魅力度ランキング


何とも罪づくりなランキングである。民間調査会社による地域ブランド調査で、長年40位台に低迷していた本県の魅力度は最下位に転落した▼12年連続1位の北海道をはじめ、上位は京都や沖縄といった人気観光地の指定席で、ウェブ上の見出しを見ても話題の中心はもはや「どこがビリか」に変容した感がある▼最下位続きだった茨城県は過去最高の42位に上がった。昨年の発表は台風19号の被災直後だったこともあり、大井川和彦(おおいがわかずひこ)知事が激怒して耳目を集めた。今年は「魅力度ナンバーワンの県を目指したい」とコメント。どう受け止めたらよいのか▼本県は本年度まで5年間、25位以内を目標にさまざまなイメージ戦略を展開してきたが、ブランド力向上と因果関係が見えないとして来年度以降、順位を指標にしない方針を決めた。そうした中での最下位転落も皮肉である▼ただ、本県は魅力がないというより、印象が薄いのは間違いない。調査結果を伝えた日の紙面には、本県の県民所得が全国3位という記事も載った。本県の底力をいかに知ってもらうかの方が重要だ▼その陣頭指揮官を選ぶ知事選が1カ月後に迫る。本県をビリと位置付けたランキングを見返せるような県に変えるため、候補者がどんな戦略を掲げ、有権者は誰に一票を投じるか。そちらの方が注目に値する。(下野新聞・20/10/17 8:23)

==========
「地域ブランド調査2020」は、1,047の地域(1,000市区町村、及び47都道府県)を調査対象とし、全国3万人が各地域のブランド力を徹底評価する日本最大規模の消費者調査です。2006年に調査を開始、毎年実施し今回で15回目の実施となります。/ 調査はそれぞれの地域に対して魅力度、認知度、情報接触度、各地域のイメージ(「歴史・文化のまち」など14項目)、情報接触経路(「旅番組」など16項目)、地域コンテンツの認知(「ご当地キャラクター」など16項目)、観光意欲度、居住意欲度、産品の購入意欲度、地域資源の評価(「街並みや魅力的な建造物がある」など16項目)などを質問。調査項目は全84項目で、各地域の現状を多角的に分析できます。(https://news.tiiki.jp/05_research/survey2020)

==================
つまりは好き嫌いのランキングであり、自己宣伝がうまいところが上位に来るだけの話で、そこに住んでいる住民にとっては迷惑ではあっても、何が嬉しいものかというばかりだと、ぼくはみている。昨年までの抜群最下位「茨城」も新たなブランド度ワースト県「栃木」も、ぼくはそれなりに知っている。何度も訪れている。観光地などにはいかないが。どこがよくてどこが悪いかに、それほど、いやまったく興味はない。両県は、鮟鱇や餃子がともに自慢の種だけれど、行きもしないでいい悪いは判断できない相談です。見たことも会ったこともない首相の「魅力」がやたらに高い、いわば好感度が高いというのは、忽ちに嫌悪度に早変わりするのが世の常です。何事にも軽薄、これがカルチャーなんだ。気にするなというのも無責任ですが、「人の口には戸が立てられない」といいます。放置しとくにかぎりますよ。

政治や経済の要職にある人間が己の評判ばかりを気にして、本来の筋道をわすれていることにまったく頓着しない、そんな無責任が横行している時代ですから、高い低いを気に病んでも仕方がないと、矢張り口走ってしまいます。「順位を指標にしない方針」という舌の根が乾かないうちに、「ランキングを見返せるような県」などと宣う。負け犬根性を持ちながら、新聞記者が県民に嘆いてみて、どうします。ぼくは自分が住むところが何番だとか最下位だとか、そんなことには一向に関心がない。順番や序列(をつける根性)ほど愚劣なものはないと、生まれてこの方、筋を通してきました、自慢ではありませんが。一番がいるのはビリがいるからです。「ビリになるにも、能力がいる」といったのは久野収さんでしたね。ぼくは尊敬しています。
ずいぶん幼いころ、マルクスとエンゲルスという名前につづいて、エンゲルスは最高の「セカンドバイオリン」だと書いてあったのを記憶しています。「一番じゃないとダメなんですか」と口走って「叩かれた女性」議員もいました。ぼくなら、「番外ではアカンのか」と言いますね。本来つけられない順番をつけることがそもそもの間違いだし、それに口をはさむのもどうかしているね。(数字で表せるということ自体が、明確な限界を示しています)犬と猫のどっちがいい(好き)かっていう類ですよ。どっちだっていいじゃん。ラーメンと日本そばのどっちが好き?勝手に食えよ。

