こういう人を選んじゃだめだよ

「お国のため」とはどういうことか

筆洗 文化勲章を受けるかどうか。国からの打診を画家の熊谷守一さんが断ったのは一九六七年。八十代後半の時だった。「別にお国のためにしたことはないから」「これ以上、人が来てくれては困る」などと理由を話していたが、勲章がもともと大嫌いだったそうだ▼一九〇四年に東京美術学校(現東京芸術大学)西洋画科を首席で卒業。同級生には「海の幸」で知られる青木繁がいた。人と競うことを嫌い、若いころはほとんど絵を描かなかった▼その人を主人公にした劇団民芸の「無欲の人 熊谷守一物語」を見る機会があった。赤貧生活の中で三人の子どもを失いながら、時代に迎合して戦争画や売れる絵を描くことを拒む画家と彼を支援する作曲家信時(のぶとき)潔らの物語だ▼年を経るごとに作風は抽象的になった。晩年の三十年間は、自宅の庭にしか出ず、草花や虫、猫などの小さな命に視線を注いだ。見方によれば、子どもが描いた絵に見えるかもしれない▼ピカソは「十歳で どんな大人より上手に 描けた/子供の ように描けるまで一生 かかった」(飯田善國著『ピカソ』)。無欲の人が達した境地とどこかで通じているような気がする▼「絵などは自分を出して自分を生かすしかないのだと思います。自分にないものを、無理になんとかしようとしても、ロクなことにはなりません」。九十一歳の時の言葉である。(東京新聞・13/07/02)

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 季節柄(叙勲)のことが話題になります。11月3日は「文化の日」ということになっています。これは島全体がそうなっており、東北や四国は例外で除くというわけではありません。昔からそうだったといっても、敗戦後からです。それ以前は「明治節」「天長節」などと言われていました。その名称が示すとおり、明治天皇の誕生を祝った日です。

●文化の日=11月3日。「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことが趣旨の国民の祝日。1948年(昭和23)制定。46年のこの日公布された新憲法の精神に基づき、平和と文化が強調されているが、この日を祝日としたのは、47年まで四大節の一つの明治節(明治天皇の誕生日)だったためもある。皇居で文化勲章の授章式があり、芸術祭がこの日を中心に開催される。晴天の日が多い気象上の特異日としても有名。(日本大百科全書(ニッポニカ)

●文化勲章=科学や芸術など文化の発達に貢献した者に授与される勲章。1937年2月11日の文化勲章令(勅令)によって制定された。他の勲章のような等級はなく,称号とも結びつかず,年金もともなわない。しかし51年に文化功労者年金法ができてからは,文化勲章受章者は同時に文化功労者として文化功労年金を受けるのが例になっている。勲章は橘(たちばな)の花をかたどった清楚な様式である。受章者の選定は法令による規定はないが,文部省が委嘱した選考委員会が選んで閣議で決定している。(世界大百科事典 第2版

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註 おそらく選考委員会で「総合的、俯瞰(ふかん)的な活動を確保する観点から判断」されているのだろうと思われます。元文科次官は「この委員を外せ」と内閣府から強いられたと話されていました。

 「文部科学事務次官だった2016年、「文化功労者選考分科会」の名簿を官邸に持っていった。この分科会は文化審議会の下に置かれており、選考する文化功労者のなかから文化勲章受章者が選ばれることもあって、人事について閣議で了解をとる必要があった。/ 約1週間後、呼びだされて官邸に行くと、杉田和博官房副長官から、10人の委員のうち2人を差し替えるようにと指示された。「政権を批判する発言をメディアでしたことがあった」「こういう人を選んじゃだめだよ。ちゃんと調べてくるように」と言われた。」(朝日新聞・2020年10月18日)

