一将功なりて万骨枯る、ってなに?

 筆洗 白人の候補と黒人の候補の一騎打ちによる選挙が行われていると仮定する。世論調査会社から電話がかかってきた。「どちらの候補に投票しますか」▼世論調査では黒人候補の圧勝と出た。ところが実際に当選したのは白人候補。ズレの原因は一種のウソである。白人候補を支持すると回答すれば、自分が差別主義者のように見られないかと考え、調査では黒人候補と答えておきながら、実際には白人候補に投票した白人有権者が一定数いたわけである▼米国の選挙で実際に起きた現象で負けた黒人候補の名から人種を原因にした世論調査と結果のズレを「ブラッドリー効果」と呼ぶ▼おやめになる安倍首相と自民党の支持率が上昇しているが、これも一種の「ブラッドリー効果」と説明できるかもしれない▼七年八カ月の長きにわたって重責を担った首相が病気で辞任する。ある種、気の毒な状況であり、不満はあっても、この首相に対し、世論調査で「支持しない」とは回答しづらいだろう。人は世論調査といえど自分がどう見られるかを気にする▼さて、その高い支持率を背景に自民党内に早期衆院解散・総選挙論が出ているそうだが、ブラッドリーさんの敗北を思えば、その高い数字は本当に当てにできるかどうか。そもそも次の選挙の顔になるのは安倍さんではない。総裁選で最も地味だったといえなくもない菅さんである。(東京新聞・020年9月13日)

●世論調査で黒人候補の支持率が白人候補を上回っても、選挙本番で差が縮まるか逆転される現象。人種差別と見なされるのを避け、白人有権者が本音を言わないことが理由とされる。82年のカリフォルニア州知事選で、世論調査では白人候補に10ポイント近く差をつけていたトム・ブラッドリー元ロサンゼルス市長が小差で敗れ、ブラッドリー効果の名が付いた。89年のバージニア州知事選でも世論調査で大差をつけていたダグラス・ワイルダー氏が0・4ポイント差で辛勝し、ワイルダー効果とも呼ばれるようになった。(2008-10-24 朝日新聞 朝刊 2外報)

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 かなり以前から、「世論調査」という名の「世論操作」が横行しているという感覚をぼくは持ってきました。「ブラッドリー効果」「ワイルダー効果」と命名されてきたのはいかにもアメリカらしい現象だといえます。内閣支持率、政党支持率、候補者支持率などなど、この社会の動向を左右する(かもしれない)傾向を「調査」と称して操作しているのはだれか。大手マスコミなのか、それを差配している企業体なのか。みーんなグルなんですね。

 何十年も前のことですが、家で雑用をしているとき、電話がかかってきて、選挙についてのアンケート(録音電話だった)に回答してほしいというものでした。録音だなと即座に分かった。この手の調査はこういうふうにするんだと、その際に考えた。もちろんいい加減にして電話を切りましたが。無作為とか何とか、アンケートは怪しいという気配がありました。「みんな、そうなんだ」という「みんな」は数人かも。「一人」が代表する「みんな」という時代です。

 調査項目が曲者です。どうでもいいようでいて、それが報道でながされて「世論を形成」するとなると、野放しにはしておけないと思う。「安倍内閣の評価」が7割だと聞いて呆れるし、そんな率をはじき出したのはどこのドイツだと、言いたいのですが、なに、すべては「権力や権力近辺に阿っている」輩だとみて大きくは外れていないと、ぼくは考えている。目を付けられるか、目をかけられるかは大違いで、個人でも企業でも、上に対して「恐れ」「憧れ」を持っているだろうし、ならば、すこしでも褒められる数字を示さなきゃということになります。情けないけど。だからマスコミはダメになりきったのですが。権力が腐れば、取り巻き連もマスコミ社中も腐る。「一蓮托生」です。次期内閣全体も、勿論腐敗しているのは当たり前で、今から悪臭芬々です。これが、わが島社会の実態。秒単位で「世論操作」が進んでいます。(「朝日」も右打席に。やはり「スィッチヒッター」だったんだ。とにかく勝ち馬です)

 だれもが勝ち馬に乗りたがっているといわれています。(友人に「一馬」という競馬新聞の社長がいます。彼から馬にまつわる話はよく聞きました)勝ち馬とは「一着馬」で、そんなにたくさんが乗るとつぶれてしまうのは目に見えています。ましてこの馬、決して若くはないし、膂力があるとも思えませんが。ただし、恫喝力は相当らしい、直接の被害者が言っておられました。それに執念深いそうです、いやだね。これは「なに効果」というのか。「一将功なりて万骨枯る」というが、いずれ間もなく一将も朽ち果てる。残されるものは累々たる万々骨だけです。ようするに「総裁選」というけど、島社会の地方競馬でしょ。(だが、税金は「寺銭」となってゴミ溜めに消えていく、口惜しい)

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)