昔も今も、大学は出たけれど、だね

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 落語にしろ浪曲にしろ、ぼくは小学校の低学年頃から、毎日のようにラジオにかじりついて聞いていました。たしかに娯楽の少ない時代でもありましたし、寝る前の楽しみはラジオでした。今では歴史の彼方に消えてしまったような、多くの人々の悲喜交々、喜怒哀楽、あるいは勧善懲悪、そういったものは落語や浪曲、あるいは歌謡曲にきっちりと語られつくしていたと思います。今でも、それぞれの分野の名人の名前と話や歌をはっきりと思い出すことができるほどに、ぼくの老衰著しい脳髄にさえ、ある感情を伴って残されています。(右下は講談師・神田香織さん)

 今は性差を見えなくする(が見えなくなる)時代というのか、落語家にも浪曲師にも女性が多く輩出しています。ぼくはなぜだか、めったに聞かないのですが。やはり、この芸能の世界もまた「男社会」であった証拠でしょう。昨日の「余録」に玉川奈々福さんのことが出ていました。この人もいまだ聞いたこともないのですが、ぜひ、近いうちに聞いてみたいなと、思わず気分が乗ってきたのです。その昔はたくさんの女性浪曲師がいましたし、ぼくも一人前によく聞いたものですが、今ではラジオですら聞く機会がなくなりました。落語に講談、女性の進出(というのか)は好ましいものですが、多くが新作ものなので、ぼくにはまだその味がわからないと、正直に言っておきます。(古典もはじめは新作でした)

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 かつて「長者番付」と呼ばれる高額納税者リストの注目された時代があった。戦後初の発表は1947年。芸能人部門には浪曲師が並んだ▲明治初期に生まれた浪曲は戦意高揚の波にのって人気を博し、43年には浪曲師約3000人。落語家が今、900人弱であることを思うと浪曲盛況のほどがうかがえる▲その隆盛も今や昔。浪曲師は約80人にまで減少した。ただ、気を吐く若手や女性は少なくない。玉川奈々福(たまがわななふく)さんもその一人。80年代後半に上智大学で国文学を学び、卒業して筑摩書房の編集者となる。井上ひさしたちと交流する中、自分に語れるものがないことに気付く▲それを探して日本浪曲協会に三味線教室の門をたたいたのが94年。その後、浪曲師となり、退社までの20年間、二足のわらじを履いていた。スタジオジブリ・アニメの浪曲化にも挑戦し、2年前には欧州、中央アジアで公演した。「MTK(もっと玉川奈々福を関西に呼ぶ会)」というファンクラブもある▲そんな彼女が今、挑むのは空手家、岡本秀樹の生涯である。70年に単身シリアに渡り、ゼロから空手を指導。2009年に亡くなるまでに中東・アフリカ地域の空手人口を約200万人に育てた。破天荒を貫いた彼の評伝にあったある言葉に奈々福さんはしびれた。「非常識の中に可能性を探す方が楽しいじゃないですか」▲24日の新作披露に向けアラビア語や空手の指導も受けた。常識を離れて可能性を模索する奈々福さん。その姿に岡本を見る思いがする。(毎日新聞・2020/9/20)

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 「自分に語れるものがないことに気付く」とあります。だれだってきづくかというと、けっしてそうではないし、まして大学を出たからなおさら、自らの足りない部分を自覚するのが困難な場合がほとんどでしょう。けっして彼女が特別の存在なのではなく、多くが同じ条件を抱えていながら(男であれ女であれ)、職を辞して方向転換を図ることが決断できないで生きているというのが実際なのではないでしょうか。ぼくもそうでした。「ここで」と踏ん切りがつけられないままに、惰性に任せてここまで生きながらえたというばかりです。だからこそ、奈々福さんのような例に出会うと、ぼくは惹かれるんです。

 ずいぶん昔の話ですが、宮大工の棟梁のところに近所のかみさんがきて、「棟梁、うちの息子はバカ(勉強ができない)ですから、弟子にしてください」と言われた。それを聞いた棟梁は「バカで大工ができるか、何もできないなら、大学へでも行って、卒業したら、会社にはいって頭をすぼめて生きていろ」と言い返したそうです。今も昔も、何をしていいかわからないから「大学へ行く」というのが大半じゃないでしょうか。「大学は出たけれど」は不況時だけのことではなさそうです。大学は方向指示器なんですか。いや人間振り分け機なんですね。

 ぼくは詳細は知っているとはいえませんが、この島社会の大学生は大体そんなもんじゃないですか。「やることを見つけるために」大学へ行く。行くと見つかるんですかと、問いたい。(何を隠そう、ぼく自身もそんな、やわな一人でした)そうこうするうちにどこでもいいから(とは言わないが)、ちょっとばかり体裁のよさそうな会社に入るんでしょうな。それが悪いわけではありません。奈々福さんのような、生き方の模索から、何かをつかもうとする人もいる、これもまた一つの「生き方の流儀」なのでしょう。「大学をでたにもかかわらず」、やりなおしの流儀です。

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)