If Winter comes, can Spring be far behind?

7日(土)は二十四節気「立冬(りっとう)」。暦の上では冬の始まりとなりますが、実際には若干のズレがあるようです。

11月上旬なのに冬の始まり?

立春・立夏・立秋と今回のテーマでもある立冬をあわせて「四立(しりゅう)」といいます。/ “立”には新しい季節になるという意味があり、それぞれの季節の節目を表しています。/ 暦の上では新しい季節になるわけですが、まだ冬には早いような…?/ ではなぜ、こんなにも実際の季節と暦上の季節は違うのでしょうか。

季節的変化に若干のズレ

(情報元:気象庁)

実は、二十四節気は中国が発祥の地。中国の中でも黄河中流域付近の気候を基準としているようです。/ 試しに黄河中・下流域に位置する鄭州と都市化の影響が少ない茨城県水戸市の気温を比べてみます。/ 鄭州の場合、最も寒いのが1月、最も暑いのが7月となっています。一方、水戸市は1月~2月が寒く、8月が最も暑くなっています。

(出典:気象談話室 二十四節気は本当に日本の季節変化とずれている?)

約1節気分のズレが生じる

さらに、水戸と安陽(黄河の中・下流域に位置し、水戸と同緯度にある都市)の各節気の節入の日における日平均気温を比較してみます。/ 安陽では大寒に最も気温が低く、大暑に最も高くなっています。/ しかし、水戸では大寒~立春にかけてが最も低く、立秋に最も気温が高くなっていました。/ こう見ると、黄河と日本では約1節気ズレていることがわかります。そのため、黄河の気候を基準とした二十四節気では、日本の季節と異なってしまうというわけです。

立冬は来る冬に備える時期

中国のことわざで「立冬補冬、補嘴空」というものがあります。立冬はその時期に収穫されたものを食べて栄養を補給しよう!という意味のようです。/ 立冬を冬の始まりと考えると、日本ではいまいちピンときませんが、寒い冬を乗り切るための冬支度の時期と捉えると良いかもしれません。/ 中国のことわざに倣い、旬なもので栄養を補給し、来る冬に備えてみてはいかがでしょうか(https://weathernews.jp/s/topics/202011/060075/)

(註 ぼくは昔から気候や気温に敏感でした。自分なりの天気予報を常にしていたといってもいいほどです。長じてもその癖は変わらず、今に続いているのです。もちろん、季節の微妙な変化も気になります。ということは、春夏秋冬、エアコンなしの暮らしをしてきたせいでもあるし、結婚してもそれを変えたくはなかったが、かみさんがじつに光熱費のかかる人でしたから、狭い家では波長が合わないことが多かった。

 年齢とともに寒暖の差に弱くなったのは仕方がないともいえるし、一面では、堕落ともみられます。寒ければ寒いほど、暑ければ暑いほどいいんだ、と強がりを通してきましたが、今では無念、これが通じない、「年寄りの冷や水(indiscretion)」ですね。山の生活に移って以来、ぼくは毎日このサイトの世話になっています。年中無休、二十四時間営業のブラックサイトです。本社は千葉幕張。写真上はスタッフさん)

##########################################

++++++++++++++++++++++++++++

 暦通りなら、昨日触れておくべき事柄でした。一日遅れの「立冬」考です。いまこれをアメリカNBCのライブを見ながら(聞きながら)書いています。大統領選挙の速報が出て、B候補が選ばれたという。一方のTPresident 側の動向は見られません。ワシントンの公園からの中継ですが、気温は何度なのか、半そで姿がやけに目立ちます。ひたすら立っているだけの「群衆」なのかしら。大統領選挙は四年に一度のお祭りのようですが、お祭り気分にすっかり「水をかけられた」サイドはどういう行動に出るのでしょうか。(左上はNBC NEWS (2020/11/08朝)(日本時間)

 「冬の始まり」だそうで、昨日家の周囲の雑木林や竹林の中に入ったところ、いたるところで「猪」の労働(ハードワーク)の痕跡が見られました。方々に大小の穴を掘ってあったのです。おそらく越冬のために地中の「新芽(根)」を掘り起こして食べたのでしょう。見たところ、本当に精力的な掘削作業だったようです。これまでに何度も遭遇したのではありませんが、家の敷地内にまで入ってきたこともあります。竹の根(芽)はことのほか好物であると見えて、新年になるとさらに穴が深くなるのです。

