備えあっても憂いあり

  ベトナム中部に台風18号上陸 2人死亡、26人行方不明  2020年10月28日 21:55 発信地:クアンガイ/ベトナム [ ベトナム アジア・オセアニア ]
  
 【10月28日 AFP】(更新、写真追加)ベトナム中部に28日、台風18号(アジア名:モラヴェ、Molave)が上陸し、報道によると2人が死亡、26人が行方不明になった。木々が倒れ、住宅の屋根は吹き飛ばされ、ここ数年で最悪規模の被害となっている。/ 台風18号は、中部の沿岸都市ダナン(Danang)南部に最大風速約40メートルで上陸。当局は約37万5000人を安全な場所に避難させた。/ 国営メディアによれば、クアンガイ(Quang Ngai)省で少なくとも2人が、台風から自宅を守ろうとして死亡したという。/ 漁業関係者26人が行方不明になっており、捜索活動が行われている。台風で高さ6メートルの波が発生し、中部各地で停電があった。
  
  ベトナム赤十字社(Vietnam Red Cross)のグエン・ティ・スアン・トゥ (Nguyen Thi Xuan Thu) 氏は、同国で今月4度目となる台風18号の被害について、「多くの地域において過去最悪規模」だと述べた。/ 上陸に先立って学校やビーチは閉鎖され、多くの航空便が欠航となった。/ ベトナム中部は10月上旬以降、洪水と土砂災害に見舞われており、130人が死亡したとされている。また、国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)によると、洪水によって17万8000戸が浸水被害を受けた。(c)AFP 

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 ほぼ毎日のように気象情報を確認します。多くは千葉県内の「Weathernews社」に依存しています。この会社は、終日情報発信中です。ぼくの「習性」のようなもので、幼いころの「伊勢湾台風」に遭遇して以来のものです。台風シーズンには、毎日太平洋上の雲の動きと海水温の状態を確認していたのですが、今月の半ばからほとんどの台風がヴェトナムを直撃しています。十五日ころ、この島の「新首相」がヴェトナムを訪問したというニュースは流されていました。鯉だか何だかに餌を与えている写真は見られましたが、肝心の「台風被害」に関して、ぼくの知る範囲では、報道は皆無でした。(彼の国に「見舞金」が贈られたという。「ABEのマスク」の二十分の一の金額だそうでした)

 ご当地の方々へ くれぐれもこの後も無事で過ごされますように、切に祈るばかりです。

 驚異的な雨量による浸水や土砂崩れによる被害は甚大で相当数の死者や負傷者が出たという記事も、ようやく探し当てて確認したところです。米国の新聞(ネット)はよく報道していたと思います。やがて十一月、ようやく今年は台風の直撃を免れたと安堵したのは事実ですが、アジアの国々に被害が及んでいるのを知って、まるで自分が被害に遭った気がします。この劣島は秋色濃厚で、各地で紅葉や黄葉が見ごろを迎えています。ぼくには不愉快な「Go To キャンペーン」が強引に展開されて、各地で「コロナの集団感染」「クラスター」なるものが指摘されています。コロナが勝つか、金塗れの自分本位政治が勝つか。実に愚かしい限りです。

 コロナにも自然災害にも、くれぐれも襲われないように備えたいし、襲われても最悪の被害を避けたいとひたすら祈るばかりです。ぼくには「備えあれば憂いなし」という安心立命はありません。「備えあっても憂いあり」という心境で生きているのです。ぼくはコロナ感染者の少なさにおいてヴェトナムと並びうる国はないという見方を(年の初めころは)していました。比肩しうるのは、かろうじて台湾ぐらいのものでした。感染者の少なさを勝ち誇ったかのように「日本モデル」などと舞い上がったPMもいましたが、ほとんど政治家は何もしていなかったこの島社会です。(10月29日午前十一時現在、ヴェトナムの感染者数は1173名。台湾は517名。日本は98877名)(Johns Hopkins Universityのデータによる)

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 きめたきめた おまえとみちづれに

 京都の紅葉名所、永観堂でモミジ色づく 来月7日からライトアップ

 京都市内で木々の紅葉が始まった。左京区の永観堂(禅林寺)ではモミジがちらほらと赤くなっている。見頃には人出が予想されるため、新型コロナウイルス感染予防の対策をする。/ 境内にある約3千本の大半はまだ青い葉だが、放生池周辺には園芸種も含めて色づいたモミジが見られる。参拝者は景色を眺めたり、写真を撮ったりして秋を楽しんでいた。/ 11月7日からは例年通り寺宝展とライトアップが始まる。すでに実施しているマスク着用や手指のアルコール消毒の呼び掛けに加え、新たに検温所を設ける。屋外の拝観順路を一方通行にして人と人の接触を減らすほか、19日からは人が集まりやすい多宝塔を立ち入り禁止にする。
 永観堂は「三密にならないように気を付け、紅葉を見て心の安らぎを感じてほしい」としている。(2020/10/28 ©株式会社京都新聞社)

