

見知らぬ人からの「ブス」が、私を卑屈にした。“呪縛”を乗り越える転機を描いた漫画に反響 高校時代、見知らぬ人から容姿への暴言を受け、自信を失った女性。それ以来他人からの褒め言葉を素直に受け止められなくなったが、あることがきっかけで、褒めてくれる人に「ありがとう」と伝えるようにしたーー。/ イラストレーターの女性が、自身の体験を基に描いた漫画が、SNSで反響を呼んでいる。漫画をTwitterで投稿したところ、2日間で3万件以上の「いいね」がついた。 褒め言葉を喜べるようになって、「幸せが増えて負の感情から解放された」と語る女性。漫画で自身の実体験を伝えようと思ったきっかけは?作者に聞いてみた。/ ある出来事が転機になった。/ ありまさんが尊敬するクリエイターに「大好きです」と伝えた時、相手から「いやいや...自分なんか...〇〇も▽▽もダメだし、全然だよ...」と言われ、衝撃を受けたとう。 「『こんなに素敵なのに、どうして?お世辞じゃないのに』という気持ちと、『自分の愛が届かなかった悲しさ』を感じました。この体験をきっかけに、褒め言葉を全力で否定するという同じ行為を自分もしていること、それによって相手を悲しませているかもしれないということに気づきました」(ありまさん) 他人からの心ない暴言に傷ついた人。自信を失くし、褒められても卑屈になってしまう人。褒め言葉に対して「感謝を伝えられるようになりたい」と願う人...。/ ありまさんの漫画は、そんなあなたに向けられたエールだ。/ 自分を一番苦しめているのは、実は自分かも?/ 漫画は、一度立ち止まってそう問いかけ、自らの「呪縛」から自分を解き放つことも大事だと教えてくれる。(https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5f5886e3c5b62874bc1600d8?utm_hp_ref=jp-homepage)
++++++++++++++++

同じ言葉であっても、言われ方や言われた人によって、受け止める側にちがった感情が生まれます。「自分は、そこそこかわいい」と自己評価していたのに、見知らぬおっさんに「ブス」と言われて、すっかり自信喪失。(このおっさん、失礼な奴)この類の経験は誰にもあるはずです。だからマニュアル本が後を絶たないのです。「自己評価を高める13の秘策」とか何とか。
若いころから、「君はどうしてそんなに自信たっぷりなんだ」と、一回りも年上の先輩からも、うんと若い後輩からも言われ続けてきました。自身では自信なんて微塵もなかった、そんな言われ方など、思いもよらなかった。おそらく、ぼくの態度がデカそうに見えたので、周りは誤解というか錯覚というか、ぼくの値打ち(底)を見抜けなかったのです。(底が知れているということ、「そこ」がみえなかった)今でもそうかもしれない。どんなことでも自信なんかなかった、自信を持ちたければ、それなりにやればいいではないか、そんな風に考えてきました。学年で一番?なんやそんなもん。その気になればいつだって、なれるよ、と。一度だってその気にならなかっただけ。ぼくは競走馬じゃないんだと、小さいころから思っていたな。

「自己肯定感」が高いとか低いとか、あくまでもそれは仮想・仮象に過ぎない。身長165センチの人が、150センチの人と並ぶと、背が高い、となるし、170センチの人と比べれば、低いとなる。これは相対的で、誰が来ようが、自分は165センチなのだ、文句あっか、この考え(態度)をぼくは徹底して維持してきたのです。それが自信家と言われ、生意気とも言われた理由だったようです。逃げも隠れもしない。「目の前の鼻は低いが、ほんとは別のことろにもっと高い鼻をもっている」といっても、だれも信じない、いや嘘つきと言われるのがオチです。鼻なら諦めるけれど、別のものなら、なかなかありのままを出せないということはあるでしょう。ぼくは「素直より、正直だ」という一本槍でした。他人(教師を含む)の評価に一度だって気を許したことはなかった。低評価なら、こいつ、俺の真価を知らないな。高ければ、何ぞ考えてるんかと疑っていました。自分の程度は自分がもっとも知っている、これ、自信ですか。ー 俺は河原の枯れすすき です。

「ありのままで」行こうではないですか。人は好き好きで判断するもので、それにふりまわされるのはしんどい。「ありまさん」では「ありません」が、「ありがとう」という言葉が知らずに出てくるまで、言い続けるのがいいですね。とにかく、ありがとう、です。「蟻がとおなら、ミミズは二十歳、蛇は二十五で嫁に行く」といったのはフーテンの寅さんでした。自己肯定というものが何なのか、ぼくにはわかりませんが、年相応にお腹の周りに脂肪がつくように、きっと「自信」もついてくるのでしょう。
ぼくが私淑していたともいえる、ある高名な文芸評論家は「自信てのは、朝起きてみると軒先まで積もっている雪のようなもんさ。知らないうち(寝てる間)に積もるんだよ」本当にそうですね。豪雨や暴風なんかではなく、知らないうちに、年年歳歳、自信が積もる、雪のように」それは「亀の甲より年の巧(劫)」などともいうものでしょう。人生は、終わりのない修行です。クイズじゃない。お腹の周りに就くのは自信よりも脂肪の方だという時代もありました。いまだって、自信なんかありません、何事においても。

ずいぶん昔の話を今思い出しました。亡くなられた宮城まり子さんが語られていた話です。彼女が主宰していた学園に就職した若い女性職員が、しばらくしてから退職したいと言い出した。その理由を宮城さんは聞いたら、「今の仕事に自信がなくなったからです」といったそうです。宮城さんは強く叱ったそうです。「自信があって就職したのですか、その自信がなくなったからやめるんですね。いかにも仕事を舐めているではないか」という趣旨でした。この手の人間がたくさんいそうですね。最初から自信がある人なんかいるものか。
これも蛇足として加えておきます。誰に聞いたのだったか、忘れましたが。プロ野球の若い選手が「スランプ」で悩んでいたそうです。それを聞いたある元野球人が言った。「王や長島じゃあるまいし、生意気なことを言うな、スランプだなんて」それなりのレベルに達していて、初めて「スランプ」がやってくる(襲う)というんですね。ことほど左様に、熟するというのは並大抵ではないという話。自分の足りないところを見失なわないで、コツコツと単打主義で修行するほかないのじゃないですか。欠点があってこそ、自分なんじゃないですか。「ありがとう!」
_________________________________