「分ける」から「育てる」に逆流

 「いつだったか新聞の家庭欄に載った、とても興味ある投書を読んだことがあります。/ 結婚している女性の投書でしたが、夫はたいへん本が好きである。何かというと、すぐに本を買ってくる。ただ、全然読まない。積んでおくだけなので、家中いまや本だらけだ。夫の買い求めてきた本を、女性は読んだことがない。自分はたくさん本を読むと思うが、読むときは図書館から借りてきて読む。つまり、こういうことです。夫は本を買うが、読まない。自分は本を買わないが、読む。」(長田弘「失いたくない言葉」『読書からはじまる』所収。NHK出版刊、2001)

  「本を読む」と「本を好む」とはちがうというのでしょう。夫は読みもしない本をせっせと買ってくる。妻は買わないけど、図書館から借りてせっせと読む。もっとわかりやすくいえば「本を買う」と「本を読む」とはちがうことなんだという話。本に対するふたりの姿勢のもっともちがうところはどこにあるのでしょう。「活字離れ」や「読書ぎらいの若者」の増大を嘆いてみてもしかたがないわけです。ぼくにも身に覚えがあります。高校卒業まではまともに本を読まなかった。国語の授業のコマ切れ感が身についてしまっていたから、本は五十分読んだら閉じるというけったいな習慣が出来上がっていたのだ。

 目的意識もなく大学に入ったが、本だけは読もうと決めていた。ぼくには「本の世界」は未知の領域だった。文京区本郷に住み、毎晩のように本屋(古本屋も多かった)に通い詰めました。気が付いたら、相当な借金をしていた。これと同じことがレコードに関しても起こっていた。地下鉄の本郷三丁目駅前のレコード屋で毎月のように新しいレコードを買った。ここでも借金がたまりました。何年分かの授業料に匹敵する大きな金額だった。なに、払えなければ、売ればいいやという気分でいた。おかげで、ぼくは自分流の本読み・レコード聴きになっていました。どこかで書いたような気がしますが、この当時、平櫛田中という彫刻(木彫)家は九十歳をはるかに超えていましたが、自宅の裏庭に三十年分の木材を寝かせていたという話を聞いたか読んだかして、たいそう興奮したことを覚えています(右写真)。いまだに、二十年分くらいの未読の本を積んでいます。いや、寝かせてあります。先憂(借金の支払い)後楽(読書の楽しみ)ですね。

 元に戻ります。「読む」と「買う」といいましたが、今日もっぱら勢いのあるのが「買う」という行為。まさに何でも買う。それは所有するということです。一時的であれ永続的であれ、買って所有する、所有するために買うのです。「買う」も行為なら「読む」も行為ですけど、このふたつの行為はあきらかにことなっています。どのようにことなっているか。わかりやすい例になるかどうか、一例をあげてみます。

 ここにトマトを求めるひとがいます。Aさんはスーパーかコンビニかでトマトを買う。それに対して、Bさんはじぶんの家でトマトの苗木を植えて、それからトマトを収穫したいと望んでいる。本をめぐるふたつの行為のちがいは、いうならばこんなところにあるのではないでしょうか。

 十人が同じ本を買う、十人が同じ本を読む。ここまでくれば、「買う」と「読む」のちがいは明らかになりませんか。買うなら、どこで買おうがたいしたちがいはない。それ(本という情報)を所有するのが動機なんだから、十人の行為に差はない、いっしょです。ところが、その本を読むとなると、それぞれの読み方がありますから、いっしょということにはならない。Bさんの読み方とCさんの読解とはちがう。

 長田さんは、先の夫婦の本に対する嗜好のちがいを「生産・製造」と「物流・流通」のちがいに例えています。

 「今日の暮らしをささえている仕組みというのは、大雑把に言えば、モノを生産し、製造する。そして生産され、製造されたモノが物流し、流通していって、日々の土台というべきものをつくっている。その伝で言うと、読書というのは生産・製造に似ています。そして、情報というのは物流・流通に似ています。(中略)/ 簡単に言ってしまえば、読書というのは「育てる」文化なのです。対して、情報というのは本質的に「分ける」文化です。(同上)

