
河北春秋 毎年、3月11日の午後2時46分になると、仕事や家事の手を休めて黙とうし、東日本大震災の犠牲者の冥福を祈る。被災地で暮らす人にとっては当たり前のことだが、中には何もしない人も。でも、他人がとやかく言う筋合いはない▼個々人の心の問題である弔意の示し方を巡って波紋が広がっている。きょう東京都内で営まれる内閣と自民党による故中曽根康弘元首相の合同葬に合わせて、文部科学省が国立大などに弔意を表すよう求める通知を出していたからだ▼通知にはご丁寧にも、弔旗の掲揚の仕方や黙とうする時間を知らせる文書が添付してあった。「協力を求めるもので、強制を伴うものではない」と加藤勝信官房長官▼言わずもがなのことを額面通りに受け取れないのは、日本学術会議の問題に続く教育・学問の現場への「政治介入」と受け取られかねないからだ。「無言の圧力」と捉えて「忖度(そんたく)」する人がいてもおかしくはない▼元首相の合同葬に合わせて弔意の表明を求めたのは、小渕恵三、鈴木善幸、橋本龍太郎各氏の3例がある。前例踏襲の見直しを掲げる菅義偉首相は、日本学術会議だけでなく、この件に関しても見直しを検討してもよかったのでは。さもないと、政権の看板が、しょせん恣意(しい)的なものだと勘ぐられかねない。(河北新報・2020.10.17)

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この件に関して、ぼくには何かを言う準備も興味もありません。「劣島不沈空母」を打ち上げたのも、国鉄・電電公社民営化(=会社化)を打ち出したのも、この人でした。もっと忘れてならないのは「初の原子力予算」を計上させた議員だったということです。早くから原子力の利用に大きな関心を持って旗を振っていた政治家でした。したたかな政治家だったし、「首相公選論」を早くから叫んでいたのも、国民投票に「勝てる」自信があったからでしょう。「青年将校」ともてはやされていたのです。ぼくがもっとも許せないのは「ロッキード事件」の背後に回り「対潜哨戒機P3C」導入にかかわるスキャンダルを闇に葬った張本人だったということです。(児玉某氏との関係が取り沙汰されてきました)
ここでは述べませんが、「風見鶏」と称されたように「機敏」かつ「硬軟使い分け」で、総理にまで上り詰めた人物でした。名うての「嘘つき」だったと思う。

彼の葬儀に際して、「弔意を示せ」と文科省が通知を出したという。それに従う学校も従わない学校もある。いささかの興味もありません。国の税金が入った学校だからか、通知を出すことに衒いも迷いもないのは不思議。「俺らの仲間だった、『偉い政治家』の葬儀に際して、黙禱して弔意を示せ」と、どの面下げて言い募るかと、ぼくは嫌な気分に襲われ、吐き気を催す。「国民各位」も同じように弔意を示せと言っている。(総務大臣宛て文書)なぜか。どうしてか。この島では長年にわたって「愛国心」の強制が学校などで問題となってきました。「国を愛せ」と強いるのは「俺を好きになれ」というのと同じで、「強制✖✖罪」ではないですか。タガが外れたとは、このことです。断じて認めたくないですね。

内面の自由、これをとやかく、だれかに命令されてなるものかという怒りが半分と、他人に命令を下す権限が「自分にはある」と勝手に決めつけている盗人猛々しい根性をに反吐を吐きたくなるという軽蔑の念が入り混じって、ぼくはきわめて不快な雨の朝を迎えています。凄惨な「錯誤」に陥っているのがこの政府であり、政治家たちです。なんでもできる、やれないことはない、という可哀そうなほどの蒙昧地獄の住人だというほかない。「自分ファースト」を地で行くような手合いぞろいです。
「雨雨フレフレ もっとフレ わたしのいいひと連れてこい」
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