はじめの一歩!ダルマさんが転んだ!

 正平調 小学校時代、担任の教師から平手打ちをくらった。なぜ怒られたか、理由は覚えていない。頬を焼くような瞬間の痛みと怖さだけが記憶に刻まれた◆この中学生たちの恐怖や痛みはいかばかりか。宝塚市の中学校で起きた傷害事件のことだ。「きつめの指導」と称し、柔道部顧問が投げ技などで2人に重軽傷を負わせ、傷害容疑で逮捕された。帰宅した後も生徒は震えていたと、保護者は言う◆それから10日、解けぬ疑問がいくつもある。これほど体罰はやめようと言われてもなかなか減らない。なぜだろう。兵庫教育界の規範が緩いのか。そう問う声も耳に届く◆脚本家倉本聡さんの話を思い出す。幼いころに万引をしたそうだ。欲しかったお菓子屋さんのビスケットを2枚。気づいたお母さんから事情を聴いて、お父さんは「出かけるよ」と倉本さんを外へ連れ出した◆向かったのはそのお店。「ビスケットを全部ください。在庫も」とお父さんは言った。そして大きな袋二つをかついで帰る間、説教はなし。でもビスケットがおやつに出るたび、倉本さんは後ろめたさを感じ続ける。自伝エッセー「見る前に跳んだ」から◆力ではなく、言葉や姿勢で諭し、導く。難しいのを承知の上で期待する。教育に生きる皆さんの、プロの力。(神戸新聞・2020・10・22)

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 「正平調(せいへいちょう)」は神戸新聞の朝刊コラム名。その表わすところは、中国の典籍からのもので「厳正公平かつ情緒豊か」といったところでしょうか。阪神淡路大震災の折には連日のように愛読にこれ努めました。本日のテーマは「体罰(暴力)」です。過日扱った「わいせつ行為」と同様、学校教師の犯す過ちの代表格です。体罰は暴力、わいせつは犯罪、これで間違いはないのですが、なぜ、いつまでもこんな犯罪が学校現場で罷り通って来たのか。おそらく歴史や慣習(習慣)に根を持ついわれがありそうです。ずいぶん前にある人から質問されて、「体罰をなくするのは実に簡単さ、学校をなくせばいいじゃん」といって顰蹙を買いました。今でもその考えは変わっておりません。

 「その昔」は、体罰は「日常茶飯事」だった。だから少々行き過ぎがあっても許されるのだという三分の理は今では通用しない。また、熱心な教師ほどこの過ちを犯しやすいのかもしれないし、あろうことか、親が「体罰」を期待する向きもないわけではなかったし、今もそうです。そんなこんなで、「体罰」は万世一系のようで、学校から「体罰」をなくしたら学校がなくなる恐れさえあります。でも、それによって「死ぬ人」が出るなら、笑い澄ましたりできるような暢気な話ではありません。

 倉本さんの逸話はいかがでしょうか。いつだったかのブログでも触れましたが、盗みを繰り返す子どもに、そんなに欲しければ「盗みなさい」というほかなかった母親の話があります。まさに母親の「一回限りの言葉」だといいました。その子と母親との間で、たった一回しか通用しない言葉というものがあるのですね。その母親はまた、「盗んだことを、後でお母さんに言うのよ」と付け加えたということでした。倉本お父さんの場合も、息子と自分との間に生じた「一回限りの行動」だったかもしれません。その行動は、しかし「怒鳴りつける」「殴り倒す」以上の規制・自制力を与えたに違いありません。ビスケットは旨くなくなったはずです。

 この歳(後期高齢者)になるまで、ぼくはどれだけの過ちをお犯してきたか。大小無数の失敗を繰り返しながら、ここまで生き延びたと、自分でも思います。親は「知っていた」のに何も言わなかった。気づいていたにもかかわらず、親は直接は何もしなかったし、言わなかったんだと、ぼくは受け取った、そんなことが何度もありました。それを思い出すたびに、「過ちの記憶」はしばしばブレーキの役割を果たしていたと考えた。親にも教師にも「たった一度」だけだったが殴られた。殴られたのは一度だったが、親や教師はなんども「殴りたかったに違いない」と思い至って慄然としたのも本当です(殴られた記憶は、矢張りブレーキだった)。ぼくはその苦い経験を導きの糸のように手放さないで生きようとしてきましたし、まるで綱渡りのような危なさでここまで歩きついたのです。今から考えても「肝を冷やしっぱなし」でした。(「懲りない、戸塚さん」左上)

 体罰はいけないと、わかっていても手が出る、足が出ることもあります。明確な線引きをして「犯罪」として扱うのも誤りではない。でもそうすれば、学校は監視カメラが無数に設置された「監視・処罰社会」になり変わります。鬱陶しいし、明るくない社会ですね、そうなると。果たして、それでいいのですか、先生。

 「握ったこぶしを開け!」腹が立ったら、怒りが襲ってきたら「だるまさんが転んだ」というのがいいね。「にらめっこしましょう」なら、もっといい。その程度で消えるんだ、ほとんどの怒りは。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。