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 文化勲章の話になると、ぼくは熊谷守一さんのことを思い浮かべます。おそらく大変な画家だったであろうし、それ以前に素晴らしい人間であったような気がします。もちろん叙勲を断ったのは彼だけではない。他国でもこういう具合なのかどうかわかりませんが、なんとも多くの賞がありますね。国からの叙勲にはじまって、勲章には有形無形の序列がありました。その代表格は金鵄勲章でした。大層な制度があったもので、戦後も一時期それに倣っていたようです。(以前の生存者叙勲制度)「位階勲等」などという表現がそれを表示しています。今でもそうなのかどうか。もらいたい人はどうぞ、というだけの話で大げさに勲章無用論をするのも大人げないし、貰いたくない人がいても一向に構わない。ぼくは不思議だと思うのは、文学畑でいったいどれだけの文学賞があるのか、小によって文学の価値が上下するものでもなかろうに。でも、欲しい人にとっては値打ちがあるのでしょうし、企業経営(出版)からすれば、ある種の商売道具なんでしょうね。

●金鵄勲章=日本の旧叙制度において〈武功抜群〉とされた軍人軍属に与えられた勲章。1890年の紀元節に制定され,名は,神武天皇東征故事にちなむ。明治政府の軍備拡張期に,軍人の戦意高揚を期待するものであった。功一級〜功七級まであり,いずれも終身年金(1940年以降は一時金)付きであった。1947年廃止。(百科事典マイペディア

 ぼくは、若気の至りで、二十歳過ぎ頃、小説を書いて飯を食おうと間違った考えをした時代がありました。もちろん、芥川賞などのことが頭になかったわけではない。今では大きな間違い(受賞)をしなくてよかったと思ったりしています。断念したのは、もちろん才能の欠如が第一ですが、書いているよりもっと多くの時間を読むべき本の読書に充てたいと思ったのかもしれません。何ほどの冊数も読めませんでしたけれども。

 「別にお国のためにしたことはないから」「これ以上、人が来てくれては困る」という断りの弁はすがすがしいといっていいかどうか。「お国のために」という言葉が出てきますが、どうなんでしょう。どんな人でも国や県などのために生きている」のではないように考えます。もちろんそれぞれですから、都のために県のために一命を捧げるという人がいてもおかしくないし、それをとやかく言う筋合いではないでしょう。あくまでもぼく個人として、少しでも人の役に立てれば望外の幸せだという、その程度の人生を生きたいと願ってきただけです。時とすると、「お国もために」が頭をもたげます。

 「絵などは自分を出して自分を生かすしかないのだと思います。自分にないものを、無理になんとかしようとしても、ロクなことにはなりません」こういうことばも、なかなか誰でも吐けないのではないでしょうか。熊谷流と言ったらいいか。あるいは才能を持った九十歳にして初めて口にする言葉だったか。ずいたくさん熊谷さんの絵を見たように記憶しています。何がよかったのか、よくわからなかったが、自然であり、素朴であり、透視画ような純粋さ、無駄のない線描など、陳腐な言葉をられるしても、なかなか肯綮に中らないとわかっています。つまりは言葉にならないから、絵なんですね。各地に熊谷さんゆかりの美術館があります。ぼくは何度か、豊島区にある美術館に通いました。

 断るまでもありませんが、「文化勲章」「文化功労章」についてとやかく言いたいのではありません。勲章を手にしたら、その人の評価が上がるというわけのものでもないでしょうし、その反対だからといって、評価は低下することもないでしょう、ぼくはそう見てきました。いい服を着ているからその人は偉いというのは可笑しいいでしょ。これは学校歴やその他、何位でもいえることです。「人を見る目」という錬ぞが曇らないために用心するのはなかなか大変ですね。ここでは、熊谷さんのような方が生きておられたことを知り得たという、ぼくの人生の幸福(喜び)の一端を書いてみたかっただけでした。彼の描く猫、「至福の表情」ですね。生きとし生きる存在が「こうあるといいなあ」と願うね。「なんでも表現というのは、その人が出るね」という哲学・思想を生きた人でしたね。