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 「なんでもランキング」の時代はいたるところで暴威を極めています。この「寺」が世間そのものであることは「マスク着用・消毒・避三蜜」が励行されていることからもわかります。そこがまた京都らしいとも言えます。何時でも、お寺さんは世間とともに、世間であることを誇りにしてきましたから。「千年の都」ですかね。

 この永観(えいかん)堂の紅葉が昨年度の見どころ、全国第一位だったそうです。「根拠」は何だったんですかね。「みな人を渡さんと思う心こそ 極楽にゆくしるべなりけり」と詠んだのは永観(ようかん)律師(1033-1111)。その名にちなんで寺号とされた。古いお寺で、幾多の変遷を経て今日に至っています。紅葉が知られるようになったのはいつのころからか。めったに行かないお寺です。理由は簡単、いつでも大勢の見物衆が屯しているからです。

 このお寺の「売り」はライトアップでしょうが、無粋なことおびただしいというべきで、ぼくはこれが嫌いです。木々や鳥たちにも大迷惑なこと。高いビルや塔を建てては「ライトアップ」だと。もったいない、無駄というより、余計なことをと言いたくなります。高さ制限や南・北斜線など、建築基準法は何かとうるさいのに、この「明るさ(照度)制限」は野放しなんですか。鬱陶しい限りです。前回のこのページで「山暮れて紅葉の朱を奪ひけり」(蕪村)と引用したのも、この情緒や風情を台無しにしてしまうことを、ぼくは忌み嫌っているからでもあります。黄昏も夜陰も、すっかり失われてしまいました。不自然が自然を凌駕する、それが「文明」という名の破壊行為なんですね。(左上の明光煌々。「電光」に誘われる衆生あり、誘蛾灯)

 紅葉はどこのものでもいいのですが、京都の寺は掃除や手入れが行き届いているので、気持ちよくみられる。でも、あまり手が込んでいると興醒めします。この近くに「詩仙堂」があり、ぼくはここにもよく行きました。佇まいが静謐な感じが印象的です。先年遊んだ時、この寺の前に「石川」と表札がかかっている家をみて(それ以前からあったのでしょうが、気づかなかった)、もしやと庭に居られた家人に伺ったところ「石川丈山(じょうざん)」の家系だということでした。ただそれだけのこと。ここは雨の日が殊にいいですね。ちょっと「作られすぎ」は、京都の行き過ぎ文化のよろしくないところでもあります。

●漢詩人の石川丈山(1583年~1672年)が晩年を過ごした詩仙堂は、自然に囲まれた静かな場所であり、四季折々の風景を楽しむことができます。/ 春にはサツキや青もみじ、夏にはハナショウブやキョウガノコ、秋にはススキやシュウメイギク、冬には静寂の雪景色など、様々な風景をご覧いただけます。/ また、庭園全体に広がる秋の紅葉はより格別です。静寂の庭園に響く、丈山考案の鹿おどし(僧都)も、日本ならではの風情を演出してくれます。(http://www.kyoto-shisendo.com/)

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 昔から人混みは大嫌いでしたから、混雑しそうな場所にはまず行かないことにしていました。おそらく「人見知り」がひどいんですね。今もそうです。千葉の辺鄙な山中に住んでいて、ゆっくりと歩ける範囲に紅葉もあれば、新緑もあると自慢するのではありません。猪や雉やその他の動物たちと「共生(共棲)」しているという風情です。自然の中に入り込んでというわけにもいきませんが、都会よりはよほど気持ちが和みます。それぞれの好みがありますから、これが一番という主張はしません。標高百メートルほどの丘の上にへばりついていますので、すべてが中途半端で、それがまたいいんだね、と強がりみたいな物言いをしています。家の周囲三・五キロ以内には店屋はありません。

 今日は秋晴れ、ゆっくりと山歩き、あぜ道遊歩です。二日前の二十七日(火曜)に、かみさんは無事に「出所」しました。まだまだこれからの養生が思いやられますが、さっそく牧村三枝子さんですよ、「みちづれ」あるいは「夫婦きどり」か。

 何言うてますか、と呆れられたような声が聞こえてきそうです。この道は初めて来た道、二人して、やがて四十八年目の春を迎えます。まあ、仲がいいのか悪いのか、当人たちにも判然としない、まるで「夫婦きどり」ですな。

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