

「テレビの前では、指導者の資質はあってもスターの資質がない者は必ず失格する。……その結果、われわれはリンカーンたるべき人物を失いそうになっている」。確かに、リンカーンは風采(ふうさい)が上がらなかった▲先の言葉、1960年の米大統領選の初のテレビ討論で、若きケネディの前で疲れたさえない表情をさらして苦杯をなめたニクソンのものだ。この時、ラジオで声だけを聞いていた人が、ニクソン優勢と感じたという話は有名である▲討論の勝利が直ちに選挙の勝利をもたらすわけではない。20年前の討論では民主党のゴア氏が共和党のブッシュ(子)氏を圧倒したが、相手を見下す態度が有権者の反感を買ってしまう。テレビのキーワードは「好感度」なのである▲トランプ大統領とバイデン候補の初の直接対決となったテレビ討論である。相手の話に割り込んで司会者ともやり合うトランプ氏と、非難の泥仕合(どろじあい)を避けてカメラ目線で自説を語るバイデン氏と。さて好感度はどちらに傾くのだろう▲トランプ支持派は論敵に目も向けぬバイデン氏を「弱い」と見たろうし、バイデン支持派はトランプ氏の余裕のない多弁に「焦り」を見ただろう。肝心の論議はさっぱりかみ合わず、お互いに相手を追い詰められなかった90分だった▲分断深まる米国社会で「討論」は形をなさず、「好感度」もそれぞれの支持者の好みを裏書きするだけの今日だ。腕時計をチラッと見たのが敗因などといわれた昔が懐かしくなる2020米大統領選である。(毎日新聞・「余録」2020年10月1日)
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昨日行われたアメリカ大統領選挙の「討論会」、もちろんぼくは見ていない。見る時間がなかったからですが、あったとしても見なかった。なぜか。こうなるであろうという予測がはっきりとあったからだ。いま、ネットでいろいろなメディアの論評を眺めていて、何かと感想・妄想がわいてきます。悲しみも生まれてきました。これが現実である、という希望と絶望に襲われてもいます。現職のT候補者は「最悪の候補者」だと四年前にも思ったし、今回はそれ以上に醜悪な候補者の正体は露わになったと映った。「ゴロツキ(破落戸)」みたいです。一方のB候補も似たようなものですが、より「少ない醜悪度」「より小さな悪性」だったに過ぎない。ではなぜ、四年前に「最悪の候補者」が勝ったか、それほどに「エスタブリッシュメント」が忌み嫌われたからだったと、今でも考えています。「既成政治家」階層が権力を独占し、それを盥回ししていることにどす黒い嫌悪感をいだいた多くの民衆が「変えてくれる」と期待して、展望なき「最悪の候補者」を求めたのでしょう。「盥回し派」vs.「最悪派」の闘いでした。どちらが登場していても、「劇的」(「劇」とは「物の働きや程度がはげしい、劇薬、劇毒などと使う)だったことに変わりはなかった。

人間を選ぶ(評価する)のは投票でもなければ、多数決でもありません。だが、「大統領」や「総理大臣」、あるいは「社長」や「町内会長」という「椅子取り競争」はゲームであり、人民参加の闘いですから、は多数決でしか決められないでしょう。それが「代議制」です。そうでなければ、武力闘争しか残されないから。その意味では、「多数決」は最悪から一つ手前の判断でしかない。「democracy is the worst form of government except all the others that have been tried.」とチャーチルは言ったそうです。ぼくには、この「名言」を理解する能力に欠けているようです。「これまでに行われた(試された)すべての政治形態以外で、民主主義は最悪の政治形態だ」と。(トランプは、これまでに選ばれたすべての大統領を除いて、「最悪の大統領だ」というのでしょうか。そう、選ばれる大統領は「いつでも最悪です」ということになりますか。
60年の「討論会」は見ていなかった。まだ拙宅にテレビがなく(いや、あったかも)、国際「中継」網が整っていなかったからです。はじめて中継がなされたのが(三年後の63年11月22日)「K大統領暗殺」の場面でした(左上☝)。これには衝撃を受けました。9.11は二度目の衝撃でした。この二つの「事件」は、いまなお疑惑が持たれています、いずれもアメリカ社会の暗黒の側面につながる(事件)だったといわれています、ぼくもそう思っている。FBIやCIAが関与している、とも。今回も「テロ」の語が頻用されている。
さて、今回の「事件」、いや「討論会」はどうだったか。これはもはや「下品なスキャンダル」です。政治スキャンダルという以上に「アメリカのスキャンダル」だというべきです。(もちろんこの島には別の「スキャンダル)が充満しています。それは「討論会」だけの惨事ではなく、日常常在の(醜聞)です。数日前には「醜聞、いや秋分の日」でしたが)CNNのキャスターは「もはや討論会ではない。恥をさらしただけで、今晩は米国民の敗北だ」と吐き捨てた。醜悪も醜聞もすべて込みで「アメリカの現在」だと、ぼくはみなしています。「人種差別の炎」は燃え盛っているのに、それを消すべき当局者が「油を注ぐ」という破廉恥を敢行しています。これもまた、「デモクラシーのお手本」としてきた国のリアリティ、リアル・コンディションであるのです。これは政治に特有の現象ではありません。あらゆる場面に生じている「末期症状」が現実の政治面に顕現しているだけで、当然の結果でもあります。(vulgar scene)

