ねえ母さんよ僕だって 必ずお国を護ります

(斎藤信夫さんの故郷、千葉県山武市の成東城跡公園内)
  里の秋(斎藤信夫作詞・海沼実作曲、昭和二十年)

 静かな静かな 里の秋
 お背戸に木の実の 落ちる夜は
 ああ 母さんとただ二人
 栗の実 煮てます いろりばた
  
 明るい明るい 星の空
 鳴き鳴き夜鴨(よがも)の 渡る夜は
 ああ 父さんのあの笑顔
 栗の実 食べては 思い出す
  
 さよならさよなら 椰子(やし)の島
 お舟にゆられて 帰られる
 ああ(注) 父さんよ御無事(ごぶじ)でと
 今夜も 母さんと 祈ります 

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 季節は秋たけなわです。この季節になると、ぼくはいくつもの歌を思い出します。どの季節にも、いわば「季節の持ち歌」というものがある。その大半は「小学校唱歌」ですが、中には流行歌(歌謡曲)も混じっています。なぜ唱歌かというと、それは学校で学んだからというのではない、じつは、学校で学んだものは、ぼくにはほとんどないのです。すべて「学校外」で自学自習したものがぼくの根っ子・背骨になっているといいたいほどです。だから、この人間は偏り歪(いびつ)な育ち方をしてしまったのでしょう。

 唱歌がぼくの季節の印(いってみれば「季語」です)になったのは、幼いころに一人で口ずさんでいたせいだとぼくは考えたりしています。誰に強いられたのでもなく、周りから褒められたいからでもなく、自分一個の好みとして「その歌」を自由に歌いたいという感情の発露だった言えます。この「里の秋」について、すでに早い段階でこの雑文・駄文集で触れています。あえて重複を厭わないでまた雑文にしたのは、それだけ「里の秋」が身に染みるからだというばかりです。海の傍に住んでいると、こんな感じ方はしないでしょう。里山といってもいいような土地に住んでいるからこそ、秋、それも「都会の秋」なんかではない、一種の感傷とも想い出ともつかない、懐かしさをいだいてしまうのでしょうか。寄る年波も加担しています。

 この童謡を最初に歌ったのは川田正子さん。この人の歌を聴いてぼくは育ったといっても間違ってはいません。それほど、戦後の島社会の人口に膾炙した人(童謡歌手)でした。もう十五年も前、例によって「ラジオ深夜便」を聴くともなく寝るともなく、うとうとしていた時に、突然「川田正子さんが先ほど亡くなられた」という声が耳に入りました。驚いたなどというものではありませんでした。仕事から帰宅し、お風呂に入っているときに倒れられたということでした。

 川田正子さん(童謡歌手)が虚血性心不全のため死去
  「みかんの花咲く丘」など戦前戦後を通じ、長く童謡歌手として活躍した川田正子さん(かわだ・まさこ、本名・渡辺正子=わたなべ・まさこ)が06年1月22日午後8時31分、虚血性心不全のため都内の病院で亡くなったことが23日、分かった。72歳。東京都出身。親族の意向で、通夜・葬儀は密葬で行い、音楽葬を2月5日午後1時から東京都港区芝公園4の7の35、増上寺光摂殿で。
  川田さんは42年に少女歌手となって翌年に「兵隊さんの汽車」を歌い、関東児童唱歌研究会児童コンクールで優勝。46年に戦後初めて「赤ちゃんのお耳」をレコーディング。翌年にはNHK連続ラジオ放送「鐘の鳴る丘」の主題歌「とんがり帽子」が大ヒットした。他の代表作に「里の秋」「あの子はだあれ」など。今年は歌手生活65周年の記念イヤーだった。(日刊スポーツ・06/01/23) 

 床から出てお線香をあげたことを思い出しました。後年、主宰されていた「音羽ゆりかご会」にも顔を出したこともあります。都内文京区大塚の護国寺(真言宗豊山派)にありましたから、時々散歩がてらに覗いた程度でしたが。戦後も川田さんは歌手として活動されていました。でも、ぼくには少女になるまでの彼女の「喉が詰まった」ような歌声が強烈に印象付けられていました。すべては、師の海沼実さんの(間違った)指導でした。海沼さんと川田さんの母親は後年結婚したこともあり、なにかと家族間で問題があったように聞いたこともあります。(その因縁についても以前、触れた気がします)