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 自分を高くする者は皆低くされ、…

 なお、自分は信心深いとうぬぼれて人を軽蔑している者たちにも、この譬(たとえ)を話された。「二人の人が祈りのために宮に上った。一人はパリサイ人、他の一人は税金取りであった。パリサイ人はひとり進み出て、こう祈った。「神様、わたしはほかの人たちのように泥棒、詐欺師(さぎし)、姦淫(かんいん)する者でなく、また、この税金取りでもないことに感謝します。わたしは一週間に二度も断食(だんじき)し、一切の収入の一割税を納めております」しかし税金取りは、遠くの方に立ったまま、目を天に向けようともせず、ただ胸をうって、「神様、どうぞこの罪人のわたしをお赦(ゆる)しください」と言った。わたしは言う、あの人でなく、この人の方が信心深いとされて、家にかえっていった。自分を高くする者は皆低くされるが、自分を低くする者は高くされるのである。(ルカ福音書一八章9-14節)

 聖書の譬話(たとえばなし)はいったい何をなににたとえているのか。譬話として「信心深いとうぬぼれている人」「人を軽蔑する人」を教え戒めていることはまちがいない。でもさらによく読んでいけば、あなたは「パリサイ人」なのか、それとも「税金取り」なのか、どちらなんですか、とじかに問われていることに気づくはずです。パリサイ人は仲間から高く評価されている。法律を守り、善行を重ねる模範的な人間として描かれていますから。それに対して税金取りは、当時の社会にあっては容赦なく税金を取るばかりでなく、ローマの官憲とも通じているとされ、多くの人々から嫌われ、疎んじられていた。二人のうち、はたしてどちらが「わたし」なのか?

 同じルカ福音書(十章25~37)に次のような話がでています。一人の律法学者がイエスを試して、次のような質問をしました。「永遠の命を継ぐにはどうしたらいいのか」「律法にはどう書いてあるか」「『心をつくし、力をつくし、思いをつくし、主なる神を愛せよ。また、隣びとを自分のように愛せよ』と書いてあります」そしてさらに彼は訊ねました。「では、わが隣びとは誰か」と。そこで次の話がされたのです。サマリア人はユダヤ人とは折り合いが悪く、彼らはいたく嫌われていました。

 《ある人がエルサレムからエリコへ下って行くとき、強盗にやられた。彼等ははぎとり、なぐり、半殺しにして逃げた。たまたまある祭司がその道を下ってきたが、その人を見ながら、向こう側を通って行った。同じようにレビ人もそのところに来たが、見ながら向こう側を通って行った。/ しかし旅するあるサマリア人はその人のところに来ると、見てあわれに思い、近よって傷にオリブ油とぶどう酒を注いで包帯し、自分のろばに乗せて宿屋に連れて行って手当した。そしてあくる日宿屋の主人に二デナリ渡していった。『この人の手当をしてください。もっと金がかかったら、わたしが帰りに払いましょう』と。この三人のうち、だれが強盗にあった人の隣びとであったとあなたは思うか」と。彼はいった、「その人に親切にした人です」と。イエスはいわれた、「行って、あなたも同じようにしなさい」と》

 ここでも、祭司やレビ人(レビ族で宮仕えする人)といった、それぞれの階層において大きな尊敬を集めていた人ではなく、疎まれ軽んじられている人が尊いとされています。これらの話はキリスト教の世界に固有のものではないと考えられます。人間のなかにはさまざまな思いや感情・情念が潜んでいる。ときとしてそれらが表に現れ、その人がどのような人間であるかが明らかにされるのです。

 ブルトマンという神学者の書いたものを若いころからぼくは読んできました。信仰を得るためでも、博識を誇るためでもなく、躓きの石に遭遇した時に、それを回避するか躓かないような歩き方が学べると考えてのことでした。いずれにしても邪念があったことを隠したくありません。彼からも、ぼくは多くの事柄を学んだと思いますし、それは今でも「生き方のバックボーン」になっているような気がするのです。最初に掲げた「パリサイ人と税金取り」について、ブルトマンは言います。

