
一九五〇年代は米国ジャズの黄金期だろうが、当時のミュージシャンの伝記などを読んでいると胸が痛くなる場面がある。麻薬問題である。才能ある多くのミュージシャンたちが麻薬におぼれた▼スタン・ゲッツは薬欲しさに薬局に押し入って逮捕されている。マイルス・デイビスの麻薬使用がひどくなったのはジュリエット・グレコとの別れが原因だったそうだが、麻薬を買うため、一時期は自分のトランペットまで質草にした▼その麻薬がさらに危険な麻薬への入り口になりかねないことを強く認識すべきだろう。大麻である。所持などの大麻事犯の摘発者数は年々増加しており昨年は過去最多。最近も東海大学野球部員が大麻を使ったとして無期限活動停止となった▼摘発者の約六割が二十代以下の若者という。人一倍、身体に気をつけるはずの大学運動部の学生まで使っていたと聞けば、若者の間に急速に広がっていないか心配である▼合法な国もあるし、害は少ないのではと、甘く考えてしまうらしい。が、その入り口をくぐればさらなる刺激を求め、覚醒剤など薬物の深みへとはまる危険が高い▼より強い麻薬へと向かう道は「つるつる」しているらしい。マイルスが書いていた。「ひどい麻薬常習癖への長くて暗くて、冷たく、つるつるした道をまっさかさまに滑り落ちつづけていた」。入り口に近づいてはならない。(東京新聞・「筆洗」2020年11月4日)








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中学生のころから、ぼくはジャズを聴き齧っていました。七歳上の兄貴がたくさんのレコードを持っていたこともあり、「耳年寄り(マセテイタノダ)」という具合だった。その良さがどこにあるのか、演奏家による違いがどうなのか、いわば音楽の本質にまったく無知な「ガキ」の遊びに等しいものだった。後年、それなりに年齢を加え、クラシックやその他の音楽を聴き重ねるうちに、ジャズの持っている独特の雰囲気やその由来からくる音楽性のジャジ―な雰囲気などに少しづつ耳が馴れていったようです。もっとも、いつでも熱心に聴いたというのではなく、季節や心境の変わり目に、好都合な「刺激剤」「気分転換」をもたらしてくれるかもしれないからという、そんないい加減なジャズとの向き合い方でした。(これはずっと治らないままでした)
そのようなジャズ鑑賞もどきをくりかえしているうちに、ジャケットのノートなどに演奏者の経歴や音楽性が書かれているのは当然として、ほとんどの場合、そこに「薬歴」というか「麻薬」との付き合いが必ずと言っていいほど書かれていました。これはクラシックの奏者には見られないことだったように思える。あるいはぼくの知らないところで多くの古典音楽奏者たちも麻薬に溺れていたのかもしれない。ここで、薬に足を掬われ生涯を破滅させるような痛手を負った個々の名前を出すことはしません。心が痛むというのと、あまりにも数が多すぎるという、単純な理由からです。



ジャズに特有のということは、そのほとんどがデキシーランドの流れであったことから言えば、ジャズ的な音楽と薬は赤い糸で結ばれていたのかと疑いたくなるのです。それにしても「凄惨」を極めた薬物中毒と、その悪影響に由ってであったとみられる事故や自死、そのようなさまざまな背景をもって、無数の才能が刈り取られて逝ったのでした。あまりにも惜しい、悲しすぎる歴史を持ってきたのがジャズだった(もちろん、それはジャズ奏者などにかぎらないのは、この島でも、間をおかずに薬物問題が扱われいることを思えば理解できます。「魔の薬」はいまもなお世界いたるところで、敵なしの勢いで席巻しています)
ぼくはジャズを聴くと、あるいはジャズボーカルを耳にすると、いいしれない寂しさも、リズムやテンポの快活さと並行して感じてしまうのです。ときにはドライブにCDを持って出るのですが、ジャズを流していると、知らず知らずに涙が流れてくることがあります。いかにも不思議な音楽だと思う。(この世に「麻薬」「魔薬」は有り余っています)
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