さんま苦いか塩つぱいか

佐藤春夫  秋刀魚の歌 (上からの続き)
…

小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。

あはれ
秋風よ
汝こそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証せよ かの一ときの団欒ゆめに非ずと。

あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児とに伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。

さんま、さんま
さんま苦いか塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。

 「秋刀魚の歌」を歌ったとき、佐藤春夫は二十九歳。和歌山の人。女に袖にされた男と、男に捨てられる女、この二人の恋の成行き?を「秋刀魚」に語らせた春夫さん。内容はバカバカしいので省略します。女を捨てたのは谷崎という「文豪」と呼ばれるようになる男。「大竹とさんま」でも通りそうなメロドラマか。それが語りたいのではありません。ぼくに濫読時代があったとしたら、佐藤春夫なんかも盛んに読んでいましたし、谷崎の『痴人の愛』なども耽読していたといっていい。「秋刀魚の歌」には何の感情もわきませんでした。二十歳頃の野良犬生活に浸っていた時期。

 秋刀魚が不漁だという話。昨年に引き続く奇怪な物語です。大好物だったこの魚を昨年も食べませんでした。(初めての経験です。ぼくは呑み屋ではきっと旬の魚を頼んでいたし、それが呑む楽しみでもあったのです)去年も今年も一度も秋刀魚を口にしようとしないのは、痩せた細身を焼き尽くすに忍びないからです。不漁の背景は何か、いろいろに言われていますが、ずばりこれだという答えはまだ出ていません。一説では海水温の異様な高温化らしいという。海水の高温帯を通って、猛烈を極める台風10号が沖縄や九州方面を暴風範囲にして迫ってきています。無事を祈るほか、ぼくには何もできない。こうなれば、秋刀魚どころの話ではありません。秋刀魚と台風は二律背反ということになるのか。

 昨日の「余禄」が案の定、「九寸五分」を話題にしていました。

余録 その昔「さんま騒がせで豆腐屋上がったり」といわれた。秋、房州のサンマがどっと入荷して江戸の魚河岸(うおがし)が上を下への大騒ぎとなったのがさんま騒がせ、そんな時は豆腐屋は商売上がったりだったという▲サンマが安くなり、もろにお客を奪われたのが豆腐屋だったのである。「つき屋むしゃむしゃ甘塩の九寸五分(くすんごぶ)」はそのころの川柳。つき屋は米つきを商売とする屈強の男、九寸五分とはそう呼ばれた短刀になぞらえたサンマのことだ▲力仕事の職人が栄養補給にむしゃむしゃ食べられたサンマである。落語「目黒のさんま」は、安くてうまいサンマを下魚とさげすむ「殿様」たちへの庶民の抵抗の笑いだろう。だがその安いサンマを窮地に追い込む不漁の連続である▲先週は北海道での大型船の初水揚げ量が昨年の1%だったとのニュースが衝撃を呼んだ。過去最悪の不漁だった昨年の漁獲量4万5800トンはピーク時の1割足らずだが、調査にもとづく今年の予測はそれを下回る恐れがあるという▲原因の一つは日本近海の海水温の上昇という。また本来サンマのいる水温域でのイワシの増加も目立つという。台湾や中国などの漁獲量増加の影響も大きそうだが、急ぎたい資源管理の国際協議はコロナ禍で先送りとなってしまった▲小さいので1匹500円などと聞けば、先ごろご祝儀相場で話題となった1匹6000円がやがて普通になりはせぬかと心配になる。「殿様」しかサンマを食べられなくなる「逆・目黒のさんま」はごめんだ。(毎日新聞・20/09/05)

+++++++++++++++++++++++++++++

 秋刀魚は不良、台風は豊作とは、何の因果か。それもこれも「政治が悪い」といって気が済むなら、検察はいらない。まだやめていないPM、どうして「辞任の決意」を欠く広告会社に図って「大宣伝」したのでしょうか。「私は大変な病気ですよー」とばかり。前回は辞任即入院でした。これには裏もあり、表もあるのでしょうが、詮索はしない。もうすでに割れていますから。要する…。

 後釜は、前任者に輪をかけたような意趣返し大得意の「たたきあげ」です。さらに「IRいのち」、時間をかけて怨念や落とし前を晴らす才には長けています。マスコミ操縦もお手の物。「裏側」で生きる政治家だという評価が強いですね。怨念や侮蔑で政治を動かされてはたまらない。とにかく、人民のいのちや暮らし第一、それを考え実行しようとする当たり前の政治を冀うのが庶民です。「九寸五分」が当たり前に口に入るような、平凡な生活を何よりも願うね。

 「あはれ 秋風よ 情(こころ)あらば伝へてよ」とは無体。いまだ経験したことのないような「秋嵐」が襲う。

_____________________________________________________________

投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)