「討論会でT候補は「人種差別主義グループや「ミリシア」と呼ばれる極右武装組織を拒絶するかと問われたトランプ氏は、回答を避けた上で、極右の武装グループ「プラウド・ボーイズ(Proud Boys)」に言及し「プラウド・ボーイズ、下がって待機せよ」と言明。「だが言っておこう。誰かが(極左運動の)アンティファ(Antifa)をどうにかしなければならない」と続けた。」(AFP)
【ワシントン時事】米オハイオ州で29日に行われた米大統領選の第1回テレビ討論会は、「泥仕合」の様相を呈した。トランプ大統領がバイデン前副大統領の発言に割り込み、バイデン氏も「黙ってくれ」と応酬し、政策論争よりも非難合戦に終始。ワシントン・ポスト紙(電子版)は「けんか腰で妨害にあふれ、ほとんど見るに堪えなかった」と酷評した。「史上最悪の討論会」(CNNテレビ)との声も上がっている。(jiji press・2020/09/30 16:51)
このT大統領の四年間、「ATM付き下僕」に徹底したA前総理と島社会。「超右翼」と「偽装超右翼」の腐れ縁につきあわされた一人の人民の、やるせない後味の悪さを、山中にいながら味わったという思いがありました。さらにこれがまだまだ、場面を変えて(暗転して)続くのかと思えば、まず、われわれは何を為すべきか、と沈思一番です。いや「至誠一貫」といきますか。権力は腐敗する、と言いますが、政治もまた権力に連なる以上は、腐敗を免れることはできないのです。そのように、ぼくはいつでも政治現象や政治家気質を見てきました。例がは極小で、大筋では間違いのある気づかいはありませんでした。

怒りも歎きも通用しない時代にぼくたちは生きています。泥棒に礼節を求めるが如き架空事のようでもあるかもしれませんが、自前の政治を、それもすこしは誠実さ(誠意)を含有した政治を冀(こいねが)っています。何よりもまず、見てくれ(ニクソンいわく、「スター性」か。かく言ったニクソンも後年には「水門事件」で失脚した、政治家の風上にも置けない御仁だった)(洋の東西を問わず、大小の政治家にぼくが感じてきたのは、度し難い「自己膨張」「自信過剰」という病弊でした。それは思いのほか「小さな自己」の正体を嫌でも自身はよく知っているからでしょう。武装にこれ務めるという仕儀です。あろうことか、ニクソンは「リンカーン」におのれを擬した。「お主よくやるよ」といっても、いささかの痛痒も恥ずかしさも感じないからこそ、政治家なんですね。
上面だけを取り繕う、見てくれだけの偽装政治(家)の醜態・本性を看破し、次いでそれを激しく喝破しなければならぬ。「法華の太鼓」宜しく、激しく敲くのだ、連打に連打、また連打です。やがてその痛さは己に向かってきます。「痛さ」を忘れないための荒療治ですが、それはともするとすがり寄りたくなる悪癖、つまるところ人任せにしないための自衛策でもあります。

そのために自らは何をするべきか、それを終日、自問自答するのです。「Go To ✖✖」は(「中抜き」満載で)発車しまーす」だって。脱線なんかを恐れる素振りも見せない。目的は定めず、とにかく「カネの尽きる」ところまで行くのだそうな。まるで帰還用燃料を積まないで飛ばされた「ゼロ戦」だね。こんな「ゼロ戦」に乗るのですか、君も僕も?
なんでもかんでも盛り込んで(横取りを企んで)、次年度予算(概算)は軽く百兆円(青天井 ☝)を超えました。輪転機もまた、「回ってまーす」
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