「里の秋」に戻ります。

 終戦から4ヶ月経った年の暮れ、NHKでは海外から復員してくる将兵のための特別番組「外地引揚同胞激励の午后」を企画していました。放送は十二月二十四日の午後一時四十五分から。この番組のために海沼先生が作曲したのが「里の秋」です。/「復員する兵隊さんたちが、船で浦賀港(神奈川・横須賀)に帰ってくる。その人たちを迎えるために、ラジオで歌うんだよ。/ と海沼先生が教えてくれました。練習はいつもと同じ口移しでした。先生が私の音域に合わせて作ってくれた曲だったので、とても歌いやすかったのを覚えています。(川田正子『童謡はこころのふるさと』東京新聞出版局、2001年)  

 この曲の作詞は斎藤信夫さん。実はこの詞は戦前というより、太平洋戦争が始まったその日に手が付けられたのです。斎藤さんは「開戦」の報道に大興奮して、興国の一戦に欣喜したといいます。さらに日を次いで作り続けた結果、その年の末に完成しました。曲名は「星月夜」だった。いまは三番、四番が書き換えられました(番組に間に合わせて作られた際に改作)。その元の歌詞は以下のようでありました。「戦意高揚」といものでしょうか。子ども版「露営の歌」だったかもしれません。なお、斎藤さんは当時は船橋市の小学校教員でした。戦後が自らの戦争責任を感じた故に、教職からから退かれた。戦前から斎藤さんは海沼さんと誼を通じておられました。(蛇足 「露営の歌」は古関裕而氏の作曲でした。それを聞くとやはり想像というか、空想がたくましくなり、やがてそれは、「栄冠は君に輝く」に重なり、「鐘の鳴る丘」、「オリンピックマーチ」につながってしまうのです)

 きれいなきれいな椰子の島
 しっかり護って下さいと
 ああ父さんのご武運を
 今夜も一人で祈ります
  
 大きく大きくなったなら
 兵隊さんだようれしいな
 ねえ母さんよ僕だって
 必ずお国を護ります 

 どんなものにも「歴史」はあります。「火」の歴史について、ずいぶん考えたこともありました。その歴史を知っていると知らないとで、何ほどの違いがあるものかと言われるでしょう。その通りですが、性癖の仕業で、「どうして今ある状態になったのか」と、ぼくは知りたくなるのですね。「向学・向上心」などという洒落たものとは無関係です。それも誰かに教えられるのは好まない、とにかく自分で調べる(自分の脚で歩く、自分の頭で考える)ことにしています。単なる情報の域を出ないし、今の時代、ネットで調べられないものはないのですから、以前とは比べ物にならないほど、知りたいというぼくの欲求も生半可なものになってしまいました。しかし、それでも「こんなふうになって、ここまで来たんだ」と知って納得することがあるのです。ものの来た道筋を歩く、それこそが学問です。

 「里の秋」の前世は「星月夜」だったと知って、ぼくは異様な感覚に襲われました。小学校唱歌の歴史には「国体明徴」というのは大げさですが、国民総動員の一環として「小国民」養成の大きな役割を担わされてきたのです。ほとんどがこの歌のように「書き換え」です。「改竄」とは言わないでしょうが、ずいぶんたくさん「国策」にかなった歌詞やメロディに変えられました。敗戦後には元に戻されたけれども。(別の詞になったものもあります)(だから、ぼくは唱歌を歌うと、元の歌詞が透けて見えてくるので奇妙な気分に襲われたりします)

