私の生きる理由は歌、と言えた人

「悲しみよこんにちは」から(1958年)

 仏大物歌手ジュリエット・グレコさん死去 93歳 2020年9月24日 4:31(AFP) ]

フランス人歌手ジュリエット・グレコさん(1968年12月10日撮影、資料写真)。(c)AFP

【9月24日 AFP】フランスの音楽界で50年以上にわたり活躍した大物歌手ジュリエット・グレコ(Juliette Greco)さんが23日、死去した。93歳だった。家族がAFPに明らかにした。/ 家族はAFPに対し、グレコさんが「心から愛していた自宅で、家族に囲まれ亡くなった」と説明。「彼女の人生は他に類を見ないものだった」とし、脳卒中のため引退した「89歳当時もフランスの歌を輝かせ続けていた」と述べた。/ グレコさんは脳卒中を起こした2016年、一人娘のロランスマリさんを亡くした。今年7月の文化情報誌テレラマ(Telerama)のインタビューでは、歌うことができず「とても寂しく思う。私の生きる理由は歌!」と述べていた。(c)AFP

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● 生後(1926年2月7日生)まもなくパリに移る。母姉がナチスの収容所に送られ、15歳で自活。第二次大戦後、パリのサン・ジェルマン・デ・プレの地下酒場に黒髪、黒づくめの服装で現れ、サルトルら実存主義者たちから“実存主義のミューズ”と騒がれたことがきっかけで1949年シャンソン歌手としてデビュー。哀愁を帯びた詩的な歌で人気を集め、世界最高のシャンソン歌手としてヨーロッパ、アメリカ各地を巡業した。また’61年以来何度も来日し、戦後日本のシャンソン・ブームの火つけ役ともなった。代表作に「パリの空の下」、「私は日曜日が嫌い」(’51年)、「ロマンス」(’52年)ほか。’91年1月7年ぶりにパリのオランピア劇場でリサイタルを開く。’94年1月全曲書き下ろしの新作「黒と赤いリボン」を発表。同年4月、’97年1月リサイタルのため来日。’99年5月歌手としては初めてパリのオデオン座に出演、その様子をCD「オデオン1999」としてリリース。2014年友人の歌手ジャック・ブレルの名曲を埋めつくしたアルバム「ジャック・ブレルを歌う」をリリース。映画は1949年「神々の王国」から出演、以来「オルフェ」(’49年)、「恋多き女」(’56年)、「悲しみよこんにちは」(’57年)、「陽はまた昇る」(’57年)、「自由の大地」(’58年)、「将軍たちの夜」(’66年)などに出演。歌詞に重きを置いた知的なシャンソン歌手として、男性のイヴ・モンタンと並び戦後最大のスターの地位を守り続ける。2009年6月、83歳でパリ公演、11月日本公演を行う。2015〜2016年88歳で「メルシー」と題した引退ツアーを行う。(現代外国人名録2016)

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 訃報は先ほど聞いたばかりでした。いろいろと思い出されてきます。単なるファンでした。大学に入りたての頃、知遇を得たお医者さん(ぼくよりニ十歳年上)からなにかと手ほどきを受けたものですが、シャンソンに関しても彼の自宅兼医院で数えきれないほど聞いたものです(大半はSPレコードでした)。ついにはものにならなかったフランス語も、いわばシャンソンの聞きかじりが発端だったといえます。グレコにもまたしばしば耳を傾けたのですが、この島社会のシャンソン歌手にほとんど興味がわかなかったくらい、ぼくは彼女たちにカブレていたといえます。東京銀座の「銀巴里」にも足を運びましたが、邦家の歌手には動かされませんでした。彼女を入り口にして、ぼくはささやかなフランス(西洋)体験を重ねたことになります。泰西への「入り口」であり、「お茶の間」でもありました。(蛇足 「仏大物歌手」というタイトルは目障りであり、彼女に合っているのかどうか。「大物」の反対は「小物」、どちらかというとぼくは「小物好き」です。事情に通じていないから文句を言うのかもしれません、事実、彼女は「大物」だったのだと思うのですが、その表現は不相応ですね。もっとも「大物」になる前の彼女が好きだったということです)

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)