きめたきめた おまえとみちづれに

 京都の紅葉名所、永観堂でモミジ色づく 来月7日からライトアップ

 京都市内で木々の紅葉が始まった。左京区の永観堂(禅林寺)ではモミジがちらほらと赤くなっている。見頃には人出が予想されるため、新型コロナウイルス感染予防の対策をする。/ 境内にある約3千本の大半はまだ青い葉だが、放生池周辺には園芸種も含めて色づいたモミジが見られる。参拝者は景色を眺めたり、写真を撮ったりして秋を楽しんでいた。/ 11月7日からは例年通り寺宝展とライトアップが始まる。すでに実施しているマスク着用や手指のアルコール消毒の呼び掛けに加え、新たに検温所を設ける。屋外の拝観順路を一方通行にして人と人の接触を減らすほか、19日からは人が集まりやすい多宝塔を立ち入り禁止にする。
 永観堂は「三密にならないように気を付け、紅葉を見て心の安らぎを感じてほしい」としている。(2020/10/28 ©株式会社京都新聞社)

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 「なんでもランキング」の時代はいたるところで暴威を極めています。この「寺」が世間そのものであることは「マスク着用・消毒・避三蜜」が励行されていることからもわかります。そこがまた京都らしいとも言えます。何時でも、お寺さんは世間とともに、世間であることを誇りにしてきましたから。「千年の都」ですかね。

 この永観(えいかん)堂の紅葉が昨年度の見どころ、全国第一位だったそうです。「根拠」は何だったんですかね。「みな人を渡さんと思う心こそ 極楽にゆくしるべなりけり」と詠んだのは永観(ようかん)律師(1033-1111)。その名にちなんで寺号とされた。古いお寺で、幾多の変遷を経て今日に至っています。紅葉が知られるようになったのはいつのころからか。めったに行かないお寺です。理由は簡単、いつでも大勢の見物衆が屯しているからです。

 このお寺の「売り」はライトアップでしょうが、無粋なことおびただしいというべきで、ぼくはこれが嫌いです。木々や鳥たちにも大迷惑なこと。高いビルや塔を建てては「ライトアップ」だと。もったいない、無駄というより、余計なことをと言いたくなります。高さ制限や南・北斜線など、建築基準法は何かとうるさいのに、この「明るさ(照度)制限」は野放しなんですか。鬱陶しい限りです。前回のこのページで「山暮れて紅葉の朱を奪ひけり」(蕪村)と引用したのも、この情緒や風情を台無しにしてしまうことを、ぼくは忌み嫌っているからでもあります。黄昏も夜陰も、すっかり失われてしまいました。不自然が自然を凌駕する、それが「文明」という名の破壊行為なんですね。(左上の明光煌々。「電光」に誘われる衆生あり、誘蛾灯)

 紅葉はどこのものでもいいのですが、京都の寺は掃除や手入れが行き届いているので、気持ちよくみられる。でも、あまり手が込んでいると興醒めします。この近くに「詩仙堂」があり、ぼくはここにもよく行きました。佇まいが静謐な感じが印象的です。先年遊んだ時、この寺の前に「石川」と表札がかかっている家をみて(それ以前からあったのでしょうが、気づかなかった)、もしやと庭に居られた家人に伺ったところ「石川丈山(じょうざん)」の家系だということでした。ただそれだけのこと。ここは雨の日が殊にいいですね。ちょっと「作られすぎ」は、京都の行き過ぎ文化のよろしくないところでもあります。

●漢詩人の石川丈山(1583年~1672年)が晩年を過ごした詩仙堂は、自然に囲まれた静かな場所であり、四季折々の風景を楽しむことができます。/ 春にはサツキや青もみじ、夏にはハナショウブやキョウガノコ、秋にはススキやシュウメイギク、冬には静寂の雪景色など、様々な風景をご覧いただけます。/ また、庭園全体に広がる秋の紅葉はより格別です。静寂の庭園に響く、丈山考案の鹿おどし(僧都)も、日本ならではの風情を演出してくれます。(http://www.kyoto-shisendo.com/)

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 昔から人混みは大嫌いでしたから、混雑しそうな場所にはまず行かないことにしていました。おそらく「人見知り」がひどいんですね。今もそうです。千葉の辺鄙な山中に住んでいて、ゆっくりと歩ける範囲に紅葉もあれば、新緑もあると自慢するのではありません。猪や雉やその他の動物たちと「共生(共棲)」しているという風情です。自然の中に入り込んでというわけにもいきませんが、都会よりはよほど気持ちが和みます。それぞれの好みがありますから、これが一番という主張はしません。標高百メートルほどの丘の上にへばりついていますので、すべてが中途半端で、それがまたいいんだね、と強がりみたいな物言いをしています。家の周囲三・五キロ以内には店屋はありません。

 今日は秋晴れ、ゆっくりと山歩き、あぜ道遊歩です。二日前の二十七日(火曜)に、かみさんは無事に「出所」しました。まだまだこれからの養生が思いやられますが、さっそく牧村三枝子さんですよ、「みちづれ」あるいは「夫婦きどり」か。

 何言うてますか、と呆れられたような声が聞こえてきそうです。この道は初めて来た道、二人して、やがて四十八年目の春を迎えます。まあ、仲がいいのか悪いのか、当人たちにも判然としない、まるで「夫婦きどり」ですな。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。