銀行時代の終焉、新しい教室は?

  A careful analysis of the teacher-student relationship at any level, inside or outside the school, reveals its fundamentally narrative character. This relationship involves a narrating Subject(teacher)and patient, listening objects(the students).The contents, whether values or empirical dimensions of reality, tend in the process of being narrated to become lifeless and petrified. Education is suffering from narration sickness.… 

 Narration(with the teacher as narrator)leads the students to memorize mechanically the narrated content. Worse still, it turns them into ‘containers’ , into receptacles to be filled by the teacher. The more completely he fills the receptacles, the better a teacher he is. The more meekly the receptacles permit themselves to be filled, the better students they are.

 Education thus becomes an act of depositing, in which the students are the depositories and the teacher is the depositor.…

 This is the ‘banking’concept of education. (Paulo Freire ; Pedagogy of the oppressed)

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 これまで何度か引用してきたパウロ・フレイレの「抑圧される人たちの教育論」(邦訳名は『被抑圧者の教育学』)の、ほんの触りの部分です。いわゆる「銀行型教育」に関する記述です。

 「学校の内外を問わず、どんな場合でも教師と生徒の関係をよく見れば、根本において「おしゃべり」という性質を持っていることがわかる。おしゃべりする人(教師)と、我慢づよく耳を傾ける(註 傾けないのもたくさんいる)お客さん(生徒たち)がこの関係に認められる。真理や価値の問題を扱うにしろ、現実の経験的な問題を扱うにしろ、話されていく中で、その内容は生命を失い枯渇してくる。教育はおしゃべり病を病んでいるのだ。

 話し手の教師によるお話は、生徒をして話される内容を機械的に暗記するように導く。もっと悪くなると、生徒たちは「コンテナ」に、教師によって満たされるべき器にされてしまう。教師は、容器を満たせば満たすほど、彼・彼女はいい教師となるのだ。容器の方は、満たされるがままになると、彼・彼女たちはもっといい生徒になる。

 こうして、教育は預金行為となる。そこでは、生徒たちは金庫であり、教師は預金者なのだ。

 これこそが、教育における「預金」という考えなのである。(教えるというのは「教師の生徒(金庫)への預金行為」となっているという意味だ)(記述者による拙訳)

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貸(仮)金庫、生徒のことか

 今の時代、銀行は振るわないことおびただしいのですが、どういうわけか、学校においては「銀行盛業中」であるのかもしれません。フレイレさんいわく、生徒は「金庫」にされているのです。小・中・高と通算にして十二年間の就学期間は、文字通り「禁固十二年」じゃありませんか。途中で脱走する者、後を絶たず。毎年「金庫」になるために新たな人材が生まれますが、徐々にか急激にか、減少期に入っている。「金庫番」でもある教師は、終夜営業で脱落者急増中です。コンビニ並みの重労働は、いかにも学校らしいかもしれないが、反教育的ですね。働き方改革だというが、笑わせますね。

 この島国は「アメリカのATM」だといわれていますが、いったい「禁固何年」になるのでしょうか。ぼくは、コロナ時代(よい表現ではありません)、それは預金(銀行)型教育の破滅(絶滅)時代であり、銀行(預金と金庫)に代わる(闇金融じゃない)、新たな教師と生徒の関係の可能性が開かれる時代であると考えているのです。おおよそのイメージは描けているのですが、まだ少し具体性や内容面であいまいなところが残っていますので、もうしばらく愚考を重ねたいところです。預金行為や現金引きおろし機でもなく、オレオレ詐欺的でもない、教室の新風景を夢のように膨らませている、老いぼれながらも。「年寄りの冷や水さ」という罵声あり。ぼくは「ウフフ」と笑い飛ばしていますが。

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 一将功なりて万骨枯る、ってなに?