 たとえば、コンビニエンス・ストア。それが担っているのは、人びとの日常のかたちをなす「分ける」文化です。コンビニにあるのは、八百屋にあるもの、魚屋にあるものとは違う、すべてできあがったもの、つくられたものです。コンビニに代表されるのは、できあがったもの、つくられたものを分けていく文化のかたちです。コンビニエンスは、もともと便利、便益、便宜という意味の言葉ですが、そうした便利、便益、便宜であるコンビニエンスを、どのようして、どれだけもたらすことができるかということこそ「分ける」文化の眼目です。(長田弘)

 コンビニが感染病さながらに、この小さな島に蔓延してきました。およそ半世紀前に拡張期が始まります。おそらく列島全域には約6万件に届こうかという店舗が林立しています(2018年現在)。長田さんが指摘されるように、そのコンビニにあるのは「すべてできあがったもの、つくられたもの」ばかりです。つまり、材料や原料を買ってきて自分で作る(料理・調理する)のではなく、買ったままで食べられる「中食」文化(?)が猖獗を究めているというのでしょう。自分で食事を作れない、作らない人が満ちあふれている時代、それが「分ける」文化大流行時代の実相です。

 ここまで来ると、どなたもお気づきになるでしょう。

 日本の学校は「教育界のコンビニ」であったというのです。「分ける」文化の魁(さきがけ)であったかも知れません。どんな問題でも自分の頭で考え、自分の言葉で表現する必要性はまったくない。すべて出来合いの「符丁・符号」を教師から、金を払って買う。教師が販売する商品(符丁や符号)は全国一律、いやそこまではいかなくとも、似たようなモノです。セブンイレブン系もあれば、ローソン系もあるし、山崎系もサンクス系もあるというわけです。味や値段に若干のちがいがあっても、ようするに出来合いであるという点ではまったく同じです。面倒な作業はいっさいなし。金さえ出せば、商品は手に入る。それを所有すれば、当座の生活の間に合う、つまり、入試や普段のテストに役に立つかどうか、それが問題なんです。でもそれだけです。コンビニのコンビニたる所以は、保存が利かないということ。その点では食品でも「符丁や符号」(学校で与えられた・買った「情報・知識」)でも事情は同じです。

 社会が「育てる」文化を、もはや手間暇かけて育てられなくなっているのです。「二一世紀になった途端に、いままでずっと技術文明にささえられてきた社会が直面することになったのは、『分ける』文化の未来と可能性とは裏腹の、『育てる』文化の困難と衰退です」(同上)(右の写真は、ある私立校で「コンビニ」が併設された時のものです)

 「育てる」ではなくて「分ける」、これこそが学校の任務だった。でも本家筋のコンビニにも異端者が現れてきました。唯々諾々と命じられたままにはなりたくないという経営者(オーナー)が出現してきたのです。これからは、コンビニ本来の、という意味は、お客主体の、店舗経営がかならず実行されて行くでしょう。もちろん経営者主体でもなければなりません。二十四時間頑張れますか、という愚問がいまさらのように胸に刺さる方面が多いのではないでしょうか。

 ならば、分家筋の学校も「分ける」ではない、「育てる」方向にはっきりと舵を切る必要に迫られてきます(もうとっくの昔に求められていたんですが)。はたして、その道に、いまから行けますか。それとも「分ける」に留まっていますか。

 元来、食料も教養も「自給自足(self-sufficiency)」が相場でした。産業化社会が生み出されてきた結果、専門家とか技術者と言われる階層が求められ、それらが「分ける」社会を作り出したのです。その余波で、「育てる」は脇に追いやられた。だから、元に戻るだけの話です。自給自走で賄えない分、互いに交換すればいいじゃないですか、となる。リスタートです。すでに先を歩いている先行者の後ろ姿も見え隠れしています。ー かうして生きてはゐる木の芽や草の芽や(山頭火)

