目立たぬように はしゃがぬように

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 この歌をぼくは歌ったことがありません(カラオケはまずやりませんし)。もちろん、英五さんでなんども聞きました。さらには、ちあきなおみさんでは聞き惚れてしまいました。歌詞をよく読んでみると、これがどうして「時代遅れ」なのか、よくわからなくなりますが。いや、ひょっとしたら、世の中は「時代おくれが」トレンドだという阿久悠氏のメッセージだったかと思い当ったりしました。時代おくれの男たちは「一年一度 酔っぱらう」というのですが、これはよくわからない。几帳面なんですか。今日は何月何日(自分の誕生日、あるいはかみさんの)だから、あるいは親の命日だからか、これでは酔えないかも。阿久さんは「下戸」だったかな。

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 話題は激変します。政治の話なのか、議会で扱う問題なのか、よく理解できませんでしたが、こんな記事が出ていました。先月、都内のある区議会でのことでした。

( 自民党の男性区議が、「LだってGだって法律で守られているじゃないか、なんていうような話になったんでは、足立区は滅んでしまう」などと発言。批判が殺到している。)( Huffpost・2020年10月05日)
「性の多様化だとか、LGBTだとか言われて、性の自由を尊重しようという地方自治体があちこちに生まれつつある。私は、人間の生き方ですから、本人の生き方に対して干渉しようとは思いません。LであろうとGであろうと、本人の生き方に干渉しようとは思いませんけれども、考えてください。こんなことはありえないことですけれど、日本人が全部L、日本人が男が全部G。次の世代生まれますか?1人も生まれないんですよ。1000年とか200年じゃない。次の世代を担う子供達が一人も生まれない。本当にこんなことでいいんだろうか」「BとTについては生まれつきのこともありますから、必ずしも言うべきではないかもしれません。でもL、レズ(※)とG、ゲイについてだけは、もしこれが足立区に完全に広がってしまったら、足立区民いなくなっちゃうのは100年とか200年とか先の話じゃない。私たちの子供が1人も生まれないということですから。次の時代、30年から40年後にいなくなっちゃう。」
(※編集部注釈)「レズ」という言葉は、レズビアンの差別的な呼称とされている。「性を尊重する、そのことはわかります。でもこれを学校教育を取り上げた時に、普通の結婚して、普通に子供を産んで、普通に子供を育てることがいかに人間にとって大切なことなのか。子供を産んで子供を育てることは経済的社会的に大変かもしれないが、本当に素晴らしいことなんだ。楽しいことなんだ。そのことを教育の場で子供たちにしっかりと教えないと。LだってGだって法律で守られているじゃないか、なんていうような話になったんでは、足立区は滅んでしまう。そのことをよく考えて、教育の中でその問題をどう取り上げていくのかについてご答弁をいただきたいと思います。」(以下略)

 この議員さんは何を主張されるのか、「足立区は滅んでしまう」から「LGBT」はいけないというのか。でも「本人の生き方に対して干渉しようとは思いません」ともいわれる。「ありえないことですけど」といって「本当にこんなことでいいんだろうか」と嘆きます。当局の答弁はどうでしたか、質問の「核心」はすべてスルーされていました(内容は浅薄振興会でした)。

 問題はここからです。ぼくも「時代おくれ」などとのんきに歌おうと思って、この議員さんの件を出したのではありません。世の中で起こっている多くの問題の中でも、取り違え・勘ちがい・誤解・無理解などなど、いくつもの障害があって、十分に問題の根っこには届かないで無理矢理に扱われていることが少なくない、その典型例としてだしてみました。一時流行した「ジェンダー」などもその典型です。もともとこの島に地生えの現象(文化)だったともいえるのですが。(これに関しては以前に触れましたし、さらに書くつもりです。存在した事実を認めることと、それ(事実)に賛成ということとは別次元の話です)

 この議員さんは「少子化」「無子化」を歎き、「足立区が滅ぶ」のを心配しているのでしょうが、少子化は「LGBT」に起因するのでもなければ、「足立区滅亡論」も「区名変更」が起これば実現します。また「他地域」への移住者が増えれば、「足立区民は少なくなる(ゼロにはならないはず)」でしょう。この方は、むりやり「LGBT」にくっつけて問題を「スリカエ」ているんですね。ある種の職業人に特有の性向です。でも、本音は「LBGTは絶対認めない」というのでしょう。ならば、はっきりと言明する方がいいように思います。本来あってはならないことなんだと、いえば「時代おくれの男」らしいかも。

 それができないから、苦労しているんだね。「不器用だけれど しらけずに」「ねたまぬように あせらぬように」はその通り、でも「目立たぬように はしゃがぬように」とはいきませんでした。「似合わぬことは無理をせず 人の心を見つめつづける」、そんな「時代おくれの男」にはなれなかったかもしれない。でも諦めるのはまだ早い。「時代は君を待って」いてくれるでしょう。(つづく)

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)