 この「里の秋」にはさまざまな記憶が伴奏・伴走しています。もっとも古いのは母親の母(祖母)が田舎で亡くなった時のものです。ぼくは五歳になっていたかどうか。季節はいつだったか忘れましたが、「お背戸に木の実の 落ちる夜」にお通夜をしていた気がします。つまり、今自分のことでした。その記憶はいつまでも鮮明に残っています。遺体の上に大きな包丁が据えられていました。呪(まじな)いだったかもしれない。次の日には火葬場まで棺を担いで葬列を組んでいった。かなり長い距離でした。小高い山の中ほどに火葬場があったし、その場所から「七尾湾」がみえたのも忘れていません。「骨上げ」したことも覚えています。(今は、時節柄、「オンライン葬儀」ですって。時代ですね)(左は斎藤信夫さん)

 という具合に、ぼくの「里の秋」はだんだんと深まるばかりです。栗の実でも似ますか、老奥さんとただふたり、で。

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 偽りにても誠らしく語るは…

 フィロソフィア(知を愛する=哲学)という言葉を定着させたソクラテスは、自らをアテナイという馬にまとわりつくアブにたとえた。それは彼が国教を否定し、青少年を堕落させると告発された裁判でのことだ▲アブが馬を刺し眠らせぬように、彼はアテナイの覚醒のために人々に問答を挑み、説得し、非難し続けるのだと弁明した。それが「賢者」らの無知を問答を通して暴き、自分は自分の無知を知る者だと宣明した哲学者の祖国愛だった▲だがアテナイ市民はうるさいアブをはたくようにソクラテスに死刑を判決し、彼は法に従い毒杯をあおる。「アテナイのアブ」は常識に安住する者への真理の探究者による批判や挑発のたとえとなるが、それを好まぬ者は今日もいる▲驚いたのは「多様性が大事なのを念頭に判断した」との菅義偉(すが・よしひで)首相の説明だった。日本学術会議が推薦した会員候補6人を任命しなかったことへの国会答弁である。出身や大学の偏りを指摘し、組織の見直しへ論議を導きたいらしい▲この問題の首相の説明はいつも面妖(めんよう)である。まず「総合的・俯瞰(ふかん)的」なる定型句、次は6人の除外前の候補者名簿を「見ていない」との弁明、そして「多様性」だ。いつ何を基準に6人を任命不適と判断したのか、ますます謎である▲さて今後の国会でも野党というアブに、つじつまの合わぬところを刺されよう。ソクラテスの末裔(まつえい)を自負する真理と知の探究者たちも、そう簡単にはこの人事をめぐる問答から首相を解放してくれまい。(毎日新聞2020年10月30日 東京朝刊)

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 「面妖」という単語が出てきました。ぼくには面白い言葉で、自分ではめったに使いませんが、文中に出てくると、ああやっぱりという気分になります。「名誉(めいよう)」の音変化と言われます。あるいは「めんよ」ともいう。一般的には「不思議なこと。あやしいこと。また、そのさま。」(デジタル大辞泉)また、副詞的に「〘副〙 どういうわけか。奇妙に。不思議に。」と使うらしい。「名誉」も、元来は、良いことにも悪いことにも両義アリです。このコラム氏はどういうつもりで使われたのか。ぼくはNPMには関心がないが、「嘘も方便」という生き方には寒心するのです。いや、寒心に堪えない。

 この問題を聞かれた最初の段階で、「私は(百五人の推薦)名簿を見ていない」と言った。「下から上がって来たもの(九十九人)を任命した」と。その直後に、官房長官は(推薦名簿は添付資料にあったので)よく見ていなかったという意味」で総理は言われたと釈明、追従。実に面妖。さらに糺されると、「総合的・俯瞰的」と(本にも)意味不明な言辞を(官僚の口移しのまま)壊れた蓄音機のごとくリピート。なんと面妖な。さらに突っ込まれると、「会員に偏り」がある、多様性の観点から「私が任命した」と本心をさらしかける。依然として意味不明ですが。さらに追及されると、内閣府(の側用人)と「考え方を共有して選んだ」と自分だけの責任ではないといい逃れる。面妖が逃げ出しようです。嘘が背広を着ているようだ。前任の「嘘つきぶり」を直近で見据えていたんだ。