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 自分の弱さを自分に隠さない人に

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 自分は平均点(ふつう)より高いか低いかということに一喜一憂するのはあまり賢明なことではない。「ふつう」とか「平均点」というのは、なにかの実体(物事の姿や中味)を表してはいない。「ないもの」「架空のもの」を基準にして、なにどうすればいいのか。何を求めるのでしょうか。高齢化と言われて、さかんに平均寿命が話題にされますが、それと自分の年齢とはどんな関係にあるのか。平均を超えたからよし、平均以下だからダメといえるのですか。

 他人と比較して、自分は背が高いとか低いとかいう。そもそも高い低いは相対(比較)的なものだから、おなじ「百六十センチ」でも相手によって高くもなり低くもなる。あの人より背が高い、でもこの人より背が低いというように、具体的な相手との比較ならまだしも、コンプレックスの正体は「平均値」「ふつう」「人並み」という抽象(架空)的な観念である場合がほとんどだろう。試験の点数が平均(中心)値より右か左かで幸不幸が定まるという「教え」はどこから生まれたか。だれが流行らせたのか。学校はこの点でも大きな過ちを犯してきたのではなかったか。

 そればかりだとはいえないが、学校という場所は生徒を比較せずにはおかない組織・機構でもあるようだ。だれが上手でだれが下手か、どの生徒ができてどの生徒はだめか。英語がいちばんできるのはだれか。国語は…。成績の差を明らかにするのが目的となってしまったと思われるほどに序列化・分類を好む。(高校生の頃、英語の教師からだったと思いますが「このクラスで、一人で平均点を下げているやつがいる」と褒められたのか、貶されたのか。今に忘れない。「それがなんだよ!」(と、非難された時にも、ぼくは発しましたね)

  背比べはこの社会の伝統なのだろう。自分がどれくらい伸びたかというのは、過去の自分との比較においていわれるもの。だがほとんどの場合、ほんとうは比較できないものを比べるのです。だからというわけではないが、自己防衛するにかぎる。そのためにはたやすく数字。数値などに自分をあずけないように用心する必要があるだろう。数字の中に自分を閉じこめないことだ。他のだれもが自分とちがう、その意味は「自分は他のだれともちがう」ということでもある。たがいがちがうというところから出発しなければ、社会(集団)はゆとりを失い崩れてしまう。楽しくないよ。

 「人並み」になりたいとだれもが望むのは理解できるとしても、「人並みにならなければだめだ」と強制されれば、いったいどうなるか。ものの見方も考え方も人並みというのは滑稽な話で、あってはならない。だれかが正しいというから、自分も正しいとおもう、だれかが美しいというから、自分もそう見えるというのはいかにも危(あぶ)なっかしい。その「だれか」とは、いったいだれのことか。「だれか」に「右に倣え」というけったいな風潮は集団に沁みついている。それを利用すれば、統制しやすいということはあるでしょう。「人並み」「普通」というのは、誰かが作った一種の「仮の土俵」です。そこで相撲を釣らなければならないとは限りません。自分はそれとは異なる足場に立つということが大切じゃないですか。

 他人と比べて「劣る」点がない人間はいない。どのような表現を使うかはともかく、自己を偽るわけでも、虚勢をはるのでもなく、自分の弱さや欠点とされる部分を自分に隠さない。自分は他人を妬む「弱い人間」だという自覚をもてば、その分だけ強くなれるのだと、ぼくは貧しい経験から学んだ。人間の強さとはそういうものだといいたい。弱さを自覚するから強くなれそうなのであり、「弱さから強さに変わる」ということではなさそうです。弱さを隠したままの強さなどは存在しない。 金があるから、素晴らしい学歴だから、人は強くなれるのではありません。問題は、自分という「中味」なんですね。

