おれは雑草になりたくないな

  みみず      大関松三郎(1926-44)
何だ こいつめ
あたまもしっぽもないような
目だまも手足もないような
いじめられれば ぴちこちはねるだけで
ちっとも おっかなくないやつ
いっちんちじゅう 土の底にもぐっていて
土をほじくりかえし
くさったものばかりたべて
それっきりで いきているやつ
百年たっても二百年たっても
おんなじはだかんぼうのやつ
それより どうにもなれんやつ
ばかで かわいそうなやつ
おまえも百姓とおんなじだ
おれたちのなかまだ
 
   雑草
おれは雑草になりたくないな
だれからもきらわれ
芽をだしても すぐひっこぬかれてしまう
やっと なっぱのかげにかくれて 大きくなったと思っても
ちょこっと こっそり咲かせた花がみつかれば
すぐ「こいつめ」と ひっこぬかれてしまう
だれからもきらわれ
だれからもにくまれ 
たいひの山につみこまれて くさっていく
おれは こんな雑草になりたくないな
しかし どこから種がとんでくるんか
取っても 取っても
よくもまあ たえないものだ
かわいがられている野菜なんかより
よっぽど丈夫な根っこをはって生えてくる雑草
強い雑草
強くて にくまれもんの雑草

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 私は今、諸君にひとりの友だちを紹介しよう。

 大関松三郎が、それだ。

 松三郎は、真実を語ることのできる少年だった。まれなほどしっかりした「自分」をもっている少年だった。諸君は友だちとしてテヲとっても損をしない人間だった。いや「自分をもっていた」というより、「自分をもとうとしていた」といったほうが正しいだろう。「自分をもつ」ということは、決してかんたんなことではない。松三郎は、その「自分」をもとうと努力していた人間といったほうがいいだろう。松三郎の目は、外のものにむかっても、くいこむようにするどかった。じっと、「自分」をみつめた目は、何にもまして、もえるようにはげしかった。(寒川道夫「―指導記録―いのちの歌」)

 「指導教師」の寒川さんは「みみず」「雑草」について、以下の記録を残しています。(「解説 松三郎の詩」)

 「みみず」 これはいたましい百姓のうたである。私は前に、盲になった百姓に、時代への目覚めをあたえる「もぐらのうた」というのをかき、「たとえ野ざらしの風に身をさらされようと、一度土をけって青空の下に出よ。そしてつぶれたまなこをひらき、大空にもえる太陽を仰げ」とうたったことがある。それは、光をおそれ、氷をおそれ、土の底へ底へとくぐり、弱いはだかもの、幼虫などを餌食にし、目をひらくことを怠り、人の臭いだけかぎわけて生きる陰惨な前世紀的な動物に托して、百姓をはげましたものだった。松三郎はそれをしっかり覚えていた。(中略)

 この「みみず」には、その「もぐらのうた」からの考え方がふくまれているけれも、松三郎はそれを、百姓の立場から感じうたっている。「はだかんぼうのやつ」とののしっているのは、このかわいそうな生物だけでなく、自分のみじめさを、泣きながらむちうっているのだ。「おまえも百姓とおんなじだ。おれたちのなかまだ」ということばには、いたましいまでのすごさがこもっているではないか。

 「雑草」 「おれは雑草になりたくないな」ということばは、しんからに雑草をきらう心持をあらわしている。しかし、同時に雑草の野性的な強さにうたれ、人にかこわれて育てられる野菜のひよわさもにくんでいる。ここにはいろいろこみ入り、矛盾しあう問題がふくまれている。ある時、私たちのクラスで二宮金次郎が「尊徳夜話」に書いていた、雑草を悪玉とみて、悪玉を刈るのが天道をあらわすものだということについて議論がはじまったことがあった。そして、善とか悪とかというものが根本的にどうしてきまるのかということで、だいぶ問題がこんがらがってやかましくなった。その時、松三郎は「イソップ物語なんかみると、狼は羊を食ったから悪い動物のようにいってるけれども、もし羊を食うなといったら、何を食ったらいいんだ。羊が草を食っても悪いやつといわれないのは、草が黙っているからだ。草だって心ではおこっているだろう」というような事をいった。

 この「雑草」には、そういう黙っている雑草、抗議することのできぬ雑草がふくまれているようだ。しかし、そういう雑草になりたくないなといっている心には、松三郎の、人間的な希望が強く動いていたように思う。それは、一種の社会的倫理感と もいうべきものであった。社会的に意義のある人間にならねば、という、少年らしい清潔な大志がもえていたというべきではなかったか。

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 今回は上掲の「二つの詩」だけを載せておきます。これまでに、いったい何百回読んだことでしょう。いささかの詩心もない人間だからこそ、この詩はどんな人が書き、どんな思いをこめたのだろうと、繰り返し考えつづけているのです。寒川道夫という教師の指導の下、大関松三郎という小学生の詩の輝きが放たれたあかしとされてきたものです。よき(熱心な)教師と隠された才能を開花させた児童(生徒)の、たぐいまれな合作でもあったでしょう。「生活綴方」教育の頂点に位置すると評価されてきました。だが、毀誉褒貶が激しく、多くの批判や非難が投げつけられても来たのです。(つづく)

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投稿者:

dogen3

 「名もなく貧しく美しく」、ぼくにとって、それは生きる姿勢(流儀)の理想型ではありますが、現実には「名もなく貧しく醜悪に」、せいぜいがそんなところでしたね。「美しく」どころではなかったけれど、「名もなく貧しく」は断固として一貫してきたと思う。とても自慢できませんがね。