 「嘘が嘘を生み、やがてそれは誠になる」ということはあり得ない。ずいぶん昔「偽りにても誠らしく語るは偽りがましからず、又た誠にもあれ、世に希なる事を語れば、偽りがましく聞ゆるものなり」という家康の「箴言」(「家康教訓録」)なるものを読んだことがあります。詳細は忘れましたが、「誠らしく語る嘘は偽りのようには聞こえない」「本当であっても、珍しいことを話せば嘘のように聞こえる」と言ったとされる。これも「面妖」ですね。「狸」か。要約すれば、「誠(真)らしき嘘はつくとも、嘘らしき誠(真)を語るべからず」となるでしょう。この「嘘つきPM」の場合はどうでしょう。彼は「嘘でも本当らしく語れば嘘ではなくなる」という家康の教訓にかなっているかどうか。本当らしくみせかけようとするのでしょうが、はなから「嘘がばれている」のだから、「家康の教訓」には該当しません。「こっちが本当なんだ」と次々に「嘘らしき誠」をいくつも繰り出すのですから、際限のない「嘘の連鎖」が続くばかり。「嘘鎖」「巨詐」のようです。誠らしい嘘は誠、嘘らしい誠は嘘となるなら、万事休す、なのですが、彼を射止めるだけの「弾」が国会にはないのが惜しいというか、寒心に堪えないのです。

 ぼくはプラトンを読みたくて、一時期ギリシア語を学んだことがあります。もちろん、怠け者でしたからものにはならなかった。でもよく「プラントン」は読みました。たいていは田中美智太郎さんの訳でした。この「ソクラテスの弁明」は何度読んだか。ほとんど暗記しました。なかでも、アテナイの「法廷」の場面は圧巻です。当時は陪審員裁判でしたが、ソクラテスは陪審員を手玉に取るように、挑発するようにおのれの哲学を存分に語ります。「誠(真)らしき嘘はつくとも、嘘らしき誠(真)を語るべからず」ということだったか。陪審員には「嘘」に聞こえても、彼自身は「弁明=真実」だと言い切るのです。誠らしい嘘は、ソクラテスにとっては「本当=真実」だということになる。かれには「デーモン」がついていました。「閣下」ではありませんぞ。

 そもそも会員任命問題なんかに現総理が関心や興味を持っているとは思われない。下司(下衆・下種)の勘繰りですが、これは逃げ出した前総理の「遺言」(というのも変、まだ存命中ですから)みたいなもの、「俺の政治に反対した、この連中をぜひ切ってくれ」と懇願されたはず。だから「ときには理由を述べられないこともある」と半分だけ白状していたではありませんか。ものには道理があり、結果には理由(原因)があるのですよ。白々しいとはこの男、まことに面妖至極です。

 ぼくは、自身が下種(ゲス)であることを隠さない、開き直りもしないが、自分は下等な人間であると自覚しているのです。だから「下種の勘繰り」なんです。前総理は「劣等感の塊」だった。これはいろいろな方面の証言でぼくは納得している。こういう人間がどれだけの「恨みごころ」や「猜疑心」の持ち主だったか、わかるつもりです。必ず仕返ししてやるとばかりに「総理の椅子」にのぼりつめたのをさいわいに、次々と「世間に意趣返し」をした。そのために高い椅子に座る必要があった。思いもかけない失策で「ポスト」を投げ出したが、意趣の恨みは忘れていなかった。淡々と標的(任命排除の六人組)を狙っていたから、準備は怠りなかったが、思いがけない計算違いが生じた。だから、恥を忍んで現総理に後事を託したという顛末です。いわば、連携した「意趣返し」です。

