食い逃げよりも、悪辣千万です

2018年3月、財務省が公表した森友学園への国有地売却を巡る決裁文書改ざんの調査結果。改ざん前の文書には安倍首相の妻昭恵氏に関する記述もあった

 変えて隠して疑惑逃れ…モリカケ桜の記録はどこへ<安倍政権 緊急検証連載>(東京新聞・2020年9月3日)

 2018年3月、財務省が公表した森友学園への国有地売却を巡る決裁文書改ざんの調査結果。改ざん前の文書には安倍首相の妻昭恵氏に関する記述もあった

 辞任を表明した8月28日の会見で、安倍晋三首相は7年8カ月の在任中に残したレガシー(遺産)を問われ、こう答えた。/「国民の皆さん、歴史が判断していくのかと思う」/ ちょうどテレビで会見を見ていた三宅弘弁護士は、この発言に首をかしげた。「だったら安倍政権は、これまで国民が判断できるだけの記録を残してきたのだろうか」。頭をよぎったのは、官僚による忖度や「お友達優遇」と指摘された数々の私物化の疑惑だった。

◆森友、加計…変えたり隠したり

 三宅氏は2018年まで政府の公文書管理委員会の委員を務めた。隠蔽、改ざん、廃棄ー。安倍政権下でずさんな公文書の運用に直面してきた。/ 例えば、首相の妻の昭恵氏が名誉校長に就いていた森友学園への国有地売却問題。17年に格安の払い下げの事実が明るみに出ると、財務省は「保存期間1年未満」を理由に取引の交渉記録を「廃棄した」と述べ、事実確認を拒んだ。決裁文書については、首相が「私や妻が関係していれば首相も議員も辞める」と答弁した直後、昭恵氏に関する記述などを削る改ざんが行われていた。

◆都合が悪いと「怪文書」

 首相の知人が理事長を務める加か計け学園の獣医学部新設では、「総理の意向」との内部文書が報じられると、菅すが義よし偉ひで官房長官は「怪文書」と強弁。政府側は国会で「記憶にない」「記録はない」と繰り返した。/ モリカケ疑惑を受け、政府は17年12月、公文書管理のガイドライン(指針)を改正した。

◆抜け穴、例外、あいまい基準

 改正は当初、公文書管理委が手掛ける想定だった。ところが財務省にヒアリングを始める直前、首相直下の内閣官房から改正の原案が委員会に示される。突然の政府の方針変更に委員たちは驚いた。/ 原案は、文書の保存期間を「原則1年以上」と定めながら、抜け穴も用意していた。日程表など軽微な文書は「1年未満」との例外を設け、何を軽微とするかは各省庁の判断に委ねられた。委員からは、1年未満の扱いを助長しないか懸念を抱く声もあった。(以下略)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/52815)

===============================

 これは悪事のほんの一例。これで総理大臣も議員も辞めなければならないと、宣ったのはご本人だった。議員の質問で「疑惑をかけられたが、ただじゃ置かない」という意味のセリフを吐いていました。盗人猛々しい、とはこのこと。公文書改竄にかかわったのは「末端の」役人、命じたのは本庁の幹部、そいつを動かしたのは「空気」だということになっている。その空気を吸った幹部たちは軒並みに「階級上昇」(出世というらしい)でした。挙句には一人の官僚が遺書を残して亡くなられた。検察も裁判所も「空気」は裁けないというらしい。「空気殺人事件」です。この空気は「忖度の気」とも言います。

 これまでも言ってきたように、ぼくは政治にほとんど関心のない人間です。今でもそうです。しかし、だれがみても明らかな疑わしい挙措や態度、それも人を侮辱したら、嘘をホントと言いくるめるような「虚飾の言辞」に出会えば、何か反応します。しないほうがどうかしている。嘘をつきとおし、いよいよ通らなくなると、自作自演で「病気を理由」に辞任会見。それも嘘くさい。「政治不信」というのは符丁かなんかのように考えているらしいが、嘘を白昼堂々と吐く輩が国会にいること自体が「政治家不信」を生んでいるのです。

 政治に関心はないが、「人間」や「人情」には大いに関心があります。水が低いところから高いところに向かって流れたり、木の葉が沈んで石が浮かぶような、あり得ない状況を看過できないのが小人の所以です。ところが、法を無視し、倫理を笑いものにしきった屑政治家が、辞めたとなったとたんに、まるで英雄か君子になったかのような持ち上げ方には、死ぬほどの怒りがこみ上げてきます。抑制するのに困難を極めています。(やはり「世論操作」でしたね。それで誰が得をするのかしら)

 これを「泥棒に追い銭」というのです。もとを糺せば、ただの人間、その限りでは何も他者と変わらない。でも位人臣を極めると、ただの人間ではなくなったつもりになって、政治「専制」とやらをやられるから、衆生はこの上ない迷惑を被るのです。後とを目された御仁も同じ穴の狢。「共同正犯」でした。「たたき上げ」とは何のことですか。(悪いとはいわないが、どこにでもいる「上昇志向者(アリビスト)」というだけじゃないですかね。

 「セナで泣いてる 唐獅子牡丹」「義理が廃れれば こ世は闇だ」 太陽は西から出てくるに違いありません。

_________________________________________

投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)