一隅を照らす此れ即ち国宝なり

 (ニッポン人脈記)自転車でいこうよ(承前)

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 ■1600人の足 いやまだまだ

 障害であきらめていた人たちに、自分の力で自転車を走らせる喜びを。

 1979年、36歳で東京都荒川区に小さな作業場を開いた堀田健一(ほったけんいち、69)はその後、足立区に工場を移し、妻和子(かずこ、70)と2人で奮闘した。体に備わった筋力を生かせる乗り物こそ、よりよく生きる手立てだと信じて。/ 相変わらずお金はない。それでも、「いよいよだめだ」という時になると、不思議と自転車を予約したお客さんが内金をもってきてくれて食いつなぐことができた。

 堀田夫婦はこの33年間で、3歳から90歳まで1600人の人たちに会い、2千台近くをつくってきた。/ 手でペダルを押す手動式、坂道を上るためのモーター付き、腕が不自由な人のために足で方向を操作できるもの……。考案した自転車は数十種類に及ぶ。/ 夫婦にとって、完成品を車で届けに行く時のドライブが一番の楽しみだ。「距離は遠くとも心は近く」。北海道でも九州でも、どこでも行く。

 納車の際、堀田はサドルやハンドルの位置を微調整し、伴走しながら乗り方を伝える。大丈夫、乗りこなせると判断して初めて引き渡す。そこまでが仕事だ。/ 頼者がくれた感謝の手紙は、段ボール何箱分になったろう。「息子が友だちと一緒に通学できるようになった」「世界が変わった」「もう自分の足そのものです」

 大阪市に住む西村綾子(にしむらあやこ、54)は7年前から電動機能付きの踏み込み式三輪自転車に乗っている。8年前に病気で左足を失い、義足で杖をつくように。それまで5分で行けた最寄り駅も30分近くかかるようになった。/ 1年後にインターネットで堀田のことを知り、思い切って工場を訪ねた。堀田の自転車に乗って、駅までまた5分で行けるようになった。「スーパーに行って、コンビニに行って、普通の主婦をして……失った日々の暮らしを取り戻すことができました」。車体はいつも、夫がぴかぴかに磨いてくれている。

 神様はやはりどこかにいて、がんばりを見ているのかもしれない。/ 長いトンネルの先に、光があった。/ 2006年1月、堀田は賞を受けた。時計会社のシチズンが主催する「シチズン・オブ・ザ・イヤー」。社会に貢献し、感動を与えた「無名の良き市民」をたたえるというのが賞の趣旨だ。活動が徐々に新聞で取り上げられるようになり、「この人こそ」と選ばれた。/ 貧乏暮らしから突然表彰式の舞台に立ち、堀田はほおをつねりたい気分だった。/ 賞金の100万円はすべて工場の機械の更新にあてた。工程をある程度効率化して月に5、6台は生産できるようになり、食べるにこと欠く暮らしからはようやく抜け出した。

 堀田には友がいる。京都府宇治市で電動車いすをつくる西平哲也(にしひらてつや、61)(⇒)。15歳の時、九つ違いの弟が全身の筋力を失う病気になり、助けたい一心で車いすをつくり始めた。弟は19歳で亡くなったが、重い障害のある人が自活できるよう、その後も工夫をこらしてつくり続ける。/ 堀田さんと初めて会ったのは30年前、障害者向けの製品の展示会でした。出品者は堀田さんと私だけ。お互い粘り強いなあ」

 古希を迎える堀田は最近、残された時間に何をすべきか考えるようになってきた。いま、標準型の製品に設定している値段は1台16万円。ぎりぎりの価格だが、これでいいとは思っていない。もっと安くして、もっと多くの人に届けたい。/「じゃあどうしたらいいか。これまでの蓄積や工夫を書いた私なりの答案を残し、誰かが意志を継げるようにできたらいいのかな」/ いやいや、まだまだ。(西平さんの紹介記事)

 「私も西平さんも、愛用者から『自分が死ぬまでは生きていて』って言われてる」 まだこれからさ――。13坪の作業場に、笑い声が響いた。(但見暢)(朝日新聞・13/03/01)

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 前回も書いたように、ぼくはこのような企業をいくつも探してきました。理由は特にあるわけではありません。こんな生き方をしている人がひたすら好き、それだけです。きっかけがあったようななかったような。もともとが機械ずき、ものつくりが好きだった。自分で何か作る、どんなに小さなものでも自分でつくることに興味を覚えていました。こころざしが弱かったのか、およそ異なる方面で糊塗をしのぐようになりました。後悔があるともないとも言えませんね。それしかしてこなかったのですから。しかしやはりものつくりの仕事ぶりにはいつも魅かれてきたのも、自分でやれなかったことの言い訳だったようにも思われてきます。大工さんも死ぬほど好きでした。電気屋さんも。

 こんな言い方は間違っているようにもとられそうですが、「国宝」という観念がいつも浮かんできます。この言葉を使った人は最澄です。『山家学生式』にあります。「「国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり、道心有るの人を名づけて国宝となす。故に古人言わく、怪寸十枚是れ国宝に非ず、一隅を照らす此れ即ち国宝なり」この言葉を何十回何百回も眺めてきました。面倒なことは言いません(言えません)。堀田さんや西平さんに見られる「奉仕の心」とでもいうのか、本当に求められる人の心、それに触れられると、ぼくのような貧相な人間でも、一瞬ではあれ、すこしは役に立つ人間になりたいと錯覚する、そんなことをくりかえしてきました。金塗れ、拝金主義が人心を蝕んでしまったような、塵芥の中に開く蓮華などというと抹香臭くもなりますが、そんな「道心」を持った気になるのです。

 二人はなおご健在です。「一隅を照らす」とは「足元」を明るくするばかり、スカイツリーの類なんかではありません。そんな人がすこしでもおられれば、この世は闇から明の世界になるはずです。いつでもきっと「一隅を照らす」人がいます。その真似事でもしてみたいですね。

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。(2023/05/24)