教育は子どもの成長に対する脅威だ

 いかにも代わり映えのしない駄弁で、いささか辟易している自分が、ここにおります。学校教育の話になると、十年一日のごとく、まことに陳腐な批判が先行してしまうのです。これは、ぼくの非力のせいですが、いっかなよく変わろうとしない学校教育の現状にも一因がありそうです。つまり、学校というのは、けっして子どもの願いや望みを大きく育てるような場ではまったくくないという意味です。教師と生徒の関係を、まず壊さなければ何事も始まらないのですね。あるいは、教室そのものを破壊したくなります。

 「教育こそが、意味のある学習が行われうる条件に対するもっとも直接的な脅威であると思う」(イリイチ)

 今、大人と子どもの状況とは?

  「親父の背中」という形容がありました。父親の背中をみて子どもは育つ、と。いまではそれは「刺したい背中」になったのかもしれない。「見覚える」「聞き覚える」(見習い・自習)という教育の方法が通用しなくなったということで、その分だけ「教えられる」ことによって「学ばせられる」教育が普及したという次第でもあります。はたしてそれはホントに「教・育」として成立しているのかという問題はつねに存在してきました。

 是非善悪は別にして、「文化」の受け渡しといわれるものが細々と成り立っていたのですが、今や世代から世代へのバトンタッチがほぼとぎれてしまった。親から子へ、大人から子どもへと受け継がれるべき「文化」「生活」が失われてしまった。その典型例として、伝来の「子どもの遊び」を考えることができるでしょう。

 「生活・文化」のこのような状況にあっては、大人は大人、子どもは子どもだという区分自体が意味を失わざるをえないと思います(「年齢不問」エイジ・フリー)。それはまた、男は男、女は女という区別をも変質させることになったのです(「性別不問」ジェンダー・フリー)。たぶん、資本主義社会の「進展」は、それ以前に厳然としてあった年齢や性別による区分をあいまいなものにしました。「小さな大人」といったのはアリエスでしたが、加えて「大きな子ども」が誕生した、それが近代(現代)ということになるのでしょう。未熟なままの、不熟世代の拡大産出です。

 「若者文化」とか「熟年文化」といった生活・文化の棲み分け(垣根)が見えなくなった、区別が曖昧になった結果、そこに現れたのは「利便性」「効率性」「快適感」といったコンビニエンス・メリットでした。「大人」社会、ひょっとしてそれは「男」社会であるかもしれませんが、それらが崩壊しているということではないで、それは一つの典型であって、従来型の制度や制度に根づくもろもろの常態が崩壊の一途をたどっているということでしょう。仮にそうだとすると、いったい「教育」~こどもになにかしらの意味や価値、技術や知識を受け渡す(授ける)~というものが、いまなおなりたつのかという、根本の問題に遭遇せざるをえないと、ぼくは考えてしまいます。 

 もちろん、これは一人の大人や一人の教師によって左右される課題ではありません。政治や経済をも含めた、今日の時代状況に見合った課題であるということです。当然のことながら、男社会の原理によってつくり出された「人権文化」も、その根拠・枠組みを揺るがされているということになるはずです。いわば混沌の時代にあるのです。          

  伝達か対話か

 「教える・教えられる」教育が蔓延することによって失われたのは「育つ・育てる」という教育の別の一面でした。しばしば「教えるー学ぶ」というけれども、じっさいは「話すー聞く」ということであったと思うのです。教師は話し、生徒は聞く。「子ども時代」というのは、大人たちの対話の周辺部におかれます。さらに言えば、対話から除外された存在でした。大人の話に首をつっこむな。一人前ではないとして扱われたのです。このことを明確に示すのが教室の風景ではないでしょうか。教師は話し、生徒は聞く(べし)。それは、おしゃべり病の蔓延時代でもありました。

 このような教育(授業)スタイルにおいて、「知識」は一方的に教師から生徒に流されます。これをある人は「銀行型教育」と呼びました。教師は「預金者」で、生徒は「金庫」だというわけです。またそれは一種の「文化的侵略」(洗脳ですね)だともいいました。Aの発言はBやCやDの言葉になり、またそうなることを求められるのです。万人に共通な「知識」が話され、それがそっくり同じものとして万人に受け取られることが要求されるのです。

 二十世紀が科学・技術の時代だといわれたのは理由のないことではなかった。だれもが受けいれることを求められた「知識」、万人に共通の「知識」「技能」が幅をきかしたという意味は、一人一人のかけがえのなさ(経験)を退けたということです。「知識」「技術」が表面に現れることによって「個性」は背景に押しやられた。

 「教」が栄えれば「育」は衰えるのは道理です。それこそが「銀行型教育」の生みだした文化だったと思います。それは個人個人にかかわる「教<育」ではなく、「国家」や「社会集団」に貢献するための「教>育」であったのです。これまで疑われながらもなんとか持ちこたえてきた「教>育」が行き着いた地点、それが「現在」だというふうにとらえたいんですね。

 飛躍した言い方になりますが、それは国の進む方向にに資する「国民」養成の教育であり、換言すれば「一種の民族」教育であったと指摘したいのです。戦後一貫して「国民教育」がさまざまなセクターから標榜・主張されてきたのは周知の事実です。もちろん、その亡霊を固く信じてこの先も「民族」教育を学校に強要しようという力学は、いまなお強力に働いています。その限りでの、「人権」教育ではなかったか。きわめて偏向した「人権教育」だったと指摘しなければならないと思います。

________________________________________

投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。