 自らの「弱さ」を埋めるためになにかを得るのは悪いことではない。でも、それが弱さを克服するたったひとつの方法だとするなら、その道は際限がなくなるにちがいない。世の中でもっとも強いと自他ともに任じている人ほど弱いというのは、よくある例ではないか。大事なのは「弱さ」を自分に隠さないこと。自分の欠陥(欠点)をとらえることは、それだけで立派な「能力」なのだから。いうまでもないのですが、弱さをさらけ出したり、開き直ったりすることを勧めているのではありません。まして「嘘」を「嘘ではない」と言い張る輩は、どこまでも弱い人間なのです。

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 「白人至上主義」という毒を飲む

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NBC via Getty Images
レディー・ガガさん=2020年4月6日
アメリカのアーティスト、レディー・ガガさんがビルボードのインタビューに応じ、その中で「Black Lives Matter」運動に関連する自身の意見を話した。
ガガさんは、「この国に生まれた時、私たちは皆『白人至上主義』という毒を飲むのです」と表現し、「私は今、学び、そして、人生で“教えられてきたこと”を脱ぎ捨てる過程にいます」と、自身も価値観を更新しようとしていることを明かした。/「社会正義(Social justice)とは単にリテラシーではありません。それは“生き方”なのです」
「Black lives matter を支持しているか?」/ BLM運動については、下記のように話し、自身の考えを明白にした。
「Black lives matter」を支持しているか? はい、支持しています。
「BLM」はもっと広がると思っているか? そう信じています。
そうなる(BLM運動が広がる)べきだと思うか? そうなるべきです。(2020年09月18日)
(https://www.huffingtonpost.jp/entry/lady-gaga-black-lives-matter_jp_5f641191c5b6480e896c01a3?utm_hp_ref=jp-homepage)

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 彼女はとても重要なことを明確に言い切っています。「この国に生まれた時、私たちは皆『白人至上主義』という毒を飲むのです」と。それはどういうことか。白人はまず「人種差別」を生まれながらに持っているということであり、それに気づくことはまずないという意味でしょう。つまり、「みんながそうしているんだから」「自分も同じことをしているだけ」「同じ空気を吸っている」というのです。「それが差別である」と意識(自覚)されない世界に自分が生きているということになります。自分とは別個の視点がなければどうにもなりません。情けないけど、事情は少しも変わらないままで「差別」の仕方が露骨になってきています。「(黒人差別への)抗議デモ参加者は暴力集団、ファシスト」とならず者呼ばわりを、あろうことかプレジデントがしているし、それを熱狂して支持する多くの白人たちがいるのです。つい最近、「赤狩り」があったばかりの国です。どこまで「狩り」をつづけるのか。

 「飲むのは毒」ですから、吐き出したり、のどに違和感を覚えたりする人がいそうなものですが、「白人」はおおむね、その毒に対して抗体(免疫)があるから、痛痒を感じないのです。「私は今、学び、そして、人生で”教えられてきたこと”を脱ぎ捨てる過程にいます」という彼女の、この自覚というか、自意識はきわめて大事です。自分の中に差別感覚がある、差別意識を持っているという自覚が働かなければ、「人権を尊重しましょう」は、単に「信号を守りましょう」という、ルール順守に堕するのは避けられません。親や教師に言われたから「人権を守る」という問題にすり替えられてしまっている。もちろん、いわれないから「差別する」という理屈です。ここに「判断する力」が働いていません。彼女の意識がどこまで達しているかを、われわれは知るべきです。

 なぜ「白人至上主義」はダメなのか、許されないのか。ちょっとばかり考えても答えは出てきません。ちょっと考えるというのは、まったく考えないということと同じですから、アメリカ社会ではこの問題はつねに存在し続けるのでしょう。黒人が差別されるのは当然だろうよ、とまで言わないが、現状では「仕方がない」「差別される側に非がある」、そう考えている人間が多くいるということの証明です。