「住めば都」と言いますが、ぼくはこれが気に入らない。「都は京都」と辞書にはあります。宮家のあるところ、三宅(みやけ)も大宅(おおや)も「宮処(みやけ・みやこ)」といって、「天皇」がいる場所という意味で長く使われてきました。まあ、御所です。だんだんとつまらぬ話になりましたので、これ終わりにします。(蛇足 明治になり、京都にいた「天皇」が巡幸のつもりで「ちょっと東の地」に出かけ、そのまま江戸に住みつかれた(つかされた)。当時「江戸は」「東京(とうけいとも)」と称されました。拉致されたんですね。今もそうです。京都から東京に行くことを「下る」と言い、行かないのを「下らない」と言った。つまらんを下らんというのはそこから出てきた。今はすべて東京行きは「上り」という。負け惜しみだね。京都は「千年の都」という、桓武さん以来ね。それも貧乏たらしくて嫌ですね。今では「大吟醸」になっています。小学校の同級生も酒を造っています。先年、帰京の折に戴きましたが、銘柄は忘れました)

ご当地自慢は分かりますが、のど自慢じゃないんですから、他所からとやかく言われる筋もなければ、評判が芳しくないからと、怯むこともありません。「我が家(ばかり)」が一番と言いたいが、それは比較を絶しているということ。どこかと比べられるかよ。また「隣の芝生」という、厄介ですね、人間の情念は。その意味は?
####

ただいま大阪「都構想」なるインチキ政治を標榜しているグループがあります。これは何でしょうか。「二重行政」除去とか「府・市合わせ」だとか、つまらんしゃれにもならぬことを言って、要するに「東京」に対する対抗心というよりはコンプレックス(劣等感)が見え透いています。その東京は京都に対して、今なお劣等感を持っています。「下らない」ねえ。その「京都」が「長安」に対抗する意識を持っているかどうか知らないが、今も「天皇帰京」を待望している(集団)があって、活動している。ぼくはそんな「京都」は大嫌いです。

(*明治3年(1870年)3月14日、東北の平定が未だに行き届かないこと、諸国の凶作、国費の欠乏など諸々の理由で京都への還幸を延期することが京都市民に発表された。翌明治4年(1871年)3月になって、結局大嘗祭は東京で行うことが発表され、同年11月17日に東京で行われた。(Wikipedia)(註 いつでも「御所」に帰れる制度になっています)
●東京=(《東にある都の意》日本の首都。都庁は新宿区にある。慶応4年(1868)江戸を東京と改称、京都から遷都。当初は漢音「とうけい」と呉音「とうきょう」とが並び行われた。明治4年(1871)東京府となり)(以下略)(デジタル大辞泉)

●住めば都=どんな田舎であっても、そこに長く住んでいれば、慣れて住みよい土地に思えてくるということ。「都」は、政治や経済・文化の中心となる、住みやすい場所の意。(故事ことわざ辞典)(註 この解説はつまらないですね。どんな田舎であっても、という言い方がまちがっています。「どんなバカデモ…」というニュアンスがふんだんに含まれているでしょ。解説者自身は「都派」だと自白していますね。長く住んでも「都」にはならないよ、「住みつづけたい」のがいいところってことさ)
____________________________________________