 本当は前任者は総理の椅子を譲りたくなかったと思われます。「敵前逃亡」してみたものの、逃げるまでもなかったと今は臍をかんでいるに違いない。あわよくば、再々復活を狙っていると噂されています。現総理にも「劣等感」はあるでしょうが、遺恨を晴らすだけの理由というか、背景がない。二人の出身の違いからも理解できます。(それでも執念深いことは確か)どうしてか、「ときには理由を話せないこともある」ので。いずれにしても、意趣晴らしで政治をほしいままにされてはたまらないとしか、ぼくには言う気もない。適材適所という語はいろいろな場面で使われてきましたが、その意は、「適材は適所に」使うべし、使われるべしということです。使う方にも使われる方にも、「適」とい事柄の的を射た理解がなければそれぞれが不幸になり、その災いの及ぶ範囲はかぎりがなくなります。

 この(前・現)ライアー・コンビがどれだけ不誠実で不穏当な「権力行使」をしていたか。やがて明らかになるとぼくは考えています。「瓢箪から駒が出る」ことになるのか、「嘘から出た誠」となるのか、もはや黒白は明らかですが、この島には国会も検察も裁判も、すべて権力に直結していて、おのれの意のままにならず、本来の機能は端から不全なんですね。でも、悪運が尽きるということは起こるものです。「嘘つきは泥棒の始まり」だって。

 「女は平気でウソをつく」といった女性議員がいました。嘘つき競争を国会でやられてはたまらない。

●エピメニデス‐の‐パラドックス の解説 古代ギリシャ七賢人の一人、エピメニデスにまつわる論理的逆説クレタ島出身のエピメニデスが「クレタ人はみな嘘つきだ」と述べたという命題の真偽を問う際、クレタ人であるエピメニデスが真実を述べているとすると、クレタ人はみな嘘つきになり、嘘を述べていたとすると、クレタ人はみな正直になり、発話の主体であるエピメニデスが正直ものか嘘つきかであることと矛盾する、という説。自己言及のパラドックスまたは嘘つきのパラドックスとして広く知られる。クレタ人のパラドックス。(デジタル大辞泉)(It’s a sin to tell a lie.左上写真のジャケット)

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うそ寒き暗夜美人に逢着す 子規

うそ寒や親といふ字を知つてから 一茶

 この両句の「うそ」は「うす(薄)」だとされますから、寒いと思ったら暑かったとはなりません。ちょっとばかり寒いなあ、冷えるねえ、という塩梅(案配・按排・按配)ですかね。薄い嘘なら、許せますか。

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 疲れているが、今は慢心する時ではない

 (スペイン、全土の緊急事態宣言を来年5月まで延長 2020年10月30日(金)05時07分)(マドリードで28日撮影)(2020年 ロイター/JUAN MEDINA)

[マドリード 29日 ロイター] – スペイン議会は29日、新型コロナウイルス感染拡大に歯止めがかからない中、25日に全土対し発令した期間2週間の緊急事態を来年5月9日まで延長した。/ イラ保健相は議会で「何カ月にもわたり犠牲を強いられ、疲れが出ていることは認識している。ただ、今は慢心する時ではない。この先、状況は極めて厳しくなる」と述べた。/ 国内の新規コロナ感染者はこの日、2万3580人と最多を更新。累計では116万0083人となった。ただサンチェス首相は、統計漏れを考慮すると累計感染者は300万人を上回るとしている。コロナ感染症による死者は173人増の3万5466人。/ こうした中、スペイン中銀は、企業や家計がコロナ危機を乗り切るためには、欧州当局が一段と大胆な経済・政治的な対策を講じる必要があると述べ、銀行セクターの安定リスクに警鐘を鳴らした。(ロイター)(https://www.newsweekjapan.jp/headlines/world/2020/10/298717.php)

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 欧州では感染が急増中です。現在は「第二波」と言われていますが、この波は第一波よりも大きく、感染者数は急増する傾向にあるようです。フランスもドイツもイギリスもイタリアも、いずれの国々も年初以来の「波状攻撃・襲来」に打つ手を失っているように思えますし、それが原因で庶民の日常生活は壊滅的な打撃を受けているのです。政治や行政が手をこまねいているというのではないのでしょうが、コロナに対する認識は十分ではないといわなければなりません。政治や行政の潜在能力が想像した以上に劣化、あるいは退化していることも事態を悪化させている原因でしょう。「なんだ、こんなこともできなかったのか」これはどこの国や地域においても違いはなく、コロナ禍に取り囲まれて、人民はは言い知れない不安を抱かされているのも否定できないようです。「先進国」も「後進国」もコロナは選びません。いったい、「先」とか「後」とかは、何を指して言うのでしょうか。