 筆洗 白人の候補と黒人の候補の一騎打ちによる選挙が行われていると仮定する。世論調査会社から電話がかかってきた。「どちらの候補に投票しますか」▼世論調査では黒人候補の圧勝と出た。ところが実際に当選したのは白人候補。ズレの原因は一種のウソである。白人候補を支持すると回答すれば、自分が差別主義者のように見られないかと考え、調査では黒人候補と答えておきながら、実際には白人候補に投票した白人有権者が一定数いたわけである▼米国の選挙で実際に起きた現象で負けた黒人候補の名から人種を原因にした世論調査と結果のズレを「ブラッドリー効果」と呼ぶ▼おやめになる安倍首相と自民党の支持率が上昇しているが、これも一種の「ブラッドリー効果」と説明できるかもしれない▼七年八カ月の長きにわたって重責を担った首相が病気で辞任する。ある種、気の毒な状況であり、不満はあっても、この首相に対し、世論調査で「支持しない」とは回答しづらいだろう。人は世論調査といえど自分がどう見られるかを気にする▼さて、その高い支持率を背景に自民党内に早期衆院解散・総選挙論が出ているそうだが、ブラッドリーさんの敗北を思えば、その高い数字は本当に当てにできるかどうか。そもそも次の選挙の顔になるのは安倍さんではない。総裁選で最も地味だったといえなくもない菅さんである。(東京新聞・020年9月13日)

●世論調査で黒人候補の支持率が白人候補を上回っても、選挙本番で差が縮まるか逆転される現象。人種差別と見なされるのを避け、白人有権者が本音を言わないことが理由とされる。82年のカリフォルニア州知事選で、世論調査では白人候補に10ポイント近く差をつけていたトム・ブラッドリー元ロサンゼルス市長が小差で敗れ、ブラッドリー効果の名が付いた。89年のバージニア州知事選でも世論調査で大差をつけていたダグラス・ワイルダー氏が0・4ポイント差で辛勝し、ワイルダー効果とも呼ばれるようになった。(2008-10-24 朝日新聞 朝刊 2外報)

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 かなり以前から、「世論調査」という名の「世論操作」が横行しているという感覚をぼくは持ってきました。「ブラッドリー効果」「ワイルダー効果」と命名されてきたのはいかにもアメリカらしい現象だといえます。内閣支持率、政党支持率、候補者支持率などなど、この社会の動向を左右する(かもしれない)傾向を「調査」と称して操作しているのはだれか。大手マスコミなのか、それを差配している企業体なのか。みーんなグルなんですね。

 何十年も前のことですが、家で雑用をしているとき、電話がかかってきて、選挙についてのアンケート(録音電話だった)に回答してほしいというものでした。録音だなと即座に分かった。この手の調査はこういうふうにするんだと、その際に考えた。もちろんいい加減にして電話を切りましたが。無作為とか何とか、アンケートは怪しいという気配がありました。「みんな、そうなんだ」という「みんな」は数人かも。「一人」が代表する「みんな」という時代です。

 調査項目が曲者です。どうでもいいようでいて、それが報道でながされて「世論を形成」するとなると、野放しにはしておけないと思う。「安倍内閣の評価」が7割だと聞いて呆れるし、そんな率をはじき出したのはどこのドイツだと、言いたいのですが、なに、すべては「権力や権力近辺に阿っている」輩だとみて大きくは外れていないと、ぼくは考えている。目を付けられるか、目をかけられるかは大違いで、個人でも企業でも、上に対して「恐れ」「憧れ」を持っているだろうし、ならば、すこしでも褒められる数字を示さなきゃということになります。情けないけど。だからマスコミはダメになりきったのですが。権力が腐れば、取り巻き連もマスコミ社中も腐る。「一蓮托生」です。次期内閣全体も、勿論腐敗しているのは当たり前で、今から悪臭芬々です。これが、わが島社会の実態。秒単位で「世論操作」が進んでいます。(「朝日」も右打席に。やはり「スィッチヒッター」だったんだ。とにかく勝ち馬です)

 だれもが勝ち馬に乗りたがっているといわれています。(友人に「一馬」という競馬新聞の社長がいます。彼から馬にまつわる話はよく聞きました)勝ち馬とは「一着馬」で、そんなにたくさんが乗るとつぶれてしまうのは目に見えています。ましてこの馬、決して若くはないし、膂力があるとも思えませんが。ただし、恫喝力は相当らしい、直接の被害者が言っておられました。それに執念深いそうです、いやだね。これは「なに効果」というのか。「一将功なりて万骨枯る」というが、いずれ間もなく一将も朽ち果てる。残されるものは累々たる万々骨だけです。ようするに「総裁選」というけど、島社会の地方競馬でしょ。(だが、税金は「寺銭」となってゴミ溜めに消えていく、口惜しい)

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