愛し合う二人の結婚を認めよう、ただそれだけ

2020年10月05日 12時03分 JST | 更新 2020年10月05日 18時21分 JST(ハフポスト日本版編集部)
 Twitterでは、同性婚に賛成票を投じたニュージーランドのある議員のスピーチ(註 2013年4月に行われた)が紹介され、多くの反響を集めた。
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私の選挙区の有権者に、「同性婚を認める法案が通れば、その日からゲイによる総攻撃が始まるだろう」と言った聖職者がいました。/ ゲイの総攻撃って、どんなものでしょうね。大勢のゲイたちが軍隊となって高速道路を攻めてくるんでしょうか? それともガスか何かが流れてきて、私たちを選挙区に閉じ込めてしまうんでしょうか?/ カトリックの聖職者にも、私が『不自然なもの』を支援していると批判されました。面白いですね。だって、一生独身、禁欲の誓いを立てた人がそう言うんです。まぁ、私には禁欲がどんなものかはよくわかりませんけどね。/『永遠に地獄の業火で焼かれるだろう』とも言われました。間違いです。私は物理学の学位を持っています。自分の体重や体水分率を測って、熱力学の式で計算しました。もし5000度の火で焼かれたら、たった2.1秒で燃え尽きます。これはとてもじゃないけど永遠とは言えないですよね。/ 養子縁組についてひどい意見もありました。私には3人の素晴らしい養子がいます。養子縁組がどんなに素晴らしいか知っていますし、だから、そういう意見がくだらないものだとわかります。邪悪ないじめです。私は小学校の時から、いじめには屈しないと決めています。
「この法案が社会にどういう影響があるか、心配しているんでしょう。言わせてください」/ 反対する人の多くは、この法案が社会にどういう影響があるかということに関心があり、心配しているんでしょう。その気持ちはわかります。自分の家族に起こるかもしれない「何か」が心配なんです。/ 繰り返しになりますが、言わせてください。
今、私たちがやろうとしていることは「愛し合う二人の結婚を認めよう」。ただそれだけです。/ 外国に核戦争をしかけるわけでも、農作物を一掃するウイルスをバラ撒こうとしているわけでもない。お金のためでもない。/ 単に、愛し合う二人が結婚できるようにしようとしているのであり、この法案のどこが間違っているのか、本当に理解できません。なぜ、この法案に反対するのかが。自分と違う人を好きになれないのはわかります。それは構いません。みんなそのようなものです。
「関係ない人にはただ、今までどおりの人生が続くだけです」
この法案に反対する人に私は約束しましょう。水も漏らさぬ約束です。/ 明日も太陽は昇るでしょうし、あなたの10代の娘はすべてを知ったような顔で反抗してくるでしょう。明日、住宅ローンが増えることはありませんし、皮膚病になったり、湿疹ができたりもしません。布団の中からカエルが現れたりもしません。/ 明日も世界はいつものように回り続けます。だから、大騒ぎするのはやめましょう。この法案は関係がある人には素晴らしいものですが、関係ない人にはただ、今までどおりの人生が続くだけです。
最後になりますが、私のところに、この法案が干ばつを引き起こした、というメッセージが来たんです。この法案が干ばつの原因だと。ええと、私のTwitterアカウントをフォローしている方はご存知かもしれませんが、パクランガでは今朝、雨が降ったんですよ。/ そしたら、今まで見たことがないくらい、大きな虹が見えたんです。ゲイ・レインボーが。
これは、しるしに違いありません。あなたがもし信じるならば、間違いなく、しるしです。/ 結びとして、この法案を心配している全ての人のために、聖書を引用させて下さい。旧約聖書の申命記、1章29節です。
「恐れることなかれ」。

