感染せずにおかない権力腐敗の万世一系

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 愛のさざなみ 作詞:なかにし礼    作曲:浜口庫之助
どんなに遠くに 離れていたって
あなたのふるさとは 私ひとりなの
ああ湖に 小舟がただひとつ
いつでもいつでも 思い出してね
くり返すくり返す さざ波のように
さざ波のように

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 いま、ぼくたちはとんでもないものを見せられようとしています。見せられるだけではないかもしれない。まさか、自分の生存中にこんな事態(景色)が出現しようとは思いもよりませんでした。三枚の写真を並べた意図はべつにありません。自然界における狂熱・狂気の季節が過ぎたのか、はたまた人間界にも、狂気の時代はやってくるのか、きたのか。一国だけが自由であったり、平和であったりすることはできない時代に我々は生きています。そのあからさまな証拠が「新型コロナ・covid-19」の感染伝播です。コロナだけが感染するのでないのは言うもでもありません。一時代前に、「アメリカがくしゃみをすると、日本は風邪をひく」と言いはやされました。今では、各国がこぞって、「一国中心」「自国優先」という「自国至上主義」です。「MAKE AMERICA GREAT AGAIN」の感染力も侮れないどころか、その悪影響は避けられないのです。狂気という伝染病は飛行機に乗らないで飛んでくる。国境封鎖も滑稽なだけ。自ら感染することを熱望する輩もいる。(お千代さんも、もういません。「この世の花」だったのに)

 「独裁」「専制」「ファッショ」などと、こんな言葉が使われるのに見合った時代、ぼくがが生きているうちに来るとは(まだ来ていないのか、ホントに?)、夢想だにしなかったといっているのではありません。「くり返すくりかえす さざ波のように」しずかに寄せては返す、波の音ばかり。でも気づいてみれば、さざ波は大波・荒波に、すべてを併呑していくのです。戦前に人気を博した漫才コンビに「愛国お浜・小浜」がいました。敵性言葉を芸名にした「ハッピーお浜・小浜」だったのを改名させられた。この二人は戦後にも大ブレーク、ぼくも、生で(実演を)聞きました。「海原お浜・小浜」さん。その弟子が「海原千里・万理」で、ご健在なのは、上沼恵美子さん(左上写真の右側)。人間は一人でも「独裁者」になるんですね。(この駄文、準備も草稿もなく(いつも通り)、MUJIではなく、MUKEです。雨の慕情のせいかね)

 終わりに、脈絡もなく。兼好さんの「世に従はん人は」を読みたくなりました。

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「春暮れて後に夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気もよほし、夏よりすでに秋は通ひ、秋はすなはち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅もつぼみぬ。

(兼好の墓所・双ヶ岡)

木の葉の落つるも、まづ落ちて芽ぐむにはあらず。
下よりきざしつはるに堪へずして落つるなり。

迎ふる気、下に設けたるゆゑに、待ち取るついで甚だ速し。
生・老・病・死の移り来たること、またこれに過ぎたり。

四季はなほ定まれるついであり。
死期はついでを待たず。

死は前よりしも来たらず、かねて後ろに迫れり。
人皆死あることを知りて、待つこと、しかも急ならざるに、おぼえずして来たる。

沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるがごとし。」(「世に従はん人は、まづ機嫌をしるべし」)

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)