 ひるがえって、この島社会ではどうか。事情は同じです。差別や偏見で充満している、そのように感じていたから、無力を省みずに、ぼくは何十年もそのことを訴えても来ました。たいへんに誤解されそうな言い方ですが、「誰も差別しないようになったら、俺一人で差別するよ」と嘯いてもいました。そんな世の中にはなるはずがないということの確信から出た暴言でした。現状はどうですか。コロナ感染者への誹謗や中傷、ネット上での罵詈雑言、セクハラ、パワハラ、DV、虐待等々、裸足で逃げ出したくなるほどに、この狭い島では偏見や差別が蠢いています。Human Lives Matter と叫んで、あれっ、彼や彼女は人間じゃなかったのかと気付く。この頽廃の極北。

 ではどうするか。答えはないとは言い切りませんが、ぼくが絶望しているのは事実です。社会的・政治的には何らかの手段すらない。懸命におのれを磨いて、すこしでも他者に対して、他者であるがゆえに敬意を示す、あるいは尊敬心を以てまじわる、このようにささやかな行為を重ねるしかないように、ぼくには思えてきます。千里の道も一里から。いわば、進退窮まりながらの歩行です。あるいは難行道というのでしょうか。ガガさんの言うとおり、「人生で教えられてきたことを脱ぎ捨てる」ということです。とするなら、なんとも「学校教育は罪作り」ということになりませんか。

 余話です。日本の現行刑法に「人を殺してはいけない」という条項はありません。なぜですか。そんな狂気じみたことを人がするはずはないという人間高徳論からではありません。また条項を設けたところで殺人は必ず起こるのだから、そんな無駄なことはしないでおこうというのでしょうか。ぼくは法の専門家ではありませんからわかりませんが、書いてないからと実行に及んだら、死刑または無期、または懲役何年という可罰主義を取っています。要するに法理論の当然の建前なのでしょう。

 殺人行為は究極の「人権侵害」ですが、殺人事件がなくならないのと同様に「人権侵害」もなくなりはしないでしょう。だから、そうしてはいけないというのではなく、(ここに飛躍があります)すべからく人間として生きている以上は、そういう非(反)人間的な行為を犯さない、まともな感覚を持った人間でありたいという、人間尊重主義が個々人の深部にあるようにぼくは見ています。いまだ自覚されていないかもしれないが、あるとしたい。それは法律を越えた「人間の基礎付け」(Human Conditions)のようなものでではないでしょうか。法治論(主義)ではなく、道徳の問題です。「人生で教えられてきたことを脱ぎ捨てる」ちからは、その人に備わっているに違いないのです。

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 「枠からはみ出してはいけない」か

色塗りに没頭することでストレス解消になるという指摘もあるが PATRICK PLEULーPICTURE ALLIANCE/GETTY IMAGES
社会の「枠」をはみ出すな──塗り絵に潜む服従のメッセージ A Dark, Forgotten History 2020年09月16日(水)18時20分 エマニュエル・ルリ(News Week Japan)
 
<コロナ禍でブームの塗り絵の歴史をひもとくと自由な芸術表現とは正反対の不都合な真実が浮かび上がる>
 コロナ禍で巣ごもり生活が続くなか、私の心を癒やしてくれたのは塗り絵だった。ウサギの笑顔を輝かせ、人通りの消えたサンノゼの街並みをよみがえらせ、エッフェル塔のイルミネーションを光らせる──。塗り絵のおかげで人との交流や旅への希望を感じ、この壊れた世界を元通りの姿に戻せる気がしてくる。たとえそれが、紙の上の、その場限りの楽しみだとしても。
 私だけではでない。ニューヨーク・タイムズ紙は4月、塗り絵には不安を軽くする効果があると報じた(ぺンを「往復させる動作を繰り返すことで、日常のストレスを一時的に忘れられる」という解説を、私は何度も自分に言い聞かせた)。インスタグラムではおしゃれな人々が自粛生活の今は大人にも塗り絵が最高とアピールし、ネットには無料の下絵があふれている。
 社会の「枠」をはみ出すな
 きっかけは、塗り絵アプリの派手な広告が何日も表示されていたことだった。アプリをインストールして白黒の下絵を眺めるうちに、絵筆や消しゴム、絵の具のアイコンに手が伸びた。画面を指で拡大して色を塗り、枠からはみ出した部分を必死で消す作業に夢中になった。(以下略)(https://www.newsweekjapan.jp/stories/woman/2020/09/post-449.php)
19世紀の塗り絵には子供への教訓が詰め込まれていた GEORGE MARKS/GETTY IMAGES