 気候や生活習慣、あるいは都市衛生の整備状況など、さまざまな要因が重なって感染力に地域差が出ているのは当然ですが、国や地域の境界を閉ざし、移動を禁止する。人混みの中に入らない、外出は緊急の場合以外は禁止など、まず通常の生活ができない状況が来年の五月まで続くと、スペインで「宣言」されたのです。まさに「戒厳令」に当たります。地球が異常に狭くなった時代、スペインは他国と離れているようでも、じつは同じ域内だというべきでしょう。人間の移動はウィルスの移動でもあります。

 世界の「空港の二百」ほどが今の事態が継続するなら「倒産」するとの予測も関係筋から出ています。この島の大きな空港会社二社が大変な打撃を受けている。人ではなく、モノを載せて飛んでいる状態です。多分、会社にとってはヒトでもモノでも、要するに「貨物」だったことになります。でも、ことは飛行機だけではない、ありとあらゆる職種・業種に悪い影響、深刻な打撃が波及しています。その間隙を縫って、日常世界の犯罪も休息をしていない。テロを含む凶悪な事件は昼夜を問わず、場所を選ばず多発しています。パンデミックは、人民の生活危機そのものです。肝心な時に、頼みの政治は役に立たないという無聊(tedium)、やるせなさ。

 国益や私益、それが当面の最重要課題であり、永遠の目的でもあるという「独尊主義」「私益主義」( egocentric)はコロナ禍に便乗して、裏でも表でも暗躍・躍動しているのも事実です。あまり嫌味なことは言わないつもりですが、この島政府の「政策・対策という名の愚策」のオンパレードがそれを実証しています。「税金で感染者数を増やしている」という破天荒の愚昧ぶりです、それが政治か?

 狭い劣島を往来するために税金を「湯水のごとく」濫費し、あたら各地に感染者を増やしているのです。当局者たちは毎日のように「検査」に怠りないのはいずれの国や地域でも同じですが、備えれば大丈夫と耳打ちされた庶民は(一網打尽)コロナに襲われているのです。いまだに検査数が足りない・増やすなどと寝言を言いながら、バカのかぎりをつくしているは当局者です。命は大切だと思う、だから自分で守るんだ。

(老若男女の区別なく、高いところに上りたがります。「天望デッキ」だそう。いったい、何を見たいんですか。「上から目線」を経験したいんですかね)(毎日新聞・2020年10月3日)

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 曇天の朝、今にも泣きだしそうな空から、大粒の涙雨が落ちてきました。(風邪をひくな、コロナに近づくな)(7:00AM)

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 備えあっても憂いあり

  ベトナム中部に台風18号上陸 2人死亡、26人行方不明  2020年10月28日 21:55 発信地:クアンガイ/ベトナム [ ベトナム アジア・オセアニア ]
  
 【10月28日 AFP】(更新、写真追加)ベトナム中部に28日、台風18号(アジア名:モラヴェ、Molave)が上陸し、報道によると2人が死亡、26人が行方不明になった。木々が倒れ、住宅の屋根は吹き飛ばされ、ここ数年で最悪規模の被害となっている。/ 台風18号は、中部の沿岸都市ダナン(Danang)南部に最大風速約40メートルで上陸。当局は約37万5000人を安全な場所に避難させた。/ 国営メディアによれば、クアンガイ(Quang Ngai)省で少なくとも2人が、台風から自宅を守ろうとして死亡したという。/ 漁業関係者26人が行方不明になっており、捜索活動が行われている。台風で高さ6メートルの波が発生し、中部各地で停電があった。
  
