
正平調 そのフランス詩には、今日の感覚からして多分に差別的な言辞が含まれている。-アフリカで生まれた彼は黒人だった、〈人が名を問ふと/有難(ありがと)うと答へた〉(フランシス・ピカビア「黒奴(くろんぼ)」、堀口大学訳)◆人の名前にはこの世に生を受けた祝福と、親が子を思うありったけの愛情がつまっている。彼は名を聞かれ、なぜ「ありがとう」と答えたか。それまでどう呼ばれてきたか。詩の一節から想像しうることは多い◆女子テニスの全米オープンで優勝した大坂なおみ選手がマスクで問うたものに思いを巡らす。決勝まで7枚のマスクを用意し、警官に撃たれるなどして亡くなった黒人の名前を1人ずつ入れた◆決勝時のマスクは「タミル・ライス」君、12歳の少年である。おもちゃの銃で遊んでいたところを警官に射殺された。4回戦では高校生の「トレイボン・マーティン」さん。コンビニの帰り、自警団に撃たれた◆「返事をなさい」とわが子の名を叫び続けた親があり、泣き崩れてその名を呼んだ友もいたことだろう。マスクの意味をインタビューで聞かれ、大坂さんは逆に問い返している。あなたはどう思いましたか-と◆肌の色を問わず、誰もが等しく一つだけの命を授かって生まれてきたのはなぜか。あなたはどう思う?(神戸新聞・2020・9・19)
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全米テニスにおける大坂なおみさんの「マスク」は話題になりました。「人種差別」に対する決然とした抗議(彼女はそれを「人権問題だ」といった)に多くの差にが示されたが、一方では反対派もいた。いわく「スポーツに政治を持ち込むな」と。それはどうか、ぼくは奇怪な主張だと思います。「スポーツは政治ではない」がスポーツを行う「人間は政治的であるほかない存在」です。五輪にも政治問題が絡むというより、まったく政治そのものであるといえるのではありませんか。商業主義は行きつくところまで行き、その上を政治が言っていると、ぼくには思われるのです。
ぼくがなおみさんに大きくひかれたのは、「テニス選手の前に、私は黒人女性です」という自身の根拠から主張し、講義ではなく「人権問題です」と断言したことにあります。いろいろな思惑があるなかで、「言わねばならぬ事」を彼女は言った(彼女の場合は「しなければならない事をした」)という点に、ぼくは敬意を表しているのです。それに加えて、もう一場面のことを期しておかなければなりません。「全米」の前の試合で、準決勝をかけた試合を彼女は放棄(棄権)(彼女は「試合に出ない」といった)したことです。勝負の前にしなければならないことがあるということだった。これに対しても批判がありました。多くはスポンサーについてでしたが、彼女は意に介さなかったとも思われる振舞いを取りました。「当たり前」に生きることは、時には波乱を呼びます。「当たり前」と思わない人々が世には多くいるという意味です。でも「正しさ」や「誠実」派けっして多数決なんかではないのです。
(蛇足 これは日本語だけなのかもしれないのですが「女子選手権」「男子決勝」などと「当たり前」に使用しています。大いに違和感がある。「女子プロレス」というけれど「男子プロレス」と言わないのはなぜですか。と、些細なことのようですが、男社会の名残りだか、名残り惜しさだかが「滓(かす)」のように残存しています)

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●フランシス ピカビア(英語表記)Francis Picabia 1879.1.22 – 1953.12.3 フランスの画家,詩人。パリ生まれ。最初は後期印象派の風景画家として評価されていたが、1909年からキュビズムに参加し、’11年には「セクション・ドール」創立に加わった。’13年代欧米を行き来し、ダダイスムの重要な推進者として活躍、のちにシュルレアリスムに移った。’45年からはまた抽象の世界に戻った。詩作は「言語なき思考」(’19年)、「詩選」(’45年)などがある。作品は「セビリャの行列」(’12年)、「ウドニー」「皮肉な機械」連作(’13年)などが代表にあげられる。(20世紀西洋人名事典の解説)
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