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 不思議なことのようですが、ぼくには「塗り絵」に魅かれた痕跡も記憶もありません。まったく塗り絵をしなかったのかどうか、定かではありませんが、端から「トレース(trace)」することが嫌いだったことは確かです。今でもありますか、漢字の練習であらかじめ点線で書いてある上を「なぞり」ながら覚えるという帳面、見るだけでも気分が悪くなったほどでした。同じことになるのかどうか、「前にならえ!」「右向け右!」というのも死ぬほど嫌だった。号令をかけられること自体、胸糞が悪かったな、小学校入学以来です。協調性は皆無と自己判断していたし、他人からもそのように判断されていました。だが、模倣(imitation)はそれ(なぞる)とは違う、模倣にはいくらか自分流の余地が残されています。今でも悪い思い出として残っているのが「行列」や「行進」です。これも嫌でした。後年になって、もし軍隊というものがあり、入隊しなければならないとしたら、毎日のようにぼくは殴られていただろう。そんな夢を何度もみました。ある時(四十をとっくに過ぎていました)、電車の切符を買うので並んでいたら、後ろの怖いおっさんに「おまえ、ちゃんと並べ」と睨まれました。自分では並んでいたつもりでしたが、言われて気が付いた。ぼくだけが列から一歩脇にはみ出ていたので、おっさんは並びづらかったのです。

塗り絵帳の第1号といわれる『リトル・フォークス ペインティング・ブック』(☜)は、朝寝坊や身勝手な行動を戒める歌や物語の絵に色を付けるという内容だった。なかでも象徴的なのが巻末の物語だ。/ 退屈な田舎生活から逃れたいと願う兄妹が魔法のじゅうたんに出合って旅に出るが、二度と家に帰れないという悲惨な物語で、「不満を持つな。手に入らないものを欲しがるな」という警告が付いている。まさに「枠からはみ出してはいけない」という塗り絵の神髄を体現しているようだ。(中略)色を塗るとは、他人が設計した世界で暮らし、既存の仕組みを暗記する以外に選択肢のない環境で生きるということなのだ。でも私は、コロナ禍で押し付けられた狭い世界がどんな感覚かを、わざわざ思い知らされたくはない。(同記事)

 ここまで来て、ぼくは学校教育の最悪の習慣にいまさらのように気付いたのです。それはあらかじめ「支配者が構築した世界を受け入れ、さらにそれを喜んで守るために塗り絵の活用(を)」(ルリ・同上)させる習慣を子どもに強要することです。学校(教育)の敷地内では、ほとんどすべてが塗り絵(なぞるだけ)の世界です。そこには「独創」も「我流」も許さない、例外は一切認めないという教条主義の塊だけが幅を利かせているのです。子どもに認められる許容範囲は「トレース」のみ、これではいかにも窒息するに違いありません。「まるで空気を通さないマスク」を強いられているようではありませんか。ぼくは学校や教師に不信の念しか持たなかったことを隠してきませんでした。もし気を許していたら、軍隊のビンタどころか、即死だったろうと今でも考えているのです。

