曼殊沙華咲いてここがわたしの…

(其中庵)

 家を持たない秋がふかうなるばかり

 行乞流転のはかなさであり独善孤調のわびしさである。私はあてもなく果もなくさまよひあるいてゐたが、人つひに孤ならず、欲しがつてゐた寝床はめぐまれた。

 昭和七年九月二十日、私は故郷のほとりに私の其中庵を見つけて、そこに移り住むことが出来たのである。

 曼珠沙華咲いてここがわたしの寝るところ

 私は酒が好きであり水もまた好きである。昨日までは酒が水よりも好きであつた。今日は酒が好きな程度に於て水も好きである。明日は水が酒よりも好きになるかも知れない。

「鉢の子」には酒のやうな句(その醇不醇は別として)が多かつた。「其中一人」と「行乞途上」には酒のやうな句、水のやうな句がチヤンポンになつてゐる。これからは水のやうな句が多いやうにと念じてゐる。淡如水――それが私の境涯でなければならないから。

(昭和八年十月十五日、其中庵にて 山頭火)

山行水行

山あれば山を観る / 雨の日は雨を聴く

春夏秋冬

あしたもよろし / ゆふべもよろし  炎天かくすところなく水のながれくる

日ざかりのお地蔵さまの顔がにこにこ   待つでも待たぬでもない雑草の月あかり

風の枯木をひろうてはあるく       蚊帳へまともな月かげも誰か来さうな   

糸瓜ぶらりと地べたへとどいた      夕立が洗つていつた茄子をもぐ

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 昭和八年十月、山頭火は五十一歳になっている。「草木塔」からいくつかを出してみました。彼の人生に「円熟」というものがあったのかどうか、というより、そんなものとは一向に無関係に、あるいは無頓着に生きていたというのが真実だったのかもしれません。ぼくには彼の境地はわからないし、わかろうともしないできました。生き辛さ、もし言葉をあえて使うなら、生きづらさが、彼を漂泊と定住のはざまに放り込んだのかもわかりません。できる限り、作為なく自発の風を装っており、とぼくには読めますが、それはゲスの勘繰りというものだろう。(今、都会の真ん中で「漂泊」の海に溺れるように「呻吟」している多くの人がいる。山頭火は導(しるべ)になるでしょうか)

「其中(ごちゅう)一人」

 「私はあてもなく果もなくさまよひあるいてゐたが、人つひに孤ならず」、これが山頭火さんの本音だったと思います。つまるところ、人をあてに歩いている「わたし」、その孤独を託つ風の「わたし」を温かくか、冷静にか、きっと見守ってくれている奇特な人がいる。山頭火もそれを露と疑わない、そこから彼の自由句は迸り出たのです。人恋しい自分の心を、隠さずに謳いあげたのが彼の句だったように思う。こんな言い方をしてしまいましたが、今ぼくの脳裏には、柳川の仁術の人、木村緑平さんが浮かんでいます。(☚)「聴診器 耳からはづし 風の音きいてゐる」山頭火は彼のことを「心友」と慕いました。実際には、緑平さんは六歳の年下でした。多くの他人に、気がかりな人と思わせた人生であったと、ぼくは考えているのです。捨てておけないやつ、だった。山頭火氏の「気心」のやさしさが、そうさせたのでしょうか。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。