというのなら、市民のネットワークで新たな七十二候を記すしかない。(毎日新聞2020年11月12日 東京朝刊)



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もう三、四年前になるか。一年かけて「七十二候のピアノ演奏」なる暴挙(いや快挙か)を「ラジオ深夜便」がやったことがあります。真夜中の何時ころだったか。作曲と演奏は川上ミネさん。彼女は清水寺や興福寺だったかでも果敢な演奏活動をされています。たしかボリビア在住だと伺った。難という洒落た、と言いたかったが、ぼくにはよくわからなかった。七十二候のすべてを「ピアノに語らせる」という、文字通りの「弾き語り」でしたが、節季の違いは現実の違いもあいまいでしたが、それ以上に候と候の違いは不鮮明でした。当たり前の話で、例えば、という無駄話です。
2020/11/07:立冬(りっとう),旧暦=10月 節(註 本年の立冬のひ。「はじめて冬の気配があらわれてくる頃。銀杏の葉が黄色く色づき始め、紅葉(もみじ)が見ごろとなる」その「節」には、以下の三つの「候」が含まれています。

2020/11/07:初候 山茶始開(つばき はじめて ひらく)
2020/11/12:次候 地始凍(ち はじめて こおる)
2020/11/17:末候 金盞香(きんせんか さく)
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ぼくは毎日聴きましたのである種の経験(傾聴)談として語れます。この三つの「候」も、もちろん聴いたのですが、つばき、凍結、金盞花のそれぞれが際立たないことおびただしい。これを全曲通して(といっても二、三分だったろう)弾かれると、まとまった曲として受け止められたと、今では考えられます。七十二候の全曲が終わるまでに何日かかったか、記憶にありませんが、これをレコード(CD)で聴こうとは思いもしませんでした。凄いことをする人もいると感心したり、呆れたりしながらの深夜演奏会の独演会だった。
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CD発売の「内容紹介」(AMZON)の記事を以下に掲げておきます。
●内容紹介 来年(2018年)で30年目を迎える、NHKラジオの長寿番組『ラジオ深夜便』。この番組の中で今最も注目を集めているコーナー【七十二候】の音楽をすべてまとめたアルバムが発売!昔からある日本の暦で、1年を七十二に分けられた季節の一時一時を、また季節の彩をそのまま音で描いた作品で、まさに音で奏でる歳時記、新しい試みが放送で評判になりました。その音源をそのままCD化します。

●【七十二候について】 ◆七十二候とは……二十四節気(にじゅうしせっき)をさらに三つ(初候・次候・末候)に分け、季節の移ろいや変化を、気象や自然や動植物等の成長・行動などに託して具体的に表し、日常生活や農作業の目安としたものです。もともとは中国の暦に記載されていたもので、奈良時代に日本に取り入れられ、江戸時代に、日本の四季、動物、植物、読み方に合わせて改変されました。
●メディア掲載レビューほか 2018年で30年目を迎える、NHKラジオの長寿番組『ラジオ深夜便』。この番組の中で今最も注目を集めているコーナー【七十二候】の音楽をすべてまとめたアルバムが発売!昔からある日本の暦で、1年を七十二に分けられた季節の一時一時を、また季節の彩をそのまま音で描いた作品で、まさに音で奏でる歳時記、新しい試みが放送で評判になりました。その音源をそのままCD化。
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夏の猛暑を経験したなら、この劣島は「温帯」なんかではなく「熱帯」そのものになったといいたくなります。気候変動(という表現も、なんだか変ですね)がいよいよ激しくなっているという人があれば、いいやそんなものはどうということもないと批判する方もいる。両論相争う中で、いよいよ動植物の感覚は鈍麻したのか鋭敏化したか、どこかでいのちの核心部分に狂いが生じている事態が、加速度的に進行中です。

七十二候だとか二十四節季を愛でていた風流人は、つい最近までいたし、節季や候によって農作業が図られて収穫に至るという生業が定着していたわけでしたが、この気の遠くなるような季節の変転を、いった誰が、なにが狂わせたのか。南・北極の氷が溶けだして久しい。人心が惑乱し、いまや溶解しているのも日常化した事態にぼくたちは齷齪・慨嘆しています。我も人も「歴史の一部」、それもほんの一瞬であることを失念するところから、万事不手際が生まれているのです。
「思えばわずかな間に季節を告げる小さな自然を身の回りから失ってしまった日本人である」というのは「余録」氏です。仰せの通りかもしれませんが、「日本人が失った」のではない。「奪われた」んですね。だれにか、それは言わなくともいいでしょう。でも、この狭い島にはまだまだ「失い」「奪われる」ことを断じて肯んじない人々も動植物きっと存在しているのです。季節のめぐりに感謝しながら、生きる喜びも悲しみも背負い込んで生きている方々がおられるといえるのです。動植物は言うまでもありません。

「ウグイスの初鳴きやツバメの初見」どころではありません。拙宅の周りにも大小さまざまな動物植物が共生・共棲している。ぼくをその片隅に、ほんの一時の宿を借りている風情です。都会をcityといいますが、万事、都会化することが「文明化」だともてはやされてきました。civil(都会人)になることが「「文明化」civilizationなのだ、と。さすれば、「文明化」とは「野蛮化」の別名だったと気が付きます。自然の法則に逆らうことが文明化だというらしいからね。空飛ぶ自動車だ、自動運転だと…。ITやICがあふれている、それは<no man’s land>でしかないでしょう。ロボットが活躍する時代だってよ、ぼくは御免被ります。
炊事洗濯拭き掃除、留守中にロボットがすべてやってくれる、便利でいいねといっているうちに、ぼくたちは何かを深いところから薄なっていくんですね。「家政婦はみた」どころか、ロボットは何でも知ってるんだ。

限度を超えるのが人間の悲しい性(さが)なんだ。いったい「そんなこんな」が「進歩」なのかしらね。ウィルスは有史以前から生物に棲みついてきました。さて、どこまでいっても人間は自然の中の生き物であることを拒否も否定もできないという運命を甘受しなくてもいい、でも、それを少しは考えることができたなら、都会はもっと謙虚なたたずまいを取り戻すんじゃないですか。go to ~ でなにを得ようとするのか、あるいは失おうとしているのか。なおコロナは狂暴化しながら襲来しつつあります。それでも「経済を回す」が大事なのかね。コロナはマスクで防げるという、それはまるで「竹槍」精神の復活ですね。あるいは「防空壕」よろしく、身を潜めますか。ぼくは、もっぱら専守防衛です。くれぐれもご注意を!
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