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 足立区議会の議員の話題は本年九月に生じたものでした。ここに紹介したのは、13年にニュージーランドの議会であったことです。ぼくは「同性婚」を否定はしません、自分はそうではありませんが。ここに「時代おくれ」という言葉を持ち出すのはふさわしくないでしょうが、ニュージーランドにも「時代おくれ」はいます。いても当然と、ぼくは考えます。「自分はそうじゃないけど、あいつらがそうなのは許せない」というのは、どう考えても理不尽です。いつどこにでも「時代おくれ」はいるのが人間の社会です。それはある意味では、生き方の問題だから、いい悪いという好みだけでは判断できないのでしょう。「同性婚」は趣味や嗜好に属するのではなく、文字通りに「生き方の流儀」です。

 「この法案は関係ある人には素晴らしいものですが、関係ない人には、今まで通りの人生が続くだけです」というのはまっとうな見解、姿勢だと思います。否応なしに強制的に「全てのものを支配する」という法律もあります(おおむね法というのはそういう性格を持つ)。しかし、これまで当該問題で苦悩していた人々を救おう、(法によって認められていなかった)権利を認めようという法律もあります。なければならないでしょう。この法案によって「ニュージーランド」がなくなることはありません。(法案可決直後の議会⇒)(註 この演説の主はモーリス・ウィリアムソン議員(当時です))

 何人かの友人が彼の国にいます。大学時代の同級生も永住しています。ときたま日本にやってきて、いろいろと最新の情報を聞くことが続いてきました。この「法律」についても、直後に訊くことができました。また、複数の若い高校生たちが訪ねてくれたこともありました。いろいろと話を聞いたことを楽しい思い出として、ぼくは記憶しているのです。いずこも同じで、ニュージーランドにも多くの問題があります。それは当たり前で、「同性婚」を認めたから問題が発生したわけではありません。(左の調査は2019年6月現在)

(【2013年4月18日 AFP】ニュージーランド議会は17日、同性同士の結婚を認める婚姻法改正案を賛成77、反対44の賛成多数で可決した。同国はアジア太平洋諸国で同性婚を認める初めての国となった。/ 可決されたのは1955年に制定された婚姻法の改正案で、結婚は性別、性的指向、性自認にかかわりなく2個人が行うものと定義している。)

+ 蛇足のような 毎朝、五時に起床。猫たちに食事提供(ただ今、七人。年初はゼロ)。部屋に戻りネットニュースのサーフィン、主として新聞。こんなことをやりだしたのも、この雑文集(ブログまがい)を始めてからで、若い友人(学校の先生)と話していたとき、学校や教育・授業などのヒントに(万が一)なるかもしれないので、少し雑文でも書いてみようかという雲行きになりました。わが脳細胞をこれ以上「劣化」させないために(無理でしょうが)、いわば「自主トレ」のつもりで、と。コトバはよくないが、「唆された」んですね。

 約十か月近く続いていますが、気に入らないのは、嫌なニュースがほとんどなので、見ないですませばいいのに、それがために持病の「胃潰瘍」に響きすぎること。従前は酒(百薬の長だというのは嘘)で紛らしていたのですが、今は「お茶」。それではだめで、「虫唾」の暴走が止まない。「五里虫唾」です。住んでいるのが「ボーソー」だから、というくらいに、「自主トレ」の効なしです。

 また、拙雑文・拙駄文に質というものがあるとして(あるハズもないが)、だんだんか、はなからか、悪いの一点張り、自分でも「自主トレ」は止めや、という気弱に襲われます。でも、気を取り直して(これの繰り返し)。さて、また駄文を。「時代おくれの男になりたい」とは思いません。ぼくは動かない、時代は動く、「そんな時代があったね」とみゆきさんを歌ったのは昔。元来(生来か)が、ぼくは「時代おくれ」なんです。

 これから、「草刈正雄」に変身します。庭は「ボーソーの草原」、刈り甲斐があります。かなり刈ったぞと振り返ると、もう新しいのが生えてきている、みたい。「雑草」などという草はありません。名前を知らないだけ。「名も知らぬ」というのは単なる無知。雑人などというのか。ぼくは除草剤を使いません。地球にやさしい草刈? 草が死ぬ、土もやられる。人間は大丈夫、ってことがあるの?(7:00AM)

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)