 「既存の世界を甘受するのではなく、今ある資源を守りながら新たな世界をつくり上げる。それこそ、真の意味での芸術表現なのだから。」(同上)人生(生きるということ・art of life)は紛れもなくかけがえのない、一回限りの自作自演の創造行為(creative activity)です。お手本はあっていいけれど、誰かの生き方をを、その通りになぞらない、そんなことはできるはずもないのですから。せいぜい、我流でもかまわない生き方をしたいものです。笛を吹いて命令通りにさせる(いうことを聞かせる)という根性が、根本でまちがっている。人を尊重しないという一点で。「一糸乱れず」というけれど、ひとりひとりは「個人」であって、束になるための「一糸」なんかではない。個人( individual)は分けられない(individe)んですね。

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 行々てたふれ伏すとも萩の原

 凡語:ハギの秋

 秋分の日も過ぎて、朝夕はめっきり涼しくなった。コオロギやスズムシの音が秋の深まりを感じさせる季節である▼長浜市の神照寺でハギが見ごろと聞き、4連休の最終日に訪ねた。境内には、足利尊氏が弟の直義と和解のために訪れた際に植えたとも伝わる約1500株、2千本。多くが紅白の花をつけ、かれんな姿を見せている▼秋の七草の筆頭に掲げられるハギは日本人に古くから愛されてきた花だ。万葉集では160種類以上の植物が歌われているが、その中で最も多く詠まれ、当時人気のあったウメをもしのぐ▼植物学者の湯浅浩史さんによると、詠み人の名が不明な歌の方が多く、上流階級より庶民に好まれたとみられるという。秋の花見の対象でもあったそうだから、よほど日本人の感性に合う植物なのだろう▼寺の人から気になる話を聞いた。近年は葉が小さく緑も薄くなりがちで、いまひとつ見栄えがよくないと。他のハギ名所でもしばしば同様の傾向があるらしく、夏の猛暑と雨が少ないためではないかという。万葉一といわれる花も、気候変動と無縁でいられないということか▼<萩の風止まりし蜂を飛ばしけり>阿部みどり女。台風12号は東寄りに進路を変え、きょう関東沖を進むとみられる。穏やかな秋であってほしいと願うばかりだ。(京都新聞:2020/9/24)

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白露もこぼさぬ萩のうねりかな 芭蕉「栞集」
一家に遊女もねたり萩と月 芭蕉「奥の細道」
行々てたふれ伏すとも萩の原 曽良「奥の細道」

  萩(ハギ)はとてもも好きな草花です。小さいころは、身の回りのどこにでも群生していたし、可憐な花が呼び掛けているような風情が心地よかった。これまでに住んだ家にもいつも植えていました。現在の拙宅にも何本か植えてあるが、「江戸小紋」とかいう洒落た名がついています。今夏の異様な暑さでほとんど草刈を怠っていたせいで、名も知らない草に埋もれている始末ですが、健気に、それでも息づいています。やがて白や赤の花をつけることでしょう。草刈正雄にならなければ。

 東京に住んでいたころは、面倒を厭わず、しばしば向島の百花園(都立)に通いました。折々の花々に出会うためということにしておきます。(時には黒髪の華もいましたよ)なかでもハギのトンネルが見事だったという記憶があります。何かの折に車でその前を通ることもありますが、すこしも情趣がわかなくなったのどうしてですかね。こちらの水分が蒸発しきって、すっかり心身共に干乾びたせいであるかもしれません。でも、車の洪水から一歩中に入ると別乾坤です。いまでも鈴虫を泣(鳴)かせているのか。虫籠に入れて、草むらに置かれていました。そればかりは、いかにも無粋でした。駅のスピーカーから流れる「鳥の声」のようで、心ない仕業だと苦々しく思ったことでした。向島はぼくの散歩道で、「墨東奇譚」の世界。

