行々てたふれ伏すとも萩の原

 凡語:ハギの秋

 秋分の日も過ぎて、朝夕はめっきり涼しくなった。コオロギやスズムシの音が秋の深まりを感じさせる季節である▼長浜市の神照寺でハギが見ごろと聞き、4連休の最終日に訪ねた。境内には、足利尊氏が弟の直義と和解のために訪れた際に植えたとも伝わる約1500株、2千本。多くが紅白の花をつけ、かれんな姿を見せている▼秋の七草の筆頭に掲げられるハギは日本人に古くから愛されてきた花だ。万葉集では160種類以上の植物が歌われているが、その中で最も多く詠まれ、当時人気のあったウメをもしのぐ▼植物学者の湯浅浩史さんによると、詠み人の名が不明な歌の方が多く、上流階級より庶民に好まれたとみられるという。秋の花見の対象でもあったそうだから、よほど日本人の感性に合う植物なのだろう▼寺の人から気になる話を聞いた。近年は葉が小さく緑も薄くなりがちで、いまひとつ見栄えがよくないと。他のハギ名所でもしばしば同様の傾向があるらしく、夏の猛暑と雨が少ないためではないかという。万葉一といわれる花も、気候変動と無縁でいられないということか▼<萩の風止まりし蜂を飛ばしけり>阿部みどり女。台風12号は東寄りに進路を変え、きょう関東沖を進むとみられる。穏やかな秋であってほしいと願うばかりだ。(京都新聞:2020/9/24)

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白露もこぼさぬ萩のうねりかな 芭蕉「栞集」
一家に遊女もねたり萩と月 芭蕉「奥の細道」
行々てたふれ伏すとも萩の原 曽良「奥の細道」

  萩(ハギ)はとてもも好きな草花です。小さいころは、身の回りのどこにでも群生していたし、可憐な花が呼び掛けているような風情が心地よかった。これまでに住んだ家にもいつも植えていました。現在の拙宅にも何本か植えてあるが、「江戸小紋」とかいう洒落た名がついています。今夏の異様な暑さでほとんど草刈を怠っていたせいで、名も知らない草に埋もれている始末ですが、健気に、それでも息づいています。やがて白や赤の花をつけることでしょう。草刈正雄にならなければ。

 東京に住んでいたころは、面倒を厭わず、しばしば向島の百花園(都立)に通いました。折々の花々に出会うためということにしておきます。(時には黒髪の華もいましたよ)なかでもハギのトンネルが見事だったという記憶があります。何かの折に車でその前を通ることもありますが、すこしも情趣がわかなくなったのどうしてですかね。こちらの水分が蒸発しきって、すっかり心身共に干乾びたせいであるかもしれません。でも、車の洪水から一歩中に入ると別乾坤です。いまでも鈴虫を泣(鳴)かせているのか。虫籠に入れて、草むらに置かれていました。そればかりは、いかにも無粋でした。駅のスピーカーから流れる「鳥の声」のようで、心ない仕業だと苦々しく思ったことでした。向島はぼくの散歩道で、「墨東奇譚」の世界。

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● 本園は、江戸時代文化2年(1805)頃、佐原鞠塢(きくう)という粋人が、向島の寺島村で元旗本、多賀氏の屋敷跡約3000坪を購入し、当時鞠塢と親交の深かった一流の文人墨客の協力を得、梅を多く植えたことから、「新梅屋敷」として創設したのが始まりとされています。/ 往時は、江戸中に百花園の名が知れ渡り、多くの庶民の行楽地として賑わいました。なかでも、弘化2年(1845)には、12代将軍家慶の梅見の御成りがあり、明治になると皇室関係をはじめ、多くの著名人が来遊した記録が残っています。(以下略)(東京都墨田区の歴史 向島百花園HPより)

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)