 冬支度の初めが「立冬」だとすると、ぼくなんかよりはるかに敏感に、猪は季節を感じているに違いないようです。少し前には運転中の車に衝突しそうになるほど接近してきました。この近隣では「猟友会」なる恐ろしい徒党があって、猪を「駆除」するのですが、時には誤って(だと思う)人間を「駆除」することもあるのです。林の中では「人家あり、発砲(八方)に注意」と恐ろしい立札がたっています。

 「冬来たりなば春遠からじ」Shelly ; Ode to the West Wind. (If Winter comes, can Spring be far behind?)わかったような分かりがたいような漢文調日本訳文ですね。「冬が来たなら、春も近いよね」というのでしょうか。春が来るには寒い冬を越さなければならないのか、という方が筋が通るように思いますが。これは、なにもアメリカや日本だけではなく、コロナ禍に塗(まみ)れている世界中の人民の偽らない不安だといえるでしょう。春につづかない冬はないという。もちろん季節は巡るのですが、冬がことのほか寒いと感じてしまうこともあるのです。今冬はどうか。シェリーのこの詩をある大和の碩学は次のように訳しました「冬が来るなら、春が遥かに在り得ようか?」(大和資雄)冬が来るとするなら、春だって遠くにあるんじゃないでしょう?そんなこと言えば、冬が来るなら、夏だって…、となると言えば、詩になりませんね。

 ワシントンの「ライブ」はまだ続いています。ただ集まって、体を動かしているだけの映像です。ぼくにはそのようにしか見えないのですが、じつはこれは「自分たちの国の、自分たちの大統領」が決まった、それも「自分たちが選んだんだ」という、選挙した人の責任と祝意の表れなんでしょう。じっとしていられない、家なんかにおれるものかと、三々五々、集まったということなのでしょうね。でも、やはりみんな寂しいのでしょうか。それとも家におれない事情があるのでしょうか。当節の人情、かくの如し。人さまざまですが、新たな区切りがついたのだし、自分も再出発しようという意気込みかな。いずれにしても、どこか不条理に思われます)

 (一昨日だったか)国会中継を見ていて、我知らずに涙が出てきました。PMの無知無能は正真正銘のものだと見えたからです。天文学のレベルで悲惨です。それでも「権力欲」ばかりは人並みに持っているから、手に負えないと考えたら、また涙です。対象者が何ものであるかも知らないで、「任命拒否」をしたのはいいが、権力に楯突いたから、拒否したといえばいいのに。それが言えないから、気の毒を通り越して、辞めたらどうか、と言いたくなりました。「(ある人の)罪を裁くのではなく、思想(考え)を裁いた」というのでしょう。「治安維持法」の時代ですね。無知ほど怖いものはない。この人はすべてをメモ(秘書官か誰かに書いてもらう、その場で)を見てしか話せない。驚異的です。「おはよう」という挨拶も「メモ読み」に違いないな、と暢気に言ってばかりもおれません。こんなPMを、ぼくは選んだつもりはない、横浜市民が選んだんですね。「自分の言葉で答弁を」、これを仮に自助だとするなら、このPMは「自助力ゼロ」です。生意気に「(国民はまず)自助から」などと言ってほしくないね。「お前の、その考えが気に食わないから、任命しないんだ」というだけの「勇気」もないのなら、国会から出るほかないじゃないですか。「勇気」があったら、どうなるか。人権蹂躙です。

 人間の活動はすべからく政治(的)であります。先ず政治を定義しなければなりませんが、「外的な力で他者に支配の力を及ぼす」とでもいえばどうでしょう。夕食は何を食べるか、他人の分も考えるなら、そこには小さな政治的支配が生まれるでしょう。教師が生徒たちに何を教えるか、そこにも政治力が働いています。詳細はともかく、その政治支配を「商売にするのが政治家」なら、なんでこんなに不出来な連中ばかりが生まれてくるのですかね、議会の場では。議会がそういうふうに政治家を作り変えるのかしら。さすれば、「議会」と言わず「奇怪」と名付けようじゃありませんか。

___________________________________________

投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)