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● 本園は、江戸時代文化2年(1805)頃、佐原鞠塢(きくう)という粋人が、向島の寺島村で元旗本、多賀氏の屋敷跡約3000坪を購入し、当時鞠塢と親交の深かった一流の文人墨客の協力を得、梅を多く植えたことから、「新梅屋敷」として創設したのが始まりとされています。/ 往時は、江戸中に百花園の名が知れ渡り、多くの庶民の行楽地として賑わいました。なかでも、弘化2年(1845)には、12代将軍家慶の梅見の御成りがあり、明治になると皇室関係をはじめ、多くの著名人が来遊した記録が残っています。(以下略)(東京都墨田区の歴史 向島百花園HPより)

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 3割バッターになれるよう心がけて

 中曽根から菅まで…政治をチクリと34年 本紙政治マンガ・佐藤正明さんが日本漫画家協会賞大賞(2020年9月19日 05時55分)

 日本漫画家協会(里中満智子理事長)は18日、第49回日本漫画家協会賞の大賞(カーツーン部門)に、本紙朝刊で連載中の佐藤正明さん(71)の「風刺漫画/政治漫画」を選んだと発表した。若々しい批評精神や新しい情報の吸収力などが評価された。
 同賞(コミック部門)は、みなもと太郎さんの「風雲児たち」(リイド社)。賞金は各50万円。また特別賞は、漫画同人誌即売会のコミックマーケットを主催する「コミックマーケット準備会」(賞金20万円)。文部科学大臣賞は、昨年死去したモンキー・パンチさんの「ルパン三世」が、圧倒的な存在感のキャラクターで、アニメ界にも大きな影響を与えたとして受賞が決まった。贈賞式は今後、関係者のみで行う。
◆「縁のない賞だと…選考会の日忘れてた」
 日本漫画家協会賞の受賞が決まった佐藤正明さんは名古屋市内の事務所で取材に応じ、「私には縁のない賞だと思っていて、選考会の日取りすら忘れていたほど。受賞の実感がありません」と語り、マスクの下に笑みを浮かべた。(三品信)
 1949年、名古屋市生まれ。南山大卒業後、デザインプロダクション勤務などを経てフリーに。1コマ、4コマなどで競うコンテスト「中日マンガ大賞」の大賞や「読売国際漫画大賞」金賞などを受賞した。(以下略)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/56443?rct=bunka)

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 新聞を購読しなくなって、弱ったな、困ったなという悩みがいくつかあります。第一に(というわけではありませぬが)、連載漫画が読めなくなったことです。往時は、各新聞では名うての漫画家、新たな書き手たちが覇を競っていましたから。何新聞のだれさんのと、今でもそれをよく思い出したりします。佐藤正明さんは、たまーにネットで探し当てて読むという程度ですが、なかなか辛辣でもあるし、きわどくもあるしで、ときたまですが、大いに感心しているのです。佐藤さんいわく「「良い作品が描ければ楽しいのですが、まだまだ納得のいかないことが多いのが現実。『3割バッター』になれるよう心がけていますが、それには達していません」と謙遜する。」(同上記事より)いかにも真面目なんですよ。(右の「youtube」など、いかにも佐藤さんの性格が出ているように思えます)

 岡本一平氏や近藤日出三さん、清水崑さんに加藤芳朗さんなどなど、たった一コマで「政治」を切り取って(切り捨てて、か)いました。武器は鋭利な刃物だったり鈍刀だったり、という感じだった。まるでそれは「切り裂き魔」か「撲殺」のようでしたね。その他数えられないほどの方々がいました。横山ブラザーズさんしかり、当時の若手も…。洋の東西を問わず、漫画家が風刺したり批判したりしない政治家はまともではないというほどのものだったといえます。風刺・批判というけれど、それは有名税でもあるのでしょうか。漫画になる、漫画にしてみたいという政治家がいなくなったのは、われわれ庶民の大きな不幸でもあります。「漫画政治」は「政治漫画」にはならないんでしょうね。嘘つきは絵にならぬ。不人情あるいは非人情もまた、絵のネタにはふさわしくありませんね。

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