夏目漱石は小説のほかに多くの俳句を残している…


夏目漱石は小説のほかに多くの俳句を残している。「有る程の菊抛(な)げ入れよ棺の中」の句は、思い人とされる女性の死に際して詠んだもの。やり場のない悲憤をぶつけた句として知られている▼「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」の句は新聞に掲載された。選んだのは親友の正岡子規という。後に子規は「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」と詠んだ。漱石に触発されて、あるいは対句として誕生したとの説もあるそうだ▼熊本に赴任後の明治32(1899)年、阿蘇山に登った。「行けど萩行けど薄の原広し」は壮大さに感嘆した句かと思える。けれども実は、山中で道に迷って終日さまよい歩いた折の心情。そう知って読むと途方に暮れた姿が浮かび出る▼「草山に馬放ちけり秋の空」「馬の子と牛の子と居る野菊かな」も阿蘇での作。神経質で気難しいと評された文豪も、伸び伸びと優しい気持ちで句作していたようだ。悠々たる自然には心を解き放つ力があるのだろう▼11月に入り、九州でも草木の色付きの便りが聞かれるようになった。コロナ禍で息苦しい人間世界に、自然からのありがたい贈り物である。密でなければマスクを外し、爽やかな空気を吸い込みたい。秋の彩りを借りて、窮屈を強いてきた五感をリフレッシュさせる機会にしたい▼無論こちらの充足も楽しみの一つ。「秋雨や蕎麦(そば)をゆでたる湯の臭ひ」。阿蘇の温泉宿で漱石の鼻もよく利いた。(西日本新聞「春秋」・2020/11/2)
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先日はほんの思いつきのように、子規の「柿食えば…」を挙げました。そうなると、漱石ですね。ぼくはこの二人の青年の交際を懐かしく、また羨ましくも思ったものでした。「君子の交わりの淡きこと水の如し」などと言いますが、二人の短かった交流はじつに濃密なものがあったように思ったりしています。

漱石は明治二十九年四月から三十三年七月にイギリス留学に発つまで第五高等学校(現熊本大学)教授として熊本に滞在した。『草枕』『二百十日』を書き、鏡子婦人と結婚したのも熊本でした(衣更へて京より嫁を貰ひけり)。これも以前に触れたように、国費留学生として英国に赴きます。漱石は病床にあった子規に何通もの手紙を書いています。その一つに、「吾輩は日本に居つても交際は嫌いだ。まして西洋へ来て無弁舌なる英語でもつて窮窟な交際をやるのは尤(もっと)も厭(きら)ひだ」(「倫敦消息」)としたためている。留学は、彼にしてみれば「暗黒の時代」だった。重度の神経衰弱に襲われたことにも触れたことがあります。
熊本時代はどうだったか。大きな阿蘇に向き合ってしまえば、小さな自分を意識しただろうし、その雄大さに包まれたように感じたにちがいない。子規との交流が、いまさらのように懐かしく想像されてくるのも、子規のこだわらない気心の大きさに漱石は安心したからでもあったと思われます。お互いの才能を認め合いつつも、早くに別れなければならない運命をも感じ取っていたにちがいありません。

寛大とか度量というものがいかなる状態や性情を指すのか、今ではよくわからない世の中になったように感じられてきます。「惻隠の情」などと言えば、首を傾げられるかもしれない、いったいなんですそれは、と。友情や親友などというものも、今ではまことに貴重なというか、どこにでもありふれたものではなくなったのはなぜでしょうか。全く死語となったといいたい言葉に「竹馬の友」「刎頚之友(交わり)」などがあるでしょう。言葉がなくなるというのは語感も失われてしまい、ひいてはそれがあらわす状態(実態)そのものが失せてしまった証明でもあります。

なによりも「自分」が先、誰よりも「私」という「自己中心主義」、このような風潮はどこから蔓延して来たのか。それを無下に否定するのではありません。しかし、私に寄り添う「君やあなた」がいなければ、「独りよがり」「独善主義」に迷い込むのはそんなに難しくはない。陳腐になりますが、教育や政治の世界に問題がありはしないか。なによりも「自利」の追求こそが求められているのではないですか。それを矯めるような「しつけ」がどこの家でもなくなってしまったことも大きな理由でしょう。自分と他人との間合いは、今求められているような<social distance>などよりもっと大切な、生活の根底をなす親近性だとぼくは考えています。そこにはほんの少しばかりでいい、「尊敬する心持ち」がお互いの間にあってほしいね。教育の再生(甦生)はここにあるのではありませんか。他人を敬う心情です。淡いものでいいんですよ、教育が生きる場はここにあるのではないですか。
本日は東京に「木枯らし一号」が吹いたそうです。名前をつけたがるんですね、なんにでも。漱石にも「木枯らし」が吹きました。明治何年のことだったか。漱石は、なんとも寂しさを漂わせて生きた人だっと、ぼくには思われてなりません。
木枯の今や吹くとも散る葉なし
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