なぜスカートを履かせたがるの、学校は?

Cassandre Bau-Plourdeさんのインスタグラムよりカナダ・ケベック州でスカートを履いて登校した男子生徒たち
私の壁見えてますか2020年10月12日 14時36分 JST
男子生徒がスカートで登校。何が起こった?制服への抗議運動が、カナダの高校生の間で広がる
彼らが訴えているのは、ジェンダー平等と性的マイノリティの権利についてだ。若田悠希

 カナダ東部のケベック州にある複数の学校で、制服のルールに抗議するために、男子生徒がスカートを履いて登校している。/ 現地メディアが複数の学生に取材。彼らが訴えているのは、ジェンダー平等と性的マイノリティの権利についてだ。

「男子生徒の気が散る」のは女子生徒のせい?

 CBCによると、ケベック州ラヴァルの私立高校に通う男子生徒ジュゼッペ・コセンティーノさんは、モントリオールのサウスショアの、スカートを履く男子生徒のSNSの投稿を見て、自分たちのクラスでも、何か行動を起こそうと計画したという。/ この高校には、他の学校と同様に「スカートの丈は、最も短くて膝上10センチまで」というルールが存在する。一方で、男子学生が着るショートパンツなどの制服には、このようなルールは存在しない。/ コセンティーノさんは、CBCの取材に対し、「多くの教師が女子生徒に対し、『気をつけなさい。スカートが短すぎて、男の子たちの気が散るだろう』と注意しています。しかしそれは、女の子ではなく、男の子の問題のはずです」と回答。性差別的なドレスコードや、女性の身体の過度な性対象化に、異議を唱えている。(以下略)(https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5f83a20fc5b6e5c32000327f?utm_hp_ref=jp-homepage)

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 制服のイメージは何でしょうかね。ぼくはまず軍服を想定します。いろいろと変遷がありますが、制服(uniform)を着用することで一体感をかもすということがあります。第二に、これは軍隊の場合ですが、制服・制帽・軍靴などは「天皇からの授かり物(恩賜)」、それゆえの「国家への忠誠」を図ることなどがあるでしょう。この島の学校制度は軍隊の開設と同時期に始まりました。したがって、制服ばかりか、学校の価値観というか、習慣やしきたりも軍隊から借りてきた。そっくり軍隊が姿を変えて学校に入り込んだんですね。懲罰(体罰)・怒声・号令・遠足(これは軍隊の訓練の一種だった)、その他、いっぱい。「全員集合!」はとても嫌だった。「点呼」なども残っていますね。なんでもかんでも、てんこ盛りだ。

 ぼくも人並みに学校に行きました(行かされた)が、「制服」には頓着しませんでした。着たい服を着るという、単純な姿勢を押し通そうとしたように思います(スカートは履かなかった)。もちろん、教師からやかましく言われたが、これも無頓着でした。(●とん‐じゃく〔‐ヂヤク〕【頓着】 の解説[名](スル)《「貪着」と同語源。「とんちゃく」とも》深く気にかけてこだわること。執着すること。「相手の気持ちに頓着しない」)(デジタル大辞泉)一ミリのはみだしも許さないくせに、家ではだらしない大人ががほとんどかな。

 一体感というか、全体の中に個を沈み込ませる、個人を隠す・消すという効果というか、全体主義の空気が横溢するのが望まれていたと思う。だから、そこから外れることは徹底して嫌われるし、外れる奴は許そうとしなかった。それが学校の「制服」強制の背景というか光景です。詰襟のボタンをいつでも外していましたが、それにいちいち文句を言われたが、言わせておけ、という姿勢も曲げなかったようです。あいまいな言い方をしていますが、ぼくは「揃えられる」ということが何よりも「好かん」人間だったから、そのことで不利益?を被っても意に介しなかった。(強がりを言っているように聞こえますが、当時はビビっていたでしょう、ちょっとは)

 制服や制帽、カバンまで同じ。さらに校歌を歌わせられる。学校では教えなかった流行歌は一度聴いたらすっかり歌えましたが、校歌というのは何も覚えていません。小・中・高・大学と、それぞれの学校にあったんでしょうが、歌った記憶すらありません。歌も言葉も「旗」になる、「旗」にする。「旗の下に」という教条主義は学校(にかぎらない)の最悪の慣習で、それを取り除いたら、学校は学校でなくなると心配されるんです。

 スカート問題から離れてしまいましたが、スカートに代表される着物は「スティグマ(烙印)」なんですね。その典型は「囚人服」でしょうか。さらに古くは、人間を選別するための着衣が強いられた時代もありました。身分や地位をあらわす「名詞」「番号札」みたいなものでした。今だと、「あいつはコロナだ」と指さすように、区別や排除(差別の機能)を持たせたのでした。「女はスカート」「男はズボン」、これも一種の明確な烙印です。この烙印を押すのはだれかが問題となりますが、言わずともわかるでしょう。

 「私作る人」「俺食べるサル」というのも役割分担というより、狭い穴倉に「性を閉じ込める」強い働きをしてきたのです。だからスカートを男の子が履こうが、犬が履こうがいいじゃないかというのは、一つの価値観からすれば許されないことだった。性の区別が混乱するからです。性別を上下(優劣)関係に置き換えていた人間にとっては。だから混乱した方がいいんです。価値観が壊されなければ、新しいものの誕生はないからね。ここは「男子がスカートをはいても、自由学園だ」という学校があってもいい、ある方がいいね。ぼくも今日から「プリーツのついたスカート」を履いて徘徊しようか、自主トレを兼ねて。「防災無線」で山中に知らされるかも。

 みんなでというのではなく、「私が決める」「ぼくがする」というのがいいね。

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