 《一般に尊敬されている身分を代表し、いささかも非難することができないような模範的なパリサイ人に対して、彼をはるかにしのぐ例として、取税人が、この軽蔑され避けられ、まともな人間なら好んで交際しようとしない者が対立させられる、ということは、(その昔イエスの話の)聴衆にとって挑発であり、侮辱であった。これは、次のような場合にわたしたちは何と言うだろうか、と考えてみればよいであろう。

 つまり、たとえわたしたちが自分をわたしたちの身分の特に優れた見本とはたぶん思わないにしても、尊敬されている身分に属し、その身分自身の誉れとなり、良い評判を得ていることを、やはり誇りに思っているとき―そういうわたしたちに対して、劣等な者、避けられる者に属していて、もともと低級で卑俗なことしか期待されないような人間が、わたしたちをはるかにしのぐ例として突きつけられたとしたら、わたしたちは何と言うであろうか。

 いずれにせよ、もしこの物語が、初めて聞いた人たちの場合のように、わたしたちにも奇怪でけしからぬのでなかったら、そしてパリサイ人とはことによるとわたしたち自身のことではないかという気がしないならば、わたしたちはこの物語を正しく聞かなかったのではないかと恐れねばならない》(ブルトマン「マールブルグ説教集」より)

 他人の評価を求めることは非難されるべき事柄ではないでしょう。自分の行いがそれにふさわしい評価を得たとき、わたしたちは満足を覚えます。だから、満足を覚えるために「正しい行いをするのか」ということが問題とされているのではないか、ぼくはそのように考えます。

 軽蔑されのけ物にされているサマリア人や税金取りが他から尊敬され評価されている人たちよりも優れているとされるのは、それゆえに合点のいかないことだと思ったとしても不思議じゃない。だれがみても納得できないということは、しばしば生じることですね。ここで問われているのは、一人の人間が表面的な評価を勝ち得ている、その深部においてこそ、その人の姿が隠されているということ、その隠された姿は時として面に現れるものだということ、そして、それはどのような時かということです。人間が正しいのは、その人の固有の正しさ、内面における正しさによるのだということでもあるでしょう。それはいかなる意味なのか、考えていただきたいことですね。 ぼくは、むかし小さな本で次のようなことを述べたことがあります。今なお、この拙い考え方はぼくの中で生きているのです。

 《どんなに正しい行為であったとしても、私達が私達の内面において正しくなければ、それを正しく行うことはできないだろう。正直な人が、他人を恐れるが故に正直であるなら、どうして、それを正直だと言えるのだろうか》

 「内面における正しさ、あるいは正直」とは何を指して言うのでしょうか。

 これはすでにどこかでも書いたことですが、ぼくはキリスト教徒ではない。いわば、聖書の愛読者に過ぎないのです。でもこの読書から、おそらく教会に属している方々とは程遠い理解や解釈をしているのだろうという自覚(不安感)もあります。しかし、この読書から、ささやかだとはいえ、ぼくはかなりおおきな示唆を受けてきたことも本当ですので、あえて、ここに記した次第です。ご照覧くださいというほかありません。(このようなテーマをもう少し続けたいと願っています)

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●ブルトマン(Rudulf Karl Bultmann)1884.8.20 – 1976.7.30 ドイツのルター派神学者,新約聖書学者。
元・マールブルク大学教授。チュービンゲン大学で学び、1921〜54年マールブルク大学神学部新約学担当正教授。’51年同大名誉教授。教授就任直後、ハイデッガー親交を持ち、実存哲学の影響を受ける。又、弁証法神学者として新約学会に影響を与えた。’21年に出版された「福音書伝承の歴史」は様式史的研究の古典となる。他に「イエス」(’26年)、「ヨハネ福音書註解」(’41年)、「新約聖書神学」(2巻、’48〜53年)などの著書がある。後にマールブルク大学を中心に新しい聖書解釈法が生まれ、ブルトマン学派が形成された。(20世紀西洋人名事典の解説)

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