  ベトナム赤十字社(Vietnam Red Cross)のグエン・ティ・スアン・トゥ (Nguyen Thi Xuan Thu) 氏は、同国で今月4度目となる台風18号の被害について、「多くの地域において過去最悪規模」だと述べた。/ 上陸に先立って学校やビーチは閉鎖され、多くの航空便が欠航となった。/ ベトナム中部は10月上旬以降、洪水と土砂災害に見舞われており、130人が死亡したとされている。また、国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)によると、洪水によって17万8000戸が浸水被害を受けた。(c)AFP 

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 ほぼ毎日のように気象情報を確認します。多くは千葉県内の「Weathernews社」に依存しています。この会社は、終日情報発信中です。ぼくの「習性」のようなもので、幼いころの「伊勢湾台風」に遭遇して以来のものです。台風シーズンには、毎日太平洋上の雲の動きと海水温の状態を確認していたのですが、今月の半ばからほとんどの台風がヴェトナムを直撃しています。十五日ころ、この島の「新首相」がヴェトナムを訪問したというニュースは流されていました。鯉だか何だかに餌を与えている写真は見られましたが、肝心の「台風被害」に関して、ぼくの知る範囲では、報道は皆無でした。(彼の国に「見舞金」が贈られたという。「ABEのマスク」の二十分の一の金額だそうでした)

 ご当地の方々へ くれぐれもこの後も無事で過ごされますように、切に祈るばかりです。

 驚異的な雨量による浸水や土砂崩れによる被害は甚大で相当数の死者や負傷者が出たという記事も、ようやく探し当てて確認したところです。米国の新聞(ネット)はよく報道していたと思います。やがて十一月、ようやく今年は台風の直撃を免れたと安堵したのは事実ですが、アジアの国々に被害が及んでいるのを知って、まるで自分が被害に遭った気がします。この劣島は秋色濃厚で、各地で紅葉や黄葉が見ごろを迎えています。ぼくには不愉快な「Go To キャンペーン」が強引に展開されて、各地で「コロナの集団感染」「クラスター」なるものが指摘されています。コロナが勝つか、金塗れの自分本位政治が勝つか。実に愚かしい限りです。

 コロナにも自然災害にも、くれぐれも襲われないように備えたいし、襲われても最悪の被害を避けたいとひたすら祈るばかりです。ぼくには「備えあれば憂いなし」という安心立命はありません。「備えあっても憂いあり」という心境で生きているのです。ぼくはコロナ感染者の少なさにおいてヴェトナムと並びうる国はないという見方を(年の初めころは)していました。比肩しうるのは、かろうじて台湾ぐらいのものでした。感染者の少なさを勝ち誇ったかのように「日本モデル」などと舞い上がったPMもいましたが、ほとんど政治家は何もしていなかったこの島社会です。(10月29日午前十一時現在、ヴェトナムの感染者数は1173名。台湾は517名。日本は98877名)(Johns Hopkins Universityのデータによる)

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 きめたきめた おまえとみちづれに

 京都の紅葉名所、永観堂でモミジ色づく 来月7日からライトアップ

 京都市内で木々の紅葉が始まった。左京区の永観堂(禅林寺)ではモミジがちらほらと赤くなっている。見頃には人出が予想されるため、新型コロナウイルス感染予防の対策をする。/ 境内にある約3千本の大半はまだ青い葉だが、放生池周辺には園芸種も含めて色づいたモミジが見られる。参拝者は景色を眺めたり、写真を撮ったりして秋を楽しんでいた。/ 11月7日からは例年通り寺宝展とライトアップが始まる。すでに実施しているマスク着用や手指のアルコール消毒の呼び掛けに加え、新たに検温所を設ける。屋外の拝観順路を一方通行にして人と人の接触を減らすほか、19日からは人が集まりやすい多宝塔を立ち入り禁止にする。
 永観堂は「三密にならないように気を付け、紅葉を見て心の安らぎを感じてほしい」としている。(2020/10/28 ©株式会社京都新聞社)

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 「なんでもランキング」の時代はいたるところで暴威を極めています。この「寺」が世間そのものであることは「マスク着用・消毒・避三蜜」が励行されていることからもわかります。そこがまた京都らしいとも言えます。何時でも、お寺さんは世間とともに、世間であることを誇りにしてきましたから。「千年の都」ですかね。

 この永観(えいかん)堂の紅葉が昨年度の見どころ、全国第一位だったそうです。「根拠」は何だったんですかね。「みな人を渡さんと思う心こそ 極楽にゆくしるべなりけり」と詠んだのは永観(ようかん)律師(1033-1111)。その名にちなんで寺号とされた。古いお寺で、幾多の変遷を経て今日に至っています。紅葉が知られるようになったのはいつのころからか。めったに行かないお寺です。理由は簡単、いつでも大勢の見物衆が屯しているからです。

 このお寺の「売り」はライトアップでしょうが、無粋なことおびただしいというべきで、ぼくはこれが嫌いです。木々や鳥たちにも大迷惑なこと。高いビルや塔を建てては「ライトアップ」だと。もったいない、無駄というより、余計なことをと言いたくなります。高さ制限や南・北斜線など、建築基準法は何かとうるさいのに、この「明るさ(照度)制限」は野放しなんですか。鬱陶しい限りです。前回のこのページで「山暮れて紅葉の朱を奪ひけり」(蕪村)と引用したのも、この情緒や風情を台無しにしてしまうことを、ぼくは忌み嫌っているからでもあります。黄昏も夜陰も、すっかり失われてしまいました。不自然が自然を凌駕する、それが「文明」という名の破壊行為なんですね。(左上の明光煌々。「電光」に誘われる衆生あり、誘蛾灯)

 紅葉はどこのものでもいいのですが、京都の寺は掃除や手入れが行き届いているので、気持ちよくみられる。でも、あまり手が込んでいると興醒めします。この近くに「詩仙堂」があり、ぼくはここにもよく行きました。佇まいが静謐な感じが印象的です。先年遊んだ時、この寺の前に「石川」と表札がかかっている家をみて(それ以前からあったのでしょうが、気づかなかった)、もしやと庭に居られた家人に伺ったところ「石川丈山(じょうざん)」の家系だということでした。ただそれだけのこと。ここは雨の日が殊にいいですね。ちょっと「作られすぎ」は、京都の行き過ぎ文化のよろしくないところでもあります。

●漢詩人の石川丈山(1583年~1672年)が晩年を過ごした詩仙堂は、自然に囲まれた静かな場所であり、四季折々の風景を楽しむことができます。/ 春にはサツキや青もみじ、夏にはハナショウブやキョウガノコ、秋にはススキやシュウメイギク、冬には静寂の雪景色など、様々な風景をご覧いただけます。/ また、庭園全体に広がる秋の紅葉はより格別です。静寂の庭園に響く、丈山考案の鹿おどし(僧都)も、日本ならではの風情を演出してくれます。(http://www.kyoto-shisendo.com/)

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 昔から人混みは大嫌いでしたから、混雑しそうな場所にはまず行かないことにしていました。おそらく「人見知り」がひどいんですね。今もそうです。千葉の辺鄙な山中に住んでいて、ゆっくりと歩ける範囲に紅葉もあれば、新緑もあると自慢するのではありません。猪や雉やその他の動物たちと「共生(共棲)」しているという風情です。自然の中に入り込んでというわけにもいきませんが、都会よりはよほど気持ちが和みます。それぞれの好みがありますから、これが一番という主張はしません。標高百メートルほどの丘の上にへばりついていますので、すべてが中途半端で、それがまたいいんだね、と強がりみたいな物言いをしています。家の周囲三・五キロ以内には店屋はありません。

 今日は秋晴れ、ゆっくりと山歩き、あぜ道遊歩です。二日前の二十七日(火曜)に、かみさんは無事に「出所」しました。まだまだこれからの養生が思いやられますが、さっそく牧村三枝子さんですよ、「みちづれ」あるいは「夫婦きどり」か。

 何言うてますか、と呆れられたような声が聞こえてきそうです。この道は初めて来た道、二人して、やがて四十八年目の春を迎えます。まあ、仲がいいのか悪いのか、当人たちにも判然としない、まるで